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【読マンガ】さびしすぎてレズ風俗に行きました
先日旅をしてきた。
なぜかずっと行きたかった島に行き、海沿いの整備された道をチャリで爽やかに駆け抜け、12cmのヒールで山をかき分けて足首を捻挫した。
そして、帰りの夜行バスまでの待ち時間に漫画喫茶へ行き、このマンガを読んだ。
この本のおかげで恋愛と性別を説明する語彙が少し増えたから、幾度目かの「恋愛と性別に対する価値観の文字起こし」に挑戦してみることにした。
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私の性自認は、心身ともに女である。
しかし、私は自分に「女」という価値がつくことが怖い。
ナンパ、パパ活、水商売等々に通常以上の忌避感を持っているのはおそらくこれが原因だ。
「(若い)女」には価値がある。
それを源にしたらお金が容易に手に入るようになり、承認欲求が満たされ、色々な意味で高水準な生活ができる。
しかし、そこに「私」の価値は何もない。あと数年経てばその価値は瓦解していく。
そんな形だけの空虚なものに自分の価値が縛られてしまうことが怖い。
かといって、若い女としての自分に価値を感じてもらえないのも嫌だ。
自分が「自分」である前に「女」として見られることは嫌なのだけれど、かといって女としての魅力を感じてもらえないことも嫌なのだ。
わがままか。
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次は性的嗜好の話だ。
私は自分がセクシュアルマイノリティに属すると思ったことはないけれど、かといってマジョリティに属するかと言われるとそれも違う。
自分の恋愛対象が異性だと言い切れないからである。
女の子は可愛い。
良い匂いがするし、外見を磨くことに余念がないし、私の変化に気がついてくれて褒めてくれるし、したたかだし、周りをよく見て気が使えるし、可愛い。
外見が好みの女の子は可愛いし、例え好みでなくても(今日もアイライン綺麗に引いてるな)(今日はいつもと髪型少し違うんだな)と努力の跡が見えて可愛い。
特定の女の子に恋愛感情を持ったことはないけれど、私に恋愛感情を持ってくれる女の子がいたら真っ当に恋愛をする。と思う。
そして、この感覚が女の子全員に共通する普遍的なものなのか、はたまた私がマイノリティで女の子も恋愛対象としているのか、私には判断がつかない。
性別や性的嗜好は点で捉えられがちだけど、模試の成績とか体力測定の成績みたいに面で捉えるくらいしないともうダメだと思うんだ。平和な世の中では性別は多様化するものらしいから。
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ひとりでいるのも大好きだからアセクシャルの可能性もあるしね、性別は難しい。
おわり。
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追記:「(若い)女」という怖さは自分が若くなるにつれなくなってきた。これは仕事が楽しいとか恋人ができたとか色んな要素があるけれど、結局は時間が解決してくれたんだと思う。
一方、自分の性的指向は未だに分からない。けれど、私の性的指向はもうそれでいいと思っている。女の子好きでも困ってないしね!