![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/99442955/rectangle_large_type_2_3b0101b1b994a1f8345a4bfa4ddf6854.png?width=1200)
春の嫉妬心〜合格祈願と大願成就
『志望校に合格できますように。
試験で実力を出しきれますように。』
“家族みな健康で過ごせますように”を願わなかったのは何年ぶりだろう。初詣の願い事といえば家族の健康第一だったのに。
子どもが産まれて15年めの願いはこれ一択、娘の合格祈願だった。
健康のことはこっちでなんとかする。免疫ケアサプリだって飲み始めた。どうか迫り来る高校受験では無事に合格できますように!!
お賽銭はいつもの5円でご了承いただくことにする。
私より先に賽銭箱の前に立った夫も、いつもより手を合わせている時間が長い。きっと、志望校の名前を丁寧に読み上げ、深々と願っているのだろう。
後に聞いたことだが、家族の健康と合わせて娘の合格をお願いしたらしく、神様を前にして怯むことなく両方を願い出た夫の器用さに少し嫉妬する。
人生で初めて絵馬を書く娘が、『これどっちが書く方?』と表裏を見比べている。そういえば願い事なんて七夕の短冊にしか書いたことがない。初めて手にする五角形の板の取扱いに純粋な疑問をぶつける娘は、未知と無知の狭間できょとんとしている。まだまだ新しいことが待ち受けている娘の未来の底深さに、これまた嫉妬する。
とにかく字を間違えないようにとペンを走らせる娘に注視していると、いつのまにか息子が知らないお爺さんと話をしていた。付き添いの息子も先程の賽銭箱の前では姉の合格を願い、手を合わせてくれたらしい。
絵馬への集中を逸らさない程度に息子とお爺さんの会話に聞き耳を立てていると、お爺さんは息子に自分のスマートフォンを手渡し、これで写真を撮ってほしいと頼んでいる最中だった。
13歳の息子は家族の中で人にカメラを向けることが最も少ない人だ。しかも社交的とはほど遠いキャラで、隠(いん)のつく方の男子だから心配しかない。けれどここで私が撮りましょうと代打を願いでたりしたら、お爺さんの選抜を否定してしまうようで心苦しい。写真撮影を他人に頼むことは他人をも巻き込んだ大事な思い出のひとつだ。ここは息子の力を信じることにした。珍しい石や見たことの無い木の実、奇妙な形の雲、完成度の高い自作のねり消しの写真などを撮りためていることは知っている。
撮影操作は完璧だ。
蕾が開きはじめた梅の木の前でおじいさんにカメラを向ける息子。おじいさんは笑ってカメラを見ている。
絵馬を書くため顔を下に向けている人混みの中で、すんと背筋を伸ばして立つ2人は背景の梅の木の効果もあって春を思わせる光景だった。
『これでだいじょうぶ?いっかい見てくれる?』
私の心配をよそに、息子は写真の映り具合の確認まで促すというプラスアルファの気遣いを見せた。そういえば、いつのまにか私の身長を追い越し、そこそこの声変わりを済ませている息子は、そこそこ頼りがいのある男子に見えたのだろう。ドギマギすることなくお爺さんに完璧といえる対応を見せた息子に心がジンとした。これは嫉妬ではなく、喜びに見え隠れするちょっとした、なんだろう、やはり嫉妬のようなものだったと思う。
ありがとうと去っていくお爺さんの絵馬には『大願成就』と書かれていた。
私よりも遥かに長い人生を生きている年配の彼の大願とはなんなのだろう。
息子が撮影したあの写真は誰に見せるのだろう。どんなエピソードで話すのだろう。そこに息子は登場するだろうか。どんなアルバムに入れるのだろうか。
私も『大願成就』と絵馬に書いてみたい。
お爺さんにも嫉妬しているような私の心境だけど、今の私の願いはなにかと聞かれたら、小さいか大きいかは別として、やはり今は、娘の合格しかないのだ。
梅の次は桜の春が来る。
満開の桜の下で、硬い制服を着て硬い表情で笑う娘を想像する。
一緒に写真を撮ろう。
カメラマンは弟一択だ。
#合格祈願 #高校受験 #家族の風景 #子どもの成長記録 #春