アトムな秋、読書。朗読『センスの哲学』
男性誌の棚は、雑誌を中心に本が配列されている書店。(写真とは別のお店です)
映画の本。食の啓蒙。服飾文庫3冊。(スペース)、センスの哲学。建築、幕末、戦国時代。
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以上が前列ひな壇。
その他は、時計・ガジェット・恐竜の絶滅。これも気になる。
または、アート・刀剣・昭和50年。クロスオーバーも注意する。
アートは、パワーワードである。コレクションの規則性が重要な気がする。
(しかしこの時、男性誌の棚では、アートは主流派ではなかった。季節と流行があるのもアートです。
サロンでないもの。ルーブルの、るるぶ攻略本は、ルールを(やや)破るアート史のお勉強である。)
巨大なモノリスとして、女性誌の棚は、フィガロジャポンの男女クロスオーバー比率が気になる。
少女マンガは、少年マンガに。
少年マンガは、少女マンガに。
この流れはある。
アーティストCLAMPは、その配列があったと思う。
CLOVERとレイアース。
センスがアップする。
・
なめらか文章というのがある。
なめらか朗読もある。
その「なめらかさ」は、リアリティをともなうものという意味ですが、リアリティについては、ややもすると、ないがしろになる事もある。
(なめらかは、すなわちデコボコのことです)
人間と社会とかって(便宜上の)区分をつくっても、境界はあいまいになるのが世の常である。
リズムの、一定である様、一定でない様。
卑近な例なら、高収入バイトの広告カーは、リズムを考えることが出来そうです。
広告は、時間のテクノロジーと拘束に依拠した課金システムだと思うので、その点では、ラカン流の広告というのは偶然性に作用されるような気がする。
ほしいものが、あるかない、そういう事がストリートの広告が意識されて、うまく行くケースは技術がいる。
文章は、キラキラの映像と対比されることによって映像が「前」に出てきてしまう。これはショットだから、そうなんだと本書の話ですね。
ショットがショットだからという話は、基礎の基礎とまではいかないでも、時間を限界まで分割したら、最大の時間は何かと素朴な疑問がある。
パチリ、指を鳴らす間の最小時間が意識される。
これで、本書の前半部分。
朗読は、後半を中心に聞いたのですが上手く説明できず、オーディブル、この能力として聞く力が意識される。
またまた聞き直す反復なり。
アトムは関係なし。秋だけがある。
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