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暗幕のゲルニカ(原田マハ)


作者を知り、己を知る


わたしは美術はほとんど分かりません

教科書に乗っているような有名なものだけ

なので「ゲルニカ」に出会ったのは、

中学二年生の頃、週に一回の美術の授業の一回だけです

当時は、キュビズムと言われてもよく分からず、

加えてスペインの街の空爆の惨状と言われても、

現代の日本と時代も地理もかけ離れた、

まるで異世界の出来事のように感じられました。

ただ不気味な絵、というだけで、

失礼な話、まじで理解不能

授業は寝てました

ただ、本作を読了後に当時を思い返すと、

ふと気づいたことことがありました

それは「ゲルニカ」に出会った美術の授業ではなく

二年生時の修学旅行です

我が校の修学旅行の行き先は、広島でした

被爆者の公園や原爆ドーム、資料館、平和記念公園など、

とにかく平和学習まつり

平和学習の内容はおいておいて、

気づいたこと、思い出したのは

旅行中、何故か「ゲルニカ」が頭の中にまとわりついていたことです

資料館で見た被爆後の街の惨状、焼け爛れた人の山を残酷に淡々と移した写真の中に、

わたしは「ゲルニカ」を重ねて見ていました 

私にとって「ゲルニカ」の不気味で恐ろしい印象は、広島への原爆投下の惨劇に当てはまりました

美術は、誰もが平等に汲み取ることのできる普遍的な意味を持つものでは決してなく、

見る側の背景によって変容するものなのかもしれないですね

そう考えて一部読み返してみるとこんなシーンがありました


カンヴァスに描かれた、大きく開け放たれた窓。ここ、グランゾーギュスタンのアトリエの窓だ。窓の向こうには、雲ひとつない青い空が広がる。その窓辺に一羽の白い鳩がとまっている。
鳩は、大きく翼を羽ばたかせ、いましも空に向かって飛び立とうとしている。鳩は、いっとき殺されかけた。潰され、血と涙を流し、息絶えるかのように見えた。けれど、ついに解き放たれた。息をつなぎ、翼を震わせ、再生を果たした。その翼を押さえつけ、痛めつける者はもういない。このさきは悠々と自由な空に飛翔するのだ。
その「鳩」の絵は、ピカソからドラへの最後の贈り物だった。

「鳩」には、
ファシズムの暴挙に抗ったピカソの歴史があり、愛人として潔く身を引くドラの歴史がある

ピカソの愛人が彼のもとを去る際に持って帰った鳩の絵

ただの鳩の絵の描写

しかし、そこには描いた人間と見る人間の歴史があって

大戦を通じたピカソの苦悩のそれを支えたドラの誇り、そしてピカソを手放す彼女の断腸の想いが浮き上がるように感じました

絵画は、作者の物語や見る側の物語が絡み合って意味を成すもなんだなぁ、

それだったら美術って身近で、面白いもののんだなぁ

じゃっかん適当

以上、本作の感想です

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