詩だよ 面白くはないよ 恥ずかしいからあんま見ないでね 巣食われた心 誓わせてほしい。 きっと、何があっても穏やかに愛していきます。 何も言わないでいいの。 何も見えなくてもいいの。 阿呆だね、なんて、幸せだからいい。 ここにはゆりかごみたいな時間だけ、そう思っている。 すぐ割れた心 やられた。 まさか、あると信じてたものがなかったとか、そんなこと。 食い散らかされて吐き捨てられた私の些細な好意が死んだ魚のような目で私を見ていたり、鬼の居ぬ間に洗濯ならぬ逃避の選択
あなたの命には意味がありますか。 ねぇよそんなもん、思い上がるなそこにあるのはただの命だ そんな使い古された言葉は置いておこう 生き急いでいる。なぜなら、まだ何者にもなれていないからだ。 生まれて二十余年、私は未だに無名無実の一般人。 小さな頃に憧れたようなプリティーでキュアキュアな戦士にも、ときめきが止まらないような少女漫画家にも、萌え声でオタク達をズッキュンさせる歌い手にも、モニターに向かって話しかけ続ける配信者にも、頭の中の世界を描き出すイラストレーターにも、なれて
「初めて」の経験は一度しかない、なんて当たり前の話。生まれて初めて食べたものがめちゃくちゃ美味しくて、同じ味を求めて探し回っても最初の感動に敵わないなんてこと、珍しくもなんともない。 二度と元通りになれないこと、なんて一度きりだ。 だけど、人生で何度か経験することであっても、1回目、2回目、3回目はそれぞれ1回きりしかないんだよねって、それも当たり前の話。 同じ場所に何度も行くことがある。 例えば千葉にある夢の国とか。 初めて行ったのは3歳のとき。楽しみすぎて当日大熱を出し
私のデスクは現在、営業所の広さの都合上、給湯室の端っこに位置している。流し場のところのスペースに置かれたカラーボックスの上に1枚板を置いたところにパソコンと書類を載せ、1平方メートルもないだろうくらいの激省スペースでパイプ椅子を置いて作業をするのが現状なのだが、その私の真後ろにある流し場がマジで地獄だった。 今日、仕事の合間に2時間半の「何もするべきことがない時間」が爆誕してしまった私は、耐えかねて排水口の掃除をすることにした。 流し場がどう地獄だったのかを説明したい。
私はあなたが好きです。大好きです。 愛しています。 そう言葉にしてしまう時、どうしても嘘をついた気持ちになる。 発言するその瞬間までは本当にそう思っている、と思っている。なのに、音となって喉を震わせた言葉が空気を経由して耳に届く時、その音の並びは酷く信用ならない、薄っぺらなものとして響くのだ。そして、特に自分の気持ち、もっと言うなら好意的な気持ちを表現する時にこの感覚は強くあらわれる。 好きなものを好きだと言えることは素晴らしい。 好きな人に好きだと言えることはありがたい
うだうだと這い回るように、紙の上の文字を指でなぞって読む。 貪るようにインターネットに溢れる文字の奔流の中を泳ぎ進む。 私の主食は実は文字だったのではないか?と思うほどに、文字を読まねば物足りなさ、ひいては息苦しさを感じるような人間である。 紙魚(しみ)という虫がいるのをご存知であろうか。私は大して紙魚ちゃんに詳しいわけではないのだが、紙魚とは書いて字のごとく、紙を好んで食べる害虫である。梅雨の季節になると発生しやすく、本やダンボールなどを食い荒らしてしまうのだとか。 私は
私は両親と仲が良い一人娘である。特に父親とは仲が良い。 父と母の両方に似ている。 外面では、顔の輪郭や目元は完全に父に似ており、立ち姿や歩き方は完全に母のそれである。私の筆跡は父親の男性らしくない丸っこい形とよく似ているし、私の選ぶ文房具は母親と被ることが多い。しかし、選ぶ服のセンスは父とも母とも微妙に重ならないような気がしている。 内面の部分では、形あるものを蒐集することに悦びを覚える部分は父親譲りで、細々したものを工作して手作りしようとするところは母親譲りである。父親と
感情に正解なんてないんですよね。 ピアノと僕小学生から高校生くらいまで、ピアノを習っていました。 きっかけは些細なもので、母の実家や親戚の家にピアノがあって、それを弾ける母が羨ましかったから。母方にも父方にもピアノ経験者がいたのは恵まれていたと思います。ピアノを習っていたおかげで学校の音楽の授業は本当に楽だった記憶があります。 しかし僕は決してピアノが「上手」とは言えませんでした。なぜなら、僕はある程度音が正しく追えるようになりリズムも正しく取れるようになると、その曲への意
漫画家になりたかった過去の僕は、ほんとに漫画家になりたかったんだろうか。 絵を描くのが好きでした。 小学生の頃の僕は本当に絵を描くのが大好きでした。入学式のあとに配られた、休憩時間に好きに使ってよい自由帳が僕の全てでした。 当時「ちゃお」しか少女漫画誌を知らなかった僕は少女漫画ばかり描いていましたから、同学年の女子に大変それが受けて、クラスの垣根を越えて回し読みされるような状態でした。授業中に僕の漫画を読んでいた子が先生に見つかって、何故か僕まで先生に注意されるみたいなこ
そんなことある? アンデルセン童話に『裸の王様』ってあるじゃないですか。心が清い人にしか見えない特別な服を売りに来た商人(詐欺師)に自分が見えない=心が清くないと思われることを恐れ、民衆の前に出るまでそれが誰からも見えない(騙されていた)ことに気づかなかった王様の話。このまとめ方でちゃんと説明になってるか甚だ自信がないけども! あの話は子供のセリフによって王様が一気に恥ずかしくなるがしかしあとにも引けないみたいな終わり方だったと思うのですが、それは置いといて自分にめちゃくち
僕の愛すべき友人は、今日も推しの幻覚を見ています。 こんにちは。皆さんいかがお過ごしですか。 僕は元気です。元気に今日も推しを推しています。言わずともうバレてる前提で話を進めるのをやめよう。 そう、別に隠すつもりもないので言いますが僕はオタクです。某アイドル育成ゲームの某アイドルキャラに心臓を鷲掴みにされてしまい日々供給に悲鳴をあげるタイプのオタクです。もっと言うとそんなにお金をもりもり推し活にかけられないのにグッズを買いたい欲が強くて上手くやりくりしながら赤字になるタイプ
何となくふと思い出したこと。 僕が中学生の時のことだ。3年間のうちに何度か、若い先生が新任や異動でやってきたことがあった。皆さんにもきっと覚えがあるのではないかと思う。 新しくて若い先生というのはどうやっても生徒の興味を集めるものだった。自分たちと歳も近く、感性にもどこか似通ったところがあって親近感が湧く。僕も例に漏れず新しい先生には興味があった。 最初の自己紹介で、答えられる範囲でなんでも質問していいよタイムなるものを設ける先生も多かったし、そんな時間をわざわざ作らなくと
積まれた本に哀愁は感じない。 さて、僕には本を積むという癖がある。ここで言う「積む」とはそう、買った本を読まずに本棚の肥やしにしたまま放置するという意味での「積む」である。 いや待って欲しい。もともと本を積むたちではなかったのだ。高校生までの僕は本を積むことが逆に一切できない人間であった。図書館で借りた本は休憩時間まで読むのを待てずに授業中にこっそり読み進めたことが一度二度三度…数え切れないほどあった。母が自分で読もうと思って買ってきた小説であっても許可をとって即日読破な
こんにちは。兎角です。 今日は過去に書いたお気に入りの詩を載せていこうと思います。 一応時系列に並んでいるはずです。 各々テーマがあったりしたのでそれである程度分類しつつ載せていきます。 その1、手紙未満 まずは、かつて友人と交換しあって感想を言い合っていた頃の詩から。 批評 話しやすいねと言われて 形を確かめた 柔らかいですか 分かりやすいねと言われて 我が身を省みた 滲みでていますか 価値が安いねと言われて 肩身をちぢ込めた 薄っぺらいですか 騙されやすいねと
兎角(とかく)です。 文章を書くのは下手くそですが好きです。 人の書いた文章からしか得られない栄養が好きです。 普段は別の畑でなんやかんやしていますが、実はだいぶ前から文字表現にも興味がありまして、一瞬だけ字書きの名義も作って書いていたことはあります。が、あんまりにも小説に向かない文体なのでやめてしまいました。 とは言え僕の文章には相当クセがあるらしいので、読んでいれば分かる人には分かる…と思います。 高校生の時、クラスで日直が学級日誌を書くというのがあったのですが