積まれた本に哀愁は
積まれた本に哀愁は感じない。
さて、僕には本を積むという癖がある。ここで言う「積む」とはそう、買った本を読まずに本棚の肥やしにしたまま放置するという意味での「積む」である。
いや待って欲しい。もともと本を積むたちではなかったのだ。高校生までの僕は本を積むことが逆に一切できない人間であった。図書館で借りた本は休憩時間まで読むのを待てずに授業中にこっそり読み進めたことが一度二度三度…数え切れないほどあった。母が自分で読もうと思って買ってきた小説であっても許可をとって即日読破なんてざらにあった。
まじで活字が大好きだ。文字は動かないし裏切らない。証明になる。逃げない。手のひらを返さない。素敵だ、こんな人になりたい。それは流石に冗談だが。
が大学に進学したあたりから僕の活字との相思相愛ライフは突如終わりを迎える。
そう。
時間と読みたい本の量のバランスが崩れた。
簡単な話である。これまではお小遣いの範疇で本を買い、図書室で今読みたいものを借りて返すまでに読み、そんな生活をしていたのだから積むはずなどないのである。読みたい本こそ沢山あったが買うとなると話は別で、数千円の中で他にも欲しいものがある中で配分を考えているとどうにも思い切り良く買えないのだ。つまり、僕の手元には常に読み切れる量だけの本が適切にあった、ということになる。
さてそこで大学生、バイトを始める。お給金を手にする。これまでのお小遣いとは訳が違う額が手元にある。そして大学のひろーーーい図書館。研究に使えそうな専門的な本まで大体は網羅されて揃っている。ヤダどきどきしてきた。そして極めつけは大学内の購買の奥の書店コーナー。購買のくせに新書も小説も参考書も専門書も揃っているのだ。本好きとしてはこんなに知的好奇心を刺激する空間はない。急に目の前に現れた数多の本たち。あれも読みたいこれも読みたい、でも順番に…今読める分だけ…という買い方が如何に阿呆であるか、同志の皆さまなら分かっていただけるのではないだろうか。
基本的に本というのは一期一会なものである。その時その瞬間出会ったからこそ読みたい、読める本というのがあるのだ。こんな経験はないだろうか、今持ち合わせがないから今度余裕のあるときに改めて買おう、と棚に戻した本に以後二度と書店で出会うことなく思い出すことすらしないという……。な、なんて、僕はとんでもないチャンスをドブに捨ててしまったのか。いや忘れてんだからその程度だったんdそんなことありませんけど!!!?!!?(大声)
…ゴホン
とまぁその頃から徐々に本を一度に数冊まとめて買うようになり、いざうきうきでその本を読めるかというとそうではない。なんたって忙しいのだ。レポートを書くために「読まなければならない」本も沢山ある。友人と課題を進めたり、時には息抜きに遊びに行ったりもする。(高校の時は違ったのかって?嫌だな言わせんなよ遊ぶような友人なんていなかったんだよ)
本に割く時間がどんどん減っていく。しかし目の前に現れる本の数は爆発的に増える。自由に使えるお金が判断力を狂わせる。結果僕の積読は70冊にまで膨れ上がった。卒論にも使えるなーと思って買った本ですら積んで読まずに卒業してしまっている始末である。どうして?どうしてこうなった…。
さてここまで話してきたが、「じゃあ紙の本買うのやめたら?」とかいう声がどこからか聞こえてきそうである。
「Kin●leとか使ったら便利なんじゃない?いつでも本が読めるし持ち運びもかさばらないよ」
…甘あぁあああああい!
いや別にこんな大声出すことでもないんだけど。薄々お気づきの方も居られると確信しているがこの僕とかいう生き物、まじで電子書籍が嫌いなのである。電子書籍で読んでいいのは漫画だけだと思っている。いやマジで。漫画ならまだ分かるだがしかし小説や新書たちお前はダメだ。
紙の質感が好きで、匂いが好きで、あの手に収まる文庫本のサイズ感が好きで、申し訳程度に手に優しく負荷をかけるあの重みが好きで、年季が入って日焼けしていくのが好きで、ページをめくるあの手の動きが好きで、何度も読んで少しずつ柔らかく手に馴染むのが好きなんだ。この全ては画面に表示された文字を追っていく形で満たされるものではない。僕は「本」というものがそもそも好きなのである。
あとくそどうでもいいと感じる方も多いかもしれないが電子書籍は別にその本が所有物として私の手元にあるわけではない。あくまであれはデータの蓄積されたサーバーかなんか知らんけどそんな感じのデータにアクセスできる権利を買っているだけであって財産として手元に残るものではnそんなこと言ったらソシャゲの課金も似たようなもんですけどあれはまた別だからいいんだよ好きにやらせろ!
そういうことです。どういうことです?
なんでこんな話を急に書こうと思ったのかと言うと、つい先日大学の時から仲良くしている方と電話で話す機会があって、その時についにK●ndleに手を出した、めちゃくちゃハマってるヤバい、って話を聞いたんですよね。
いやーとにかく本を読むって言う点ではめちゃくちゃ便利ですよね電子書籍!でけえ本棚があのちっちゃい板の中に入ってるようなもんだもん!そりゃ便利だよ!本の形にこだわなければ全然あり!便利!最高の発明!
ただそれはそれとして彼は本を買わなくなったわけではなかった。彼は古本屋が大好きでよく行くのですが、未だに足を運ぶたび5~10冊ずつ本を買っては自宅の本棚を圧迫しているのだとか…。
ちなみに僕も今こそめちゃくちゃに自制して本屋も古本屋も行かないようにしているので積読は70で一応留められていますが行ったらそのくらい買うでしょう。てか買わない方が無理だ。古本屋はもっとやばい僕の本能が警鐘を鳴らしている。入ったら負けだ。
そうです。
我々本好きは結局どうやっても本を積みます。だって本が好きだから。
そりゃ上手いこと時間を使って読むペースと買うペースのバランスをとっていればこんなことにはならないのかもしれないです。そんなこと分かってます。でも色々生活のことだってあるし仕事だって他の趣味だってあるし人間関係だってあるしたまにはぼーっとしたいじゃん!やりたいことの量が多すぎるんだよな!
先程もちらりと触れましたが、もう僕本屋に行くと本を買ってしまうのがもう分かりきってるので本屋は行かなくなりました。まずは積んでる本を読まないと次を買わないようにしないと!!んで見たら買いたくなるからそもそも視界に入れないようにしないと!!これです。これで今半年間本を増やさずに済んでます。めちゃくちゃ損はしてると思う。嫌だったら読め!ってね。
でもこうも思うんです、本好きなんだから読みたい本はめちゃくちゃあるけど全部読めるはずないじゃないですか。だって1年に出る本の冊数って知ってます?70000冊以上ですよ、1日辺りになおすと200冊にものぼるそうですよ。無理だって速読できるならまだしもそもそも活字をゆっくり目で追うのが楽しい僕には無理だ!
それにこれはその古本屋友人がお知り合いの先輩に言われたことだそうですが、積読なんてその本を読むタイミングが今じゃないだけで、本を読み終わった未来から見ればその本はもう読んだものなのだから積読なんてものは存在しない、と。我々今積んでいようと未来には絶対読んでいるのだからそれは読むのが今じゃないだけ、何も気に病む必要は無いのだと。
何の話だっけ?
だから本はいいぞ、積んでも悲しくないぞ、って話でした。