形が無い欺瞞
私はあなたが好きです。大好きです。
愛しています。
そう言葉にしてしまう時、どうしても嘘をついた気持ちになる。
発言するその瞬間までは本当にそう思っている、と思っている。なのに、音となって喉を震わせた言葉が空気を経由して耳に届く時、その音の並びは酷く信用ならない、薄っぺらなものとして響くのだ。そして、特に自分の気持ち、もっと言うなら好意的な気持ちを表現する時にこの感覚は強くあらわれる。
好きなものを好きだと言えることは素晴らしい。
好きな人に好きだと言えることはありがたい。
だがしかしそうやって心の中を言語化するたびに私がその好きだという気持ちを信じられなくなっていく。この言いようのない不安と絶望があなたに伝わるだろうか。
名前をつけられてしまう前の、言い表しようもなくモヤモヤと漂う境目のない気持ち、漂う煙のような不確かさだけが真実だ。それは社会の基準に照らし合わせてそれらしい言葉で定義づけた途端に「それ」としての振る舞いを求められ、窮屈だと悲鳴をあげ、「まさかそんなこと思ってなかった」なんて、なんてわがまま、なんて傲慢、なんて逸脱、こんなにも苦しい。
人間の言葉は画一的な意味で私たちを一般化して、分かりやすく見せてくれる。便利なツール。しかしその便利さの裏には筆舌に尽くし難い小さなニュアンスのぶれがあり、一人の人間として私をぶつけるにはあまりにも狭く、ただの言葉でしかないことを、私は忘れたくないと思う。