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母の置き土産(下)

これは昨日の記事の続きです。

 脳に病気が転移した母が、それまで毎年作品を出していた書道展の作品を孫に無茶ぶりしたと同時に、母には更にもう一つ書きたい作品がありました。

「酒はのめのめ のむならば 日の本一の此の槍を 呑み取るほどに呑むならば これぞ真の黒田武士」

突然。母の口から余りにもすらすらすらとよどみなく流れ出たその言葉の意図が読み取れず、最初は「ん」と思いました。

書道展に二作品も出そうと思っているとは想像もしなかったので、それが展覧会に出そうと思っている文言だとわからなかったのです。

母はすぐにまたイメージ図を書き始めました。

頭にイメージする図がそのまま書き表せない気持ちは私にもよくわかります。

もう一つの李白ミッションを完了した妹ファミリーが行ってしまった後も、私は出展締め切り間近まで、容赦ない母のダメ出しを受けつつ、何度も、何十枚も練習し続けました。

字と言うよりも絵を描かなくてはいけないと言う事に最後の最後まで苦しめられました。これは初期の頃、どんな絵の構図にするか模索中の時のもの。

出展する作品が、どちらも「酒」。
母の晩酌は焼酎でしたが、病気でお酒が飲めなくなったから、頭の中はお酒で一杯だったのでしょうか。

また、ずっとヘビースモーカーだった母は、制御が効かなくなってからはタバコもよく吸いたがり、まだかろうじて歩けた頃は、突然台所に行って、細く丸めた普通の紙に火をつけて、それをタバコのように吸ったりしました。

「・・・うまくね・・・」(美味しくない)

と吐き捨ててポッと三角コーナーにそれを捨てました。
拗ねた子供のような素っ気ない仕草でしたが、顔にはありありとタバコ吸いたいな~という未練が見て取れました。

母のこんなまともじゃない行動が切なくて不憫でどうしようもありませんでした。

昨日の記事の通り、母は、この頃からいよいよ眠らなくなり、夜通し大声で叫び続けるので(田舎なので周りに人が住んでいなかった為、近所迷惑にならなかった事は幸いでした。)

そして21:00に母に飲ませるよう出された睡眠導入剤も、2時間も持たず目を覚ましてしまうので、できるだけ薬を飲む時間を遅らせて、何とか目が覚める時間をもっと後に遅らせようともしましたが徒労に終わりました。

夜中になると

「お~~~~~~~い、ユウ!ハザカイユウ!!朝だ~起きろ~~~~!!💢💢💢」

と声の限りに叫ぶのです。

私のベッドは二階にありましたが、母は寂しいのかと思ってすぐ隣の部屋に寝たり、母のベッドの下に布団を敷いて寝たりしましたが、私がどこで寝ているかが問題ではありませんでした。

母は何かと戦っていました。

常に喧嘩腰でお怒りモードで
「頭引っ張って~~!」と言ったりしました。母の体内で何が起こっているのか、頭を引っ張られても気持ちがいいわけがないのに「引っ張って~~~!」と叫び続け、本当に引っ張ると心からホッとしたような顔をする母を前に、私はどうしたらいいのかわからず、連日の寝不足で、ぼんやりと「ああ~こういう毎日を続けてたら私も頭がおかしくなるかもしれないな~」と思いました。

 ある週末、手伝いに来てくれた妹が、一晩私に代わって昂る母を見てくれましたが、その翌朝には燃え尽きて真っ白になったあしたのジョーのようにゲッソリして

「・・・お姉ちゃん、こりゃダメやわ。」

と一言つぶやきました。そして母は病院に戻る事になりましたが、病院に行くと「もっと早く(病院に)戻って来られるかと思っていました。」と言われました。

(ちなみに家に帰るように言ってきたのは病院です。ある一定期間以上は連続して置いておけないとかなんとかで。)

心が壊れそう、というか、もしかしたら少し壊れていたかもしれませんが、母と過ごしたこれらの日々が、本当に強烈に今も心に焼き付いています。


自分の書道教室の生徒でもないのに、母の頼みという事でこうして出展させてくださった、母の書道の先生には感謝しかありません。

こうして、苦痛な程に向き合わされた書道(苦痛なのは絵の方でしたが)。

私がnoteで、こうしてイラストアプリを活用して、自分の画力をカバーしてもらいながら、書と合わせたモノを出すようになったのも、母が私に遺していってくれた楽しみなのです。

当時、絵もちっちゃく入れればこうしてシルエットで誤魔化す事も出来たのにな~と思います。


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