見出し画像

魚を食べるエキスパートはどっち?

何か広州の事を書いたら話がそれました。これはこの記事の続きです。

 四方全てを海に囲まれている島国日本。そして日本海の豊富な海の幸に恵まれた富山県民の私。

 私は、それまでずっと魚の食べ方のキレイさには自信がありました。日本に居た時も他県出身の人たちからは「魚キレイに食べるね~」と褒められておりました。

私の中では広州でも香港でも中国の人は皆キレイに食べる事に全くこだわりがなく「食い散らかしている」という印象しかありませんでした。

そもそも「骨を取り外そう」としない。

肉にしても魚にしても骨付きのまま口に放り込み、口の中で器用に骨と肉を分けて、あとは「ペッ」と吐き出すという全く美しくない所作。

大人数で食べる時は特に細かいところまで食べるこだわりがなくて、ただ好きな人だけが骨をしゃぶっているという認識でした。

でも結局は口から「ペッ」と吐き出すので、そのテーブルの上に山となった「吐き出された物体」を直視した事は勿論ありませんでした。

それが結婚直後、お姑の家にほぼ毎晩ご飯を食べに来ていた時の事。

お姑が作ってくれるメニューは①茹でた野菜②蒸した魚③長時間煮込んだ中華スープが固定でした。①②③中身の種類が変わるだけで延々とこのヘビロテです。

で、②蒸した魚なのですが、ある晩、私が食べ終わった後の魚を、私がいつも通り捨ててからお皿を洗おうとするとお姑がすかさず「捨てるな!」と言ったのです。

「???」

何だろう?いつもなら普通に捨ててたのに?魚ならキレイに食べました。

無題51

頭と骨と尻尾。

ところがお姑は「ココが一番美味しんじゃないの」と言って頭からバリバリと私達が食べ終えた魚を食べ始めました。

無題52

モシャモシャモシャモシャモシャ・・・・・。

お姑のモシャモシャタイムが永遠に続くかと思われる長い時が過ぎた頃、「プッ」とお姑の口から吐き出され、皿にコロン、と落ちた物。

グシャグシャっと丸めて捨てられた紙クズのような物体。

無題53

(えっ??!どゆこと!?)

それは私が取り外した皮(日本人て魚の皮外す事も多くありませんか?多分、魚介類の寄生虫が皮と肉の間に居る事が多いから?)も含めて、頭や骨や尾びれのエキスを、まさに骨の髄まで吸い尽くし、しゃぶり尽くした成れの果てでした。

私は皿洗いをするので、お皿の上に乗ったその紙クズみたいな魚の成れの果てをマジマジ見つめました。

魚を覆っていた灰色の皮膚のネトッとコラーゲンっぽい感じや、さっきまでの魚を食べ終わりましたという私達の終止形を彷彿させる形状は、まるで留めておらず、本当に湿度を微塵も感じさせないカラカラのパサパサのただの繊維の塊、紙クズそのものでした。

(さ、魚ってココまで食べる事ができる物なんだ!!!)

私のそれまで生きてきた人生の中の魚の概念を根底から覆す出来事でした。

食べ方が美しい云々とか、そういう次元の話ではありませんでした。

お姑はどうやら私が結婚するまで、どうやら色々と猫をかぶっていたらしく、その後も色々驚きな事実が発覚していくわけですが、この「魚紙クズ事件」は、魚の国日本代表、富山県民ハザカイユウの魚好きのプライドを完膚なきまでにぶちのめし、木っ端みじんに砕いてくれました。

お姑ほど魚を布団圧縮袋に入れて全てを吸い尽くしたミイラのようにできる技を持つ香港人は、それ以降も見た事はないものの、香港人達は確かにこういう鍋を好んで食べるのです。

「豚骨魚頭鍋」

丸揚げして半分に割った魚頭と、肉が若干こびりついた豚骨以外は野菜と湯葉しか入っていないこの鍋。

画像1

やっぱり彼らも、これらの骨を肴に、延々としゃぶりながら野菜鍋を食べるのでした。

この鍋で肉類は魚の頭か豚骨以外はないので、骨にこびりついている肉をこそげ取りながら、骨をしゃぶりまくるのです。

私はこうして日本人は「魚を食べるエキスパート」ではないどころか、「食べるエキスパート」でもない事を思い知らされたのでした。


画像2



サポートしていただけるとありがたいです。