喫茶の唄
カフェに行く。下から本、本、手帳、けーたい、と重ねて、手帳を開き、本を開き、集中が切れたら次の本を開き、気づくとけーたいが一番下になっているのを見ると落ち着く。心との距離がはっきりと、しっかりと、適切に遠ざかる。
蕪木
いつもコーヒーカップを鼻に近づけるときが一番ドキドキするし、はああ、鼻腔が喜んでるな〜と思う。冷めたコーヒーは、ほんとに夢から覚めたみたいな(ギャグではない)気持ちにさせられて、思ったより時間が経っていたことを知り、あ、もう立ち上がらないと、と思わされる。どの背中も本を携えて一人だった。入るときも見たはずなのに、ドアを開けると木の緑が目に飛び込んできて、眩しいっとなる。ずんと彩度が落とされた店内にいたことを思い出す。
不眠荘
濃く苦いテリーヌを、深煎りのコーヒーで溶かす愉悦。コの字のカウンター席から外れた、ぶ厚い壁に囲まれたちいさな部屋は独房のようだった。ここにいるとなんだか、そんなはずもないのに、なにかを懺悔したくなるな、壁を前にすると人間はこんな気分になるのだと新鮮に思ったら、のちのちお店のインスタで懺悔室があります、と書かれていたのを見て。お店のドアを開けて覗きこむのは、緑とは対照的に錆びついた鏡。
pásele
室温が脳の温度と同じなのか、入った瞬間良い意味ですべてが鈍くなった。やけどしそうなくらいあついあついホットチョコレート。口の中で泡が消えるときの音、ちいさなボウルのようなカップ。座ったときの目の高さに窓があって、店主の方がふらと外に出ると、窓枠の、額縁のなかにおさまった。写真が撮れないお店でよかった。良い写真を撮らなくていい。夢のようであっていい空間。長田弘さんのエッセイを読んだ帰り際、眺めた店内の本棚には『わたしの好きな孤独』があった。なるほど〜。この本を読んだ人が、この空間を作ったのだ。