ゆるく生きることを選択したうつ病者
とりあえず生きててよかった一年
世間は大みそからしいです。僕は社会からかけ離れた限界休職者ですので、もはや年越しだろうが日常の土日だろうが余り変わりません。羨ましいと思われる方、決してマネしちゃいけませんよ(笑)
TVをみても、リアルな友達の動静をみても、みんな年越しで忙しいようです。コロナが五類分類された後の初の年末年始ということもあって、帰省される方も多いようですね。良いことだ。徐々に正常へ向かっていってほしいものです。
さて、今年は皆さんいかがでしたか?
僕は年末年始どころか1年の半分くらいは寝てました。一日10時間は寝てたと思います。それどころか1~3月はもはや生きる屍でした。
「生きてていいのか?死んだ方がましなんじゃないか?」という自問自答をずっと繰り返して最終的に友達と酒を飲みまくって「ま、いいかぁ」と諦めたアル中ENDを迎えています。
同じようなことを思った方、もしいらっしゃったら僕と一緒に「とりあえず生きててもよい」という人生を歩んでみませんか?
生きる意味がわからない
めでたくうつ病になった僕。幸運だったのは友達が非常に少ない(笑)わりに心配してくださった方はまあまあいまして、各所から「体調は大丈夫か」「ご飯は食べているのか」「生きているのか」といった連絡が来ました。
中には直接会って話をしたりして、励ましてくれたり勇気づけてくれたりしました。が、僕の人生の問題を解決してくれる人なんていなくて、人生究極の「僕はなんで生きているのか」なんて問いに誰も答えをくれませんでした。アドバイスはくれるけれども、じゃあ「yazuはこうして生きればきっと素晴らしい人生を送れる」という明確なビジョンをくれる人は誰一人いません。
いや、当たり前です。みんな自分の人生で手いっぱいです。僕と同世代の友達は自分の子供がいたりしますからそれどころじゃない。
下手に「こうすればよい!」なんて答えを提案したところで、それが上手くいくかどうかなんてわかりません。もしそんなことをしようとするならば、僕という人間を背負って誰かが人生を支え続けるということに他ならないです。
しかし他人の人生まで背負って答えをくれる人なんているはずがない。僕だって逆にこんな質問をされても困ってしまいます。けど、うつ病の人間たる僕はこの思考に陥ると這い上がるのが本当に難しかったのも事実です。
僕はどうせ死ぬのが怖い人間です。
死のうと思って何度イメージしたかも分からないけど実行に移すことなんて出来るはずがありませんでした。じゃあそれに代わる何かを見つけ出そうと生きる理由を探しても出なかった。そして誰も助けてはくれない。社会から見放されたような孤独感は確かに辛かったです。永久機関にまで陥った自分の悩みはただただ寝て過ごしていました。
友人がくれた「生きててよかった」という言葉で分かった
僕は運がいいかもしれません。数少ない(しつこい笑)友人と半年ぶりぐらいに会った時、「生きててよかった」という言葉をもらいました。
「生きててよかった」という言葉は当初皮肉かなと思いました。でも話をしているとそうじゃない。僕の背中をバンバン叩いて「いやよかった」「生きてるだけでなんかあるよ」と言葉を投げかけました。
聞いていると段々僕は「ああ、そういうものか」と感じるようになりました。この友達がどう思ってこの言葉を投げかけたかは分からないんですけど、とりあえず彼女は「yazuは生きてることに価値がある」と認めてくれたような気がしたんです。
生きてるだけでOK。緩すぎる目標かもしれません。僕にとってはそれが有難かった。生きてはダメだと思ってたから。生きてるだけで社会のガンになると思っていたから。
最終的にたどり着いた先は「なんで生きるのか」ではなくて「とりあえず生きててもよい。死ななくていい」というものです。
生きている理由なんて分かるはずがないし、そんなもんは無くてもとりあえずナアナアで生きてもよいということでした。
否定された人生であってもいい
僕はかつて親に「もう生きている価値はない、死にたい」と言ったら「じゃあ死ねばよい」と言って電話をガチャ切りされたことがあります。あれから何年もたちました。親とは絶縁状態です。
そもそも親からは良い人生を送るには一流の大学、一流の会社に入らなければならないと教えられてきました。
一方で僕は残念ながらFラン大学卒、底辺の派遣会社にしか入れない人生でした。親戚を見回しても僕ほど底辺な人間はいません。親が僕を見放すのは当然でしたし、僕も彼らと絶縁するのは既定路線だったように思えます。
自己肯定感が全くない僕にとって、生きる理由を見出すことは恐らく自意識が芽生えてこのかた一点もなかった。時にこの疑問が薄れることはあっても、離れることはありませんでした。
しばしばやって来るこの辛い気持ちを回避することは難しいです。何事も否定しかされない人生において、僕は生きる理由はあるのかと思うのは必定でした。
だからこそ同じ思いの方がもしいらっしゃるなら、僕は心強いです。
まず考えてほしいのは「クソみたいな人生でも死ななくたっていい」ということです。
苦しいから死にたい。けど死ぬのが怖い。この葛藤が頭を悩ませるんです。強い人はこの問題を自力で解決していくのでしょう。一方の僕らは自分では解決できない人間です。だったら、まずはこう考えてみてください。
「誰がこの人生を否定したのか」
「誰が僕に死んだ方がいいと言っているのか」
所詮、これらを言ってる方々は他人か、自分が作り出した空想上の他人です。
理想は高学歴でいい会社に入って綺麗なパートナーと一緒に家族を作るという描きかもしれません。自分はそんな人生に則ってないかもしれない。
でもそれが何故悪いと決めたのか?
せいぜい社会通念上で作られた”理想の他人”が決めつけているだけじゃないでしょうか。その中にいるのは、最終的には全てを否定したい自分でしかないんです。
そんなものに、僕は縛られなくたっていいと思うようになりました。
自分は足りない人間だからこそ、緩く生きることにした
誰だっていいところは一つぐらいあると人は言います。でも現実としてそんなものは持ってない人だっています。僕は頭は悪いし、人づきあいも苦手で誰とも喋りたくない孤独なおじさんです。いいとこなんてあるはずがない(笑)
それこそ時代が時代なら生きることは許されなかったかもしれない。しかしながら、今はいい時代です。とりあえずこんな僕でも生きることに対して否定はされない。ならば、僕はこの社会になあなあで生きてやろうと考えたわけです。生きる理由なんて一つもない。悪いかこん畜生。それでも縋ってやるという気持ちです。
頑張ることはできません。頑張ったら壊れてしまうことが分かったからです。残念です。本当はすごく残念、一生懸命生きた方が格好いいだろうし皆にも認められるかもしれないし。でも出来ないんだ。そういう器ではなかった、しょうがないじゃんって思います。
頑張れないことを権利として訴えるつもりはないです。決して他人に言うつもりはないです。生きづらいかもしれないけど、こんな考えを理解して他人に押し付けようなんて気持ちはさらさらもない。逆に頑張って生きようとしている人たちにも失礼ですしね。そのために僕は底辺の給料や底辺の生活を強いられても、そのペナルティは甘んじて受け入れます。いいじゃん、それだって死ななくたっていいんだよ。
それどころか電車に乗って旅行へ行ける、競馬だって見れる、写真撮影だって出来る。悪くないんじゃない感、ありません?
不安なことはあっても、不満は意外にないことを知った時、まあまあ悪くない人生だと思えるようになってます。
きっと大丈夫
他人から言われて「誰がそんなこと保証してくれるんだよ。気休め言うんじゃない」と思ってた、「君なら大丈夫」という言葉。いざ投げかけられてみると意外に心地いいものです。
このnoteを読んでいただいている方々は、それぞれ不安はあるでしょう。誰も助けてくれないことだって僕は知ってしまった。それでも死ななくていいじゃんって思える人生であってほしいです。
他人と比較するでもない、とりあえず底辺だってみすぼらしかったとしてもいい。うつ病になってから僕なんか図らずも高スペック人間とはほぼ全員縁を切れましたので、おかげさまでいい立場になりました。
いいんです、自分が疲れたなら人間関係まで選択しちゃえばいいんです。相手が悪くなかったとしても距離を置いて何が悪い。そういう人生であっても、「死ななくていい」選択を出来るんです。だからこそ、「大丈夫」と考えられるような人生を僕も送りたいし、皆さんにも描いてほしいと思います。
今後について
長々と書いてまいりました。読んでるだけで越年しちゃいそうですね(笑)さて、今後のyazuの活動をお伝えいたします。
2024年は年初から転職活動です。1年間もボーっとしてきたので社会復帰をすることだけが当面の目標。緩く生きられる設計で行きます。高尚なことは何も求めません。ブラックでない会社であればいいんだけど、こんな底辺能力だとなかなか雇ってくれるところもないだろうなぁ。残業時間が少ないところは選んでいきたい(これが既に高望み?w)
転職したらまずは1年は勤めたいです。上に上がれなくても結構です。淡々とルーチンワークに努めて、自分の身体を慣れさせないとですね。
個人的な話で申し訳ないんですが、国家資格が今年更新を迎えるんでそれだけはちゃんとやりたいです。お金が結構かかりまして、それが会社から出してもらえるのかが若干の心配。
あ、そういや他に一つ資格の更新があるんだ!面倒くせー!(笑)JavaScriptなんて忘れたわ…やること多いなぁ。どれだけできるかなぁ。
まあ、あとは多くは望みません!生きてるだけでよしっ!!
ということで、2023年もありがとうございました。また来年、もしよろしければこんな僕で申し訳ないんですけどお付き合い下さい。