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【21世紀的フランス革命の省察4パス目】「決着はイデオロギー的優劣と無関係に力の優劣によってのみつく」と考える石原莞爾的軍事ニヒリズムの台頭過程。

前回投稿におけるこの記述、考えてみると案外奥深いかもしれません。

いくら故郷で冷たくあしらわれたからといって、フランスで恐怖政治を引き起こしたのも彼らの様な存在がいたからと決めつけるのは、いくら何でも発想の飛躍が過ぎるというもの。まるで、何でも「ネトウヨ」や「オタク」のせいにすれば事足りると考えてる似非リベラルや似非フェミニストの様ではありませんか。

上掲「21世紀的フランス革命の省察3パス目」

ここでいう「オタク=ビーダーマイヤー的存在」とは「まさに革命の機運が高まっているというこの時、個人的享楽に耽溺して肝心の心的エネルギーを浪費してしまう人民の裏切り者」なるニュアンス。
マックス・フォン・ベーン「ビーダーマイヤー時代(1911)年」

同じ誹りなら1930年代、小市民映画を発表した小津安二郎監督も受けています。それも右翼陣営と左翼陣営の双方から。
小津安二郎の「小市民映画」再考―同時代的批判

「聖戦が遂行されている最中なのに不謹慎である」なる不謹慎論法が当時の右翼側から炸裂したのは当然想定範囲内ですが、一方当時の左翼側も「人民にしっかり危機感を認知させ、正しい認識に向かわせるのが映画の役割なのに、中途半端な満足感を与えてどうする?こんなの人民への裏切り行為に他ならない!!」と指摘したというのです。どうやら彼らのプロパガンダが全然、肝心の「人民」に全然受容されない苛立ちも込めての発言だった模様。

そういえば、私がしばしば引用する「日本における戦前最大のマルクス主義理論家」戸坂潤の提唱した自由主義のジレンマ「誰かにとっての究極の自由の追求は、それ以外の全員への専制の徹底によってのみ達成される」も、実際には「だから自由主義は必ず絶対王政に堕してまず滅び、ファシズム国家と共産主義国家の最終決戦となる」と続くのです。そういう結論に至る当時なりの思想総括が実に興味深いので、そのうちまとめて紹介したいと考えています。

もちろんそれが1929年に世界恐慌を経験した1930年代ならではの悲観的思考様式であった事実は動きません。

しかしその考え方は、たまたま王政復古期の陰鬱な雰囲気下でマルクスが到達せざるを得なかった結論と内容が合致していたのです。
的場昭弘「青年マルクスの「革命」観」

(「ヘーゲル法哲学批判序説(1843年)」において)はじめてマルクスの中にプロレタリアートという概念が登場する。

「だから,ドイツの解放の積極的可能性はどこにあるのだろうか。答え。急進的な鎖をもったある階級の形成,決して市民社会の階級ではない市民社会階級の形成の中に,あらゆる身分の解体でもある身分形成の中に,その普遍的情熱を通じて普遍的性格をもち,けっして特殊の権利を要求しないある領域の中にあるのだ。なぜなら,犯すのは特殊な不法ではなく,不法一般であるからだ。それはもはや歴史的ではなく,かろうじて人間的肩書きで徴発しうる領域であり,ドイツ国家制度の結論に対してある一面から対立するのでなく,ドイツ国家制度の前提に対してあらゆる側面から対立する領域であり,こうした特殊な身分としての社会の解体こそ,プロレタリア階級であり,最終的には,従来の社会領域すべてから,したがって社会のすべての領域を解放することなく自らを解放できない領域であり,ひとことでいえば,人間の完全な喪失であり,ゆえに人間の完全な復活によってのみ自らを獲得しえる領域である」

ここで規定されているプロレタリア階級は,経済的利益という点での利益を求めない階級であると同時に,個々人に分離することのない集団である。彼らはつねに集団としての政治的意識をもち,特殊な願望ではなく,一般的な願望をもつ階級である。マルクスは,市民社会的個人の解体とそれによる政治への無関心,そして物的利害への一辺倒を打破する階級を,プロレタリア階級という近代市民社会がつくりだした被抑圧階級にもとめる。

それではどこにプロレタリア階級はいるのか。

それはドイツの産業発展が生み出したものであり,社会の急激な解体から生み出されたものである。社会の急激な解体というのは,農村共同体や都市共同体の急激な解体ということであるが,それは彼らこそ市民社会の本質をえぐるものだからである。私的所有という市民社会の人権を排除された階級であるプロレタリア階級は,私的所有という人権の問題点をえぐる階級として 存在している。

もちろんマルクスはこの時点でプロレタリア階級の具体的な内容について何も知っているわけ ではない。類的共同体という言葉と同様,曖昧な概念だといえる。だから,最後の主張も説得的 であるわけではない。

「哲学がプロレタリア階級の中にその物質的武器を発見するように,プロレタリア階級は哲学の中にその精神的武器を発見し,思考の稲妻がこの素朴な人民の大地に根本から衝撃を与えるやいなや,ドイツ人の人間への解放は実現されるだろう」

的場昭弘「青年マルクスの「革命」観」

困った事に気づきませんか? そう、実はこうした考え方自体は「レーニンの愛弟子」熱狂的共産主義者として出発したベニート・ムッソリーニの構築したファシズム思想の出発点でもあったりもするのです。

「先進諸国にまともに相手にされず、貧乏籤ばかり引かされるイタリアこそプロレタリアート」。この考え方は後にNASDAPに剽窃され「フランスへの過剰賠償金と国際恐慌の余波に二重に苦しめられ、フランスの侵略を受けても(ルール占領)それから自衛する兵力さえ持てない、今まさに滅びんとしているドイツこそプロレタリアート」なるさらに激烈で毒性も強い紛い物を生み出す展開に。

そしてこの話、カール・マルクスがフランス革命を終わらせたのも「オタク=ビーダーマイヤー的存在」と考えていたエピソードへとつながります。

(「ユダヤ人問題によせて(1943年)」の中で)マルクスは政治的解放がなぜ政治への無関心を生んだのかを追求する。

「まさに自らを解放し,さまざまな人民の枠を壊し,政治的共同体を基礎付けようとするこうした人民が,仲間や共同体から分離した利己的な人間を厳かに宣言する(1791年の宣言)のは不思議なことである。さらに,英雄的な献身のみが民族を救い,それが命令的に要求されるそんなとき,市民社会のすべての利益を犠牲にすることが日程にのぼり,エゴイズムが罪として処罰されることが宣言される(1793年人権宣言)のは不思議なことである。公民であることは,政治的共同体が,政治的解放者によっていわゆる人権の維持のためのたんなる手段に陥れられ,したがって公民が利己的人間の召使となり,人間が構成員として関係する領域が悪化し,最終的に公民としての人間ではなく,ブルジョワとしての人間が本来の,真の人間として捉えられるというのは,なおさら不思議なことである」

利己的な人間があれほど声高に評価されるとき,突然非利己的人間の必要性が出てくる。これは不思議である。人民が自由を満喫するはずのときに,再び不自由が登場するのはなぜか。だから,1793年の憲法では,出版の無限の自由が認められる一方で,出版の自由が否定されるという矛盾が起こってくる。

「出版の自由が認められるのは,それは政治的自由と妥協する場合に限るのである」

ここでオーギュスタン・ロベスピエールの革命議会での言葉をこのように引用する。もちろんこれは例外的処置である。理論的には自由であるのだが,政治的危機の場合はその限りではない。ようするにザル法なのである。実践が理論を崩壊させていく。まさにマルクスはここにフランス革命の政治革命の矛盾,いや独裁がなぜ出現するにいたったかの矛盾を見る。目的と手段が
入れ替わったのである。目的は人権であるが,人権維持のためには出版を規制する必要がある。しかしいつのまにか,出版規制が目的となり,人権を抑制することによって出版規制など,権力の維持が目的となってくる。

なぜ革命はそうなってしまったのか。

それはこうだとマルクスはいう。封建制の政治は,それぞれが属する身分によって特徴付けられていた。だから身分という集団が政治単位として存在した。国家はこうした組織と対峙していたことで,権力を抑制されていた。しかし,革命によってそうした組織を木っ端微塵に打ち砕いた結果どうなったのかといえば,個々の人間が国家とじかに向かうようになり,国家権力が肥大してしまったからである。

「こんな組織の結果として,国家統一は必然的に意識,意志として出現し,国家統一の活動,一般的な国家権力は,これもまた特殊な,人民から遊離した支配者とその召使の特殊な仕事として,同様に出現したのである」

政治的解放が,むき出しの国家権力をつくりあげてしまった。それならばまだ君主制の時代の方がよかった。マルクスが1843年の手紙で政治的解放に予感した危険はまさにこうしたものであったのである。

「政治革命は,こうした政治的支配を崩壊させ,国家業務を人民の業務にさせ,政治的国家を一般的業務,すなわち現実の国家として構成し,必然的に人民と共同体との分離の表現でもある,あらゆる身分,コルポラティオン,ギルド,特権を破壊したのである」

的場昭弘「青年マルクスの「革命」観」

こう考えるのなら「ネトウヨ」なる罵倒語の方は完全に対象を見失う展開を迎えます。そもそもソレル「暴力論(1906年)」において「本当は党争に過ぎなかったフランス革命に対し、度重なる虐殺に耐え抜いた王党派を支えた神話こそが本物であった」と規定して以降は「右翼(王党派)と左翼(共和派)の対峙」なる構図そのものが瓦解。大日本帝国下では226事件(1936年)を発端とする粛軍人事で躍進した統制派軍人や革新官僚が密かにマルクス主義的方法論を援用する一方…

ソ連や中華人民共和国もNSDAPや大日本帝国に対する祖国防衛戦争を「民族的勝利」と宣伝する展開を迎えるのです。こうなると、もはや右翼と左翼を区別する意味自体がないのでは?

もちろん「木蓮従軍(1941年)」は中国共産党と無関係に制作された作品ですが、後に粗製濫造される反日TVドラマに影響を与えた可能性も。

そして、こうしたブロック間対立は、イデオロギー的優越と無関係に軍事力の優劣でのみ決着するとしたのが石原莞爾「世界最終戦論(1940年)」。

ところで以前、こういう話をネットでしたら自称「リベラル」の方から大体こんな感じの反論を受けた事がありました。

「はい論破!! やっぱりお前らキモオタやネトウヨどもには、ゴキブリ並みの知性しか備わってないわ。何ごまかそうとしてんだよ。誰もお前らゴキブリみたいなおぞましい欲望なんて抱えないし、お前らゴキブリみたいに感じたり考えたりも絶対にしない。どうしてそんな単純な事実も認められないんだ? その事自体が、お前らがこの世に存在しちゃいけない異常者に過ぎない動かぬ証拠って訳だ」

「 で、一般人がゴキブリを目にした時の反応区くらい知ってるだろ? おぞましい!! おぞましい!! おぞましい!! 潰せ!! 潰せ!! 潰せ!! だ。これもごく当たり前の反応。だがお前らは本物の馬鹿だからこの当然の反応も認められない。 自分が本当は人前に出ちゃいけないおぞましいゴキブリだって認めるのがそんなに怖いか?見つけ次第叩き潰されるのがそんなに怖いか?本当に救い様のない馬鹿だ。どんなに悪足掻きしたって現実は微塵も変わらないっていうのにさ。そこまで感覚が人とズレてるから、お前らやっぱりゴキブリ並みの知性しか備えてなって話にしかならないって訳だ」

「いいか、ゴキブリ並の知性しか備えてないお前らだって、これくらいは覚えとけ。みんなが笑って暮らす平等世界はな、いじめのない明るい社会はな、お前らゴキブリどもは見つけ次第、お前らも同じ人間だって主張する異常者と一緒くたに潰してるから保たれてるんだ!!」

この「私は人種差別と黒人が嫌い」論法、意外と使い出のあるディスクールで「キモオタ」や「ネトウヨ」を「ブルジョワジー」や「プチブル」に差し替えると上掲のマルクスの発言と重なる一方、「カソリック」や「黒人」に差し替えればそのままKKKの発言に「ユダヤ人」や「スラブ人」や「ジプシー」や「同性愛者」に差し替えればそのままナチスの発言になってしまうのですよね。

「ナチズムの本質は人の弱みにつけ込む詐欺師」と看過したピーター・ドラッカー自身によるナチズムの定義を彷彿とさせます。ここではさらにその準備段階たる「相手側の言い分に一切耳を貸さない(そもそも全て相手側の妄想と決めつけ、最初から話自体を聞かない)」が色濃く浮かび上がってますね。NSDAPはこうしたディスクールを共産主義から学んだとも言われますが、いずれにせよ後に俗流共産主義者の間にも次第に普及していくので、元来思想の左右とは無関係。どちらも結局は「軍事バカ」石原莞爾的ニヒリズム「イデオロギー的優劣なんて本当は関係ない。全ては力の優劣によって決まるのみ」へと転落していく一過程に過ぎないという次第。

1.正義の絶対的批判者の仮面を被りつつ、自らへの言及は決っして許さない。
2.対立を超えて問題を解決する代わり問題が解決しない責任を対立陣営に押し付け、解決しない問題についてひたすら怒り続ける。
3.被害者の立場に立つ事で相手の口を封じようとする
4.いかなる間違いも失敗も認めず、非難も一切受け入れない。

上掲「とある本格派フェミニストの憂鬱3パス目」ピーター・ドラッカーによるナチズムの定義

数学でいうと「ロジスティック方程式のマイナス次元展開」なる数理に該当する話と言えましょう。


ロジスティック方程式の数理…乗法群的特徴によって、適正値「1」より過剰な場合から出発しても、限りなく0に近い状態から出発しても究極的には適正値「1」に収束する。最初から0の場合はずっと0のまま。またマイナス値から出発すれば無限小に発散し、無限大から出発しても適正値「1」には決して辿り着けないが、この状況に置かれている当事者には主観的に両者を峻別する手段がない。この様な特徴によって、あくまで適正値「1」を見出し、それへの回帰を目標に掲げ続けるピーター・ドラッカー的進歩手具概念と鋭い対比を為す。

しかもその人は若過ぎてカール・マルクスの名前を知らず、こんな「追い打ち」まで掛けてきたものです。

「初めて聞く名前だけど、お前の様ネトウヨのキモオタがそんなに得意げに引用するって事は、そのカール・マルクスって奴もやっぱりおぞましいゴキブリの仲間って事だ。もうその名前を知ってるだけで逮捕とか精神病院送りって話でいいんじゃないかな?」

たまたま私が引用したから、ここにカール・マルクスの名前が現れただけで、他の名前を上げたらその名前が挙がった事でしょう。さらに似た状況でこう指摘された事も。

「借り物の言葉で語るな!! だからお前の言葉には何の説得力もないって言ってるんだ。それに対してお前の様な存在への嫌悪感は本物だ。誰の心にも自然に湧き上がってくる本物の感情だ。どれだけ借り物の言葉を積んだって無駄さ。それもわからないからお前の頭の知能はゴキブリ以下って言ってるんだ。 反論できるか?出来ないだろ?本音で話せって言われたって、お前らゴキブリはゴキブリ語しか話せないもんなぁ」

以前、とある学生運動経験者から聞いた話ですが、当時の運動にも「俺はマルクスなんて一行も読んだ事はないが、あんなものなまじ目にした事がない俺達の方がよっぽどマルクスを体現してる」などと豪語する素養不足の「不逞の輩」が少なからぬ比率で混ざっており、確かに実戦の現場では下手な理論家タイプより役立つものの、実際に運動を指揮してるのは理論家タイプ側なので「唯心派マルクス主義者」などと散々陰口を叩かれていたとか。「唯心派」といえば、マルクス著作のディスクールにおいてはフォイエルバっハやブルーノ・バウアーといった「見るべき場所に見るべきものを見出そうとしない」ヘーゲル左派に投げつけられた罵倒語。よほど憤懣を溜め込んでいたに違いありません。いずれにせよ当時はまだインターネット普及前で、幸運にもどちらの側の「愚痴」も、世に漏れて顰蹙を買う機会なんぞなかったのがせめてもの救いという有様。

もちろんそこには当時なりの新展開もありました。インターネット網の発達が生んだ新たな悲劇性が追加されたのです。日本の学生運動全盛期にも「陥落後のバリケード内には世に公表されるのが憚られる様な酷い落書きが無数に残され、見かねて突入した機動隊員が消した事もある」なんて話がありました。ところがこの誰もがネットワークで結ばれる現代社会においては、そうした「本来なら誰にも届くべきではなかった独り言」が容赦無く外界に発信され、それぞれのSNS単位でレスバトルが始まってしまうのです。

上掲「とある本格派フェミニストの憂鬱2パス目」

こうした「分断」を穏便に収集しようとするどころか、かえってそれを徹底して煽る形で力(ルサンチマン=復讐心)を増大させようとする基本心理こそが、スペイン内戦(1936年~1939年)」でも露呈した、いわゆる「共産主義の残酷性」概念の大源流。実際にスペイン内戦に参戦したアーネスト・ヘミングウェイの「誰が為に鐘は鳴る(For Whom the Bell Tolls, 1943年)」においては、破壊工作に赴く主人公達が増援として「どう使ってもいいが、生かして帰すな」と釘を刺された不穏分子を預かり、作戦で捨て駒に使って殺せる可能性が潰えたので自らの手によって射殺します。

同じくスペイン内戦に参戦したジョージ・オーウェルに至っては、それまで散々フランコ率いるファシスト軍との戦いに身を投じてきたにも関わらず、所属していた組織の関係で不穏分子のレッテルを貼られて粛清対象となり、命からがら祖国イギリスに逃げ帰った有様。

そういえば毛沢東語録には青年時代の毛沢東の農村調査報告書が収録されており、そこに「伝統的富裕階層は子弟の教育にも余念が無く、どんな時代も生き延びる。子弟教育に無関心な新興富裕層は、その一方で自らが成り上がった現体制を擁護する保守派となりやすい。全面的革命の勃発を志向するのは、その様に上手く立ち回れなかった没落層である」なる、応用範囲の広そうな冷徹な分析が掲載されているそうです。

ユン ・チアン「マオ―誰も知らなかった毛沢東」によれば、毛沢東はこうした研究成果から「共産主義を普及させるには、まず匪賊を唆して人民から(安寧な毎日の継続を保証してくれる)日常インフラを奪い尽くし、しかる後に油断した匪賊を不意打ちで滅ぼして人民から救世主として祭り上げられるに限る」と考える様になり、しばしば実践を試したといいます。毛沢東語録にこのエピソードまで掲載されているかどうかまでは知りませんが、上掲の世界史リブレットによれば、匪賊が富商の豪宅を荒らし回る景色を「革命の息吹き」と賛美する詩などを残し、これが語録に掲載されて文革時代の憤青達に行動の根拠を与える様な景色ならあった模様。

ちなみにこの「匪賊を唆して人民から日常インフラを奪い尽くし、しかる後に匪賊を滅ぼして人民から救世主として祭り上げられる」メソッド、フランク・ハーバート「デューン砂の惑星(DUNE)」シリーズ(1965年~1986年)最初期にも「ハルコネン男爵の計画」として登場。当時のヒッピーはマルクス主義関連文献や中国共産党関連文献を読み漁ってそこから引用するのを好んでおり、その一環だったとも推察されるのです。

しかしながら、ムッソリーニのファシズム理論が「青年マルクスの急進共和派的思想」から出発しながら、最初に得た支持層が「まともに就職出来ず、共産主義者の襲撃から工場や農場を守る用心棒といった汚れ仕事を勤めて口に糊していた第一次世界大戦の帰還兵」だった事から逸脱を始めた様に、毛沢東の計画もそのまま実践された訳ではなかった様です。確かに匪賊に富裕層を襲わせる事にまでは成功したのですが、彼らの多くはそのまま在地有力者として居座り、中華人民共和国建国後も少なくともその一部が地域支配階層として存続したのです。同様に彼らの割拠状態が大日本帝国の大陸侵攻を招いた軍閥も、少なくともその一部が中華人民共和国建国以降も解体される事なく独自の影響力を維持。実は「習近平独裁」がどんどん進行する背景には、この様な建国当時の残滓の一掃、すなわち「遅れてきた人民の救世主の降誕」を歓迎する空気も存在するという見立ても。

とどのつまり「習近平=中国のナポレオン」? そう、ここでも最終勝者はファシズムでも共産主義でもなく「決着はイデオロギー的優劣と無関係に力の優劣によってのみつく」と考える石原莞爾的軍事ニヒリズムが最終勝利を飾る展開を迎えようとしているという話…

カール・マルクス自身の思想遍歴におけるこうした考え方の位置付け

と、ここまで以下の論文に従って青年マルクス(1845年時点で26歳)の思想的不備について散々言い立ててきましたが…
的場昭弘「青年マルクスの「革命」観」

引用論文にもある通り、当時のドイツ人思想家やドイツ人革命家の大半は「どんな手段を用いても国王と教会の権威さえ打倒すれば、それだけで新しい時代が訪れる」と過度に楽観的に考え過ぎていたり、「フランスで革命が起こったのは革命が起こる条件を満たしていたから。その条件を満たしてないドイツでは革命は起こらない」と過度に悲観的に考え過ぎていたり、あるいは「革命」の範囲を精神面に限定してたりして、いずれにせよ1848年以降のゲームチェンジについていけず、その大半が没落して悲壮な最後を遂げています。正解には辿り着けなかったにせよ、この様に(当時でいう)急進共和派思想に被れる事で同じ運命を逃れたと考えれば、それだけでもう只者ではなかったとも考えられる訳です。

しかしながら、もしそれだけだったら彼が歴史に名前を残す事もなかったに違いありません。そして私のいう「1859年認識革命」の一翼を担うカール・マルクスは、まさに「史上初の世界恐慌」1857年恐慌に直面し、それに革命運動が付帯しなかった事から自らのプロレタリアート観の誤りを直ちに悟り1859年に「経済学批判」を上梓するカール・マルクスなので、それ以前のカール・マルクスのプロレタリアート観に何の問題もなければ逆におかしいとしなければならない立場だったりする訳です。

それにつけても、どうして「マルクス自身が切り捨てた若気の至り」は後世に伝わってしまったのか。詳しい流れは知りませんが、私個人的には、その主犯はおそらく「マルクスはずっと正しかった」と盲信し、そのコンセプトに従って遺稿を整理したエンゲルスではないかと疑っています。

その一方で「青年マルクスの急進共和派思想」には、ヒッピーを魅了した様に時空を超えて「現状に不満を抱え即時改革を求める不平若者層」を魅了する力が備わっている様です。現状でその影響を受けているのは、以下の様な人達という…

最近では遂に霊柩車や救急車を妨害する環境活動家まで現れました。

上掲「分布意味論時代の歩き方1パス目」

そういえばイエス・キリストも新約聖書の中で市場の陳列を破壊したり、葬式を邪魔したり色々やらかしてますね。ただし彼は宗教的指導者としてゼロテ党なるさらに過激な急進派を抑え込まねばならない立場にあった事も忘れてはなりません。

こうした話に踏み込むとさらに長くなってしまうので今回はこれまで。そんな感じで以下続報…

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