【21世紀的フランス革命の省察1パス目】シェイエス改めシィエスの極左冒険主義?
今回の投稿の出発点はこの記事。
実際、この本で紹介されている山崎耕一「シィエスのフランス革命: 「過激中道派」の誕生」は大変興味深い書籍です。それこそ私自身のフランス革命史観をアップデートしなくちゃいけない必要性を感じたくらいに…
という感じで、おもむろに新シリーズ開幕です。
とっくに終わってたブルジョワ革命論
私の既存のフランス革命史観も「シィエスのフランス革命」同様「ブルジョワ革命論なんてもう通用しない」なる前提から出発する点は同じ。
そう、こうした考え方はもはや現役ではないのです。
これまで、イデオロギー的立場からこういう現状を絶対に認めようとしない似非リベラルの方々に散々手を焼いてきましたが、これからはもう、この文章で示すだけで良くなる訳です。それだけでもう大収穫という感じ?
そもそもブルジョワ革命論自体が「マルクスの元来の思想」からの逸脱だったのでは?
まず指摘しておかないといけないのは、ここでいう「1793年~1794年の恐怖政治期以降は実質的に無視してしまう」ブルジョワ革命論の欠陥が「マルクスの元来の思想そのもの」由来ではないという事実。
まさかの時にディアドッコイ。問答無用でディアドッコイ。
この部分は①当時のドイツには、歴史的に曲がりなりにも中央集権的絶対王政体制を樹立したフランスに対して江戸幕藩体制の如き連合王国状態に留まる後進性への劣等感が鬱積しており、②その反動でギリシャ統一を果たしたアレキサンダー大王とプロイセンの英雄王フリードリッヒ大王を同一視しようとする伝統が存在し、③こうした流れを踏まえてプロイセンの歴史家ドロイゼンが「ヘレニズム時代」なる時代区分を提唱し、それが世界中に広まった、なる時代背景を踏まえないと読み解けないし、ましてや「フランス革命もディアドッコイ戦争も一緒くたに党争の類として見下す」独特のニュアンスを掴み損ねてしまうのですね。そう、背後で蠢いてるのはドイツ人のフランス人に対する根深いルサンチマン…
そして、この頃からもう顕著に現れ始めてる「コスモポリタンぶって後進国ドイツを馬鹿にするカール・マルクスの悪癖」…そういえば「コスモポリタン」概念自体もヘレニズム時代由来だったりして。師匠ハイネはフランス人として生き、フランス人として死んでいく道を選んだのに、どうして…
あくまで文面上は「(国際的視野から俯瞰すれば井の中の蛙に過ぎない)矮小なヘーゲル左派」の視野狭窄を揶揄する文章なのがいやらしい。なおかつ引用元の「ドイツ・イデオロギー(Die deutsche Ideologie,1845年~1846年)」には、そのヘーゲル左派からの脱却宣言というニュアンスが込められているので話がややこしくなってきます。
それではカール・マルクス自身はフランス革命についてどう考えていたのでしょうか? カール・マルクスの言及は時期によって異なり、私もその全てに精通してる訳ではありません。
青年マルクスの「革命」観
とはいえ国家学者ローレンツ・フォン・シュタイン「今日のフランスにおける社会主義と共産主義(Der Sozialismus und Kommunismus des heutigen Frankreich, 1842)」を通じてサン=シモンやフーリエやプルードンといったフランス社会主義思想家の考えに触れる以前は、紛れもなく「(国際的視野から俯瞰すれば井の中の蛙に過ぎない)矮小なヘーゲル左派」の一員だった訳で、しかも「フランス革命など(ヘレニズム時代のディアドッコイ戦争同様に)ただの党争に過ぎなかった」史観は「フランスへのマルクス思想の紹介者」ジョルジュ・ソレルの手によりフランスへと輸出され、さらには彼の「暴力論(Réflexions sur la violence,1908年初版)」を通じて「実際に最終的勝利を飾ったのは(虐殺の繰り返しに屈せず、信念の共有を貫いた)王党派だった」なるブルジョワ革命論とは真逆の歴史観に発展してしまうのでした。
まぁ19世紀後半から第一次世界大戦前夜にかけて生きた人間の目にそう映ったとしても致し方がないところがあります。フランス革命の継承を誇示していた急進共和派はあっけなく壊滅してしまいましたし、ソレルはどうやらパリ・コミューンが内ゲバで壊滅するところや、ドレフェス事件を巡る言論でフランスのインテリがグダグダに成り果てるのも目撃してきた人だったらしいので(日本語版「暴力論」解説より)。
何より動かぬエビデンスが「フランスを代表するワインはドメーヌ(畑)単位のブルゴーニュでなく、シャトー(城)単位のボルドーである」という動かぬ事実。そう…
①ブルゴーニュワインがドメーヌ(畑)単位なのはフランス革命からナポレオン戦争の時代の土地改革によって(当時兵隊の主要供給源だった「サン=キュロット(浮浪小作人)」を含む)小作人が零細自作農に成り上がった証。生産量も品質も不安定で大量生産・大量消費には向かない?
②ボルドーワインがシャトー(城)単位なのはフランス革命当時も頑強に抵抗して領主と領民の協業体制を守り抜き、隙あらばスペインやイタリアと通商し、王政復古時代以降はロビー活動に力を入れ、国策で後押しされる「フランス最高峰」の称号を勝ち取った証。
なのですね。そもそも「ジロンド派」の語源はボルドーのシロンド県で恐怖政治時代の大虐殺も経験しています。全ての特徴がブルジョワ革命史観における「商業ブルジョワジー」のそれと一致。それにも関わらず、恐怖政治時代に滅ぼされるどころか、その後も繁栄を続けているってどういう事?
これまぁ「シーエスのフランス革命」との邂逅以前から「ブルジョワ革命論なんて通用しない」論拠として用いてきた説明。「シーエスのフランス革命」の以下の文章に符合してきます。
シーエスとエドマンド・バークとサン=シモンに通底する「メリトクラシー」イデオロギー
「シィエスのフランス革命」まだ読んでる途中なのですが、そこでシィエスが目指したとされるメリトクラシー(人々がどの様な身分ないし社会集団に属するかでなく、個人としてどの様な能力を持つかという事によって評価される社会や集団のあり方)なる概念、エドマンド・バーク「フランス革命の省察(Reflections on the Revolution in France,1790年)」や、サン=シモン「産業階級の教理問答(catechisme des Industriels,1823年〜1824年)」の内容とも通底してくる部分がある話?
まぁエドマンド・バーク「フランス革命の省察」いきなり序文から「第三身分とは何か?」への論駁から始まるし、エドマンド・バークが自信を持ってこう豪語出来た背景にあった「新興産業階層に門戸が開かれてる一方、衰退すると容赦なく平民落ちしていく」苛烈な英国貴族制度が、これはこれで物凄い代物だったりする訳ですが。一方、サン=シモン確実にそこで指摘されたような問題点はことごとく克服して「馬上のサン=シモン」にバトンを渡した格好?
やはり極左冒険主義者なのでは、シェイエス改めシィエス?
とりあえず今回はここまで。そんな感じで以下続報…
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