【21世紀的フランス革命の省察2パス目】誰が「ブルジョワ革命論」を始めたのか?
こちらの投稿の補足。
19世紀後半の欧州では、本当は何が起こっていたのか?
フランス革命とマルクス主義の関係についての「その筋」の認識は、意外と共産党機関誌「しんぶん赤旗」が情報源として役立ちました。逆にいうと、そういう話を語り継いでるの2020年段階ではもはや日本共産党くらいしかなく、それも2010年代の記事という有様…
なるほど「カール・マルクス(Karl Marx, 1818年~ 1883年)の思想」とフランス革命はフリードリッヒ・エンゲルス(Friedrich Engels, 1820年~ 1895年)「空想から科学へ(Die Entwicklung des Sozialismus von der Utopie zur Wissenschaft, 1880年)」段階でもう、そう規定されていたと。一応、マルクスまだ存命中…
そして、そもそも当時の革命論について語ったマルクス、エンゲルスのまとまった著作はなく、エンゲルスの「マルクス『フランスにおける階級闘争』1895年版への序文」がそれについて詳しく語った唯一の論文である、と。
で、その具体的内容はというと…
以下の投稿と時期的に重なる話。
歴史研究が進んだ結果明らかとなった1948年革命の実態は以下のようなものでした。
①農奴状態からの解放を勝ち取った小作人にとっては大勝利。職業選択の自由を得た彼らは棄農して炭鉱や工場で働く労働者となり産業革命を加速させる(地域によっては家族が工業団地で産業作物を育てたり家畜を飼う半自作農状態だったりした模様)。
②一方、彼らが抜けた穴は後進国からの出稼ぎ小作人がすかさず充填。領主が経営する農場はそのまま何の問題もなく存続。「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(Die protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismus,1904年~1905年)」の中で、南北戦争中に奴隷解放宣言を喰らった南部奴隷制農場主に仮託して思いっ切り当て擦ったユンカー階層が思った様に滅ばなかったので、マックス・ウェーバーは死ぬほど悔しがったに違いない。
③一方、目的を達した小作人が離脱した後に(やはり後進国からの出稼ぎが多い)都心部労働者の蜂起は容赦無く殲滅。労働者と農民の間に分断を招き、そのルサンチマンが後の民主集中制の発想の萌芽を招いたとも。
そういった景色がマルクスやエンゲルスの目には「1848年のフランスでは、プロレタリアといっても主力は裁縫師や靴工といった職人的な労働者だった。ほんとうのブルジョアジーとほんとうの大工業プロレタリアートが現れたのは1970年代に入ってからだった」と映っていた模様。
そして統計学が発達して社会調査が定期的に遂行される様になった結果、それまでそれぞれの国を支えてきた伝統的地域共同体の解体が観測される様になり、そうした推移を見守る為に1990年代に入るとフランスやドイツに「社会学(Sociologie)」なる学術分野が勃興したという次第。マルクスやエンゲルスの思想が次第に時代分析に役立たなくなっていく一方、1859年認識革命当時はマルクスのパトロンだったラッサールらが開闢者に名を連ねる社会民主主義概念が各国で普及。なるほど、それが「その筋」では「1848年革命の遺言執行」と解釈されている訳ですね。それでは「その筋」の大元とは?
ソルボンヌ大学発の正統派革命史観?
フランソワ・フィレのフランス革命論
引用元、情報量が多過ぎて全体としては何を言わんとしてるのかさっぱりですが、薄ぼんやりながら「ブルジョワ革命史観はフランス革命をロシア革命に繋げようとしたソルボンヌ大学の正統派革命史観の牙城で、ソ連が崩壊した1989年以降、影響力を喪失」みたいな景色が浮かび上がってきました。もはやほとんど創作の世界…
どうやらフランス革命とマルクスの関係について検索するとやたらとでてくるフランスの歴史学者フランソワ・フュレ(François Furet,1927年~1997年)こそが恐怖政治を「革命からの逸脱」と言い出した台風の目玉っぽい。 で、マルクスのフランス革命観の復元を試みたとされるのが「マルクスとフランス革命(Marx et la Révolution française,1986年)」である模様。(棒読み)。多分、一生読まない…
こうした歴史的流れがあって、やっと以下の記述が可能になった感じ?
ニューアカブーム時代にこうした話を耳にする事はありませんでした。余程タブー視されていた証? ちなみに私が「恐怖政治は革命からの逸脱」と考える様になった契機は「オーストリアが産んだ知の巨人」シュテファン・ツヴァイクの評伝「ジョセフ・フーシェある政治的人間の肖像( Joseph Fouché, 1929年)」だったりします。
日本だとその前日譚的に発表され、池田理代子の漫画「ベルサイユのばら(1972年~1973年)」に下敷きを提供した事で有名な評伝「マリー・アントワネット( Marie Antoinette, 1932年)」の方が有名ですかね。冒頭の序文に「フランス人が描くフランス革命史観は信用ならないからオーストリア人の私が書く」と断りのある、曰く付きの作品…
なお、このシュテファン・ツヴァイクなる人物、ユダヤ人ゆえに第二次世界大戦が始まるとナチス迫害を避ける為にブラジルに亡命。現地でカーニバルの熱気に飲まれ、大日本帝国軍がシンガポールを陥落させたというニュースに接して「私の知ってる古き良き欧州はもう戻ってこない」と絶望感に捉われて奥さんと心中してしまったのですが、その後、実際の欧州がどうなったかというと…
恐るべき「資本主義の挽臼」…そういえば「レ・ミゼラブル」をミュージカル化したのも英国演劇界で、それを映画化したのもオーストラリア映画界でしたね。こうして自国文化をまともにマネタイズ出来ない国はそれについて自ら語る権利すら奪われてしまう展開に…
なお「シュテファン・ツヴァイクが最後には勝った」動かぬ証が「暖冬台に登ったマリー・アントワネット妃の髪は一夜にして白髪となった」伝説の世界中への流布だったりします。彼の評伝以外にその言及はなく、しかも本文中でちゃんと「確かに白髪に見えなくもない小さな晩年期の肖像画が1枚残されていて、それから生まれたデマ」と謎解きされてるのに、堂々と漫画化したりアニメ化したりしちゃったもんだから取り返しのつかない事に…
最近原作漫画を読み返したら,白髪になる場面がなかった。あれはアニオリ?
なんか想定してたより随分長文となったので以下続報…