以下の様な流れがあって…
結局、買ってしまいました。山本義隆「磁力と重力の発見」。
大著ですが、大体の内容を把握してると、こちらの方の素晴らしい要約があるので調べたい内容に速やかにアクセス出来て非常に便利です。
特に私の場合、ルネサンスについての基礎教養を主にブルクハルトの「イタリア・ルネサンスの文化」やウォリアム・マクニール「ヴェネツィア東西ヨーロッパのかなめ」などに頼ってきたせいで…
以下の様な描写に新鮮味を感じています。
冒頭序文の記述と対応してくる箇所ですね。
一方、以下のあたりの記述は私の既存知識との「共用部」といえそうです。
「教皇庁の腐敗と堕落、そしてその支配体制の弱体化」…ここで興味深いのがブルクハルト「イタリア・ルネサンスの文化」だけでなくゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」もまた、その発端をアヴィニョン捕囚(1309年~1377年)期の「毎夜の憂さ晴らしのどんちゃん騒ぎ」と、その後の教皇領主化に求めている辺り。根は柔弱な教皇庁が「拳で形をつけようぜ!!」とか言い出したら、それまでの超然主義的抑止力による優位を自ら放棄したも同然。教皇庁によるイタリア統一を指向してそれなりには戦ったといえるチェザーレ・ボルジアでさえ市民軍の編成に手こずり、実質上兵力の供給をフランスに頼っていたくらいですから結果はおして知るべしで、概ねかえって非力を曝し権威失墜に貢献するばかりだったという次第。
そもそもアヴィニョン捕囚の大源流は「欧州中世を終わらせた」フランス国王フランス王フィリップ4世(在位1285年~1314年)の手になるアナーニ事件(1303年)にまで遡る訳で、そう考えるとさらに業が深まります。
そして「教皇庁の置かれていたイタリアは群小国家に分断され、それらの小国家と教皇庁の間の領土と財産をめぐる世俗的な抗争はイタリア社会を長期に渡って荒廃・混乱させ…」…やはり塩野七生「チェザーレ・ボルジア優雅なる冷酷」を思い出させますね。
この人の「海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年」もまた、私が大きな影響を受けた作品の一つとなります。
しかしながら、こうした遍歴そのものが以下の様な歴史的展開を私の視野外に追いやってきたともいえましょう。
さて、どうしよう…途方に暮れたところで以下続報。