心を動かされたnoteをLetterと呼びたい
書けば書くほどに、読みたくなります。
深く自分と向き合った「書く」体験を終えると、無性に誰かのnoteを眺めてしまいます。自分と同じように「書く」ことで向き合っている人を見て「自分だけじゃなかった」と、とても嬉しくなる。
息を吸って吐くように、呼吸するかのように書くと読むは1セット。
そんな中でも、「まるで私のことを語ってくれているのでは?」と深く自分のことかのように語られているnoteを読むと、頭の中がその方の視点にトリップします。
視点の大移動。私一人では辿り着かなかった場所への小旅行。
そんな心を動かされてしまったnoteを、この場を借りてご紹介させてください。
* Contents
▼ 1.「それ、性格じゃなくて体質のせいかも?」スイさん
私たちはいつだって心が自分自身を形づくっていると思いがちですが、実は身体や体質から影響を及ぼし、今の生活や行動を形成していると気づかされます。
スイさんは聞き取りの体験をお話されていますが、とても共感してしまいました。
自分自身は幼い頃に大きな声で話すのがデフォルトだったのですが、「うるさい」と周りの人に言われ、それから声も物音も静かなものを好むようになりました。
それは人と近すぎない距離感だったり、直接的に伝えすぎないことだったり、人との向き合い方にまで発展しているなと、しみじみ。
▼ 2.「僕は音楽を聴かない」小麦パンさん
とてもかっこいいなと胸が震えました。
これだけ音楽が溢れる中で、それをしない。過去の自分と決別するために、いいえ。自分が嫌いになってしまったのなら、それは必然だったのかもしれません。
例えるなら、スマートフォンを持たずに生活をするぐらいのことなのでは?と考えてみましたが、私には難しくて。
でもそれ以上に小麦パンさんは「聴くか聴かないか」ではなくて、心地よい距離感を探られていて。このスタンスがとても素敵だなと思いました。
▼ 3.「遅い。遅すぎる自己紹介と、これからの始まりです。」国分真央さん
「自己紹介」の肩の荷が降りて、とても楽になりました。
そう、私たちはいつだって、「自己紹介」から始めさせられますが、自分がしたいタイミングで「自己紹介」すればいいじゃないか。
急に出番が回ってきて、準備もできていないのにばたばたと断片的に話してしまい、紹介しきれず「自分が一番わかっているはずなのに」と自己嫌悪に陥って。
国分さんの自己紹介は写真の空気感もあいまって、とても澄んでいて。あぁ、いま準備が整ったんだ。と、なぜだかとても嬉しくなりました。
▼ 4. 「書くことで、壁を無くしていくような日々に」夏樹さん
なんだかここ2週間の私の気持ちを代弁してくれているようで、胸が熱くなりました。
常々考えているのですが、人は誰しも頭の中に考えているものがあって、それを外界に表現する。
話す、歌う、書く、運動する・・・それらの中から私を最も表現できるものを選びとっているにすぎないんだと思っています。書く人はその出力が「書く」だからで、あぁ仲間だなぁと勝手に嬉しくなってしまいました。
* おまけ
noteを書くときに気持ちとリンクする作業用BGMを選んでいます。日常から非日常にトリップするためのおまじない。
今回はこの曲です。
書くと読むの繰り返しのような、どこまでも続いていきそうな音の連なり。noteを読むときのBGMにどうぞ。