泣くことさえ「罪」になるのか
こんにちは。
夜灯(やと)です。
今回は、泣きたいのに上手く泣けない、という状況
について、お話したいと思います。
私は思いっきり泣く、ということがどうも上手くできないのです。
昔、父から「うるさい。泣くなら静かに聞こえないように泣け!」
と言われたことがあるのです。
私はその時小学校高学年で、反抗期だったと思うのですが、
お母さんと度々口喧嘩をしていました。
ただ、お母さんはすぐに何事も無かったかのように
機嫌が直るタイプなので、さして問題はないのです。
問題は、そこに父が介入してくることです。
父は、私にはご飯を作らなくていい、とお母さんに言ったり、
私をどついたり、蹴ったり、家から引きずり出したり。。
まあ父は、私が決死の覚悟で、その頃の辛かった気持ちを伝えた時、
自分がそんなことをするはずがない、覚えがない、言いがかりだ、
としか言わなかったのですが。。。
そんな反抗期の日々を過ごすうちに、
少しずつ、少しずつ、親から愛されている気がしない
と感じるようになっていきました。
勿論愛されているという理解はできるんです。
でも心で感じられない、というか。
父は家を飛び出してきた人で、お母さんも幼少期につらい体験
をした人なので、不器用に愛してくれているのだと思います。
父もお母さんを介して色々と気に掛けてくれているのも知っています。
でも、話すとどうにもだめで、この人とは一生わかり合えない、
と感じてしまうんです。
きっと、反抗期の時期に何度も父に人格を全否定されてできた傷が、
剥がれないかさぶたのまま体の一部になってしまったのでしょう。
誰かの優しさに触れて、かさぶたさえも素敵な自分の一部に
思えることもあるのですが、剥がれず治らないまま
変わらず私の一部です。
そんなこんなで、実家暮らしの私は、10年以上経っても
父の言葉に縛られたまま、
今日も思い切り泣くことさえ「罪」に感じてしまうんです。
お母さんは基本的に父の言うことには逆らえないので、
父に否定された私はお母さんにも同時に否定されているように
感じていました。
だから、一人で胸の痛みが治まるまで、ただ一人で向き合わなければ
ならないんだと、そう思っていました。
でも、今の親友に出会ってから、その子がつらい時に電話してきてくれる
ことが何度もあって、頼ってもらえるうれしさと同時に、
自分もつらい時に電話してみよう、と思えるようになりました。
8年くらい相談に乗り続けて、最近やっと。笑
ですが、やっぱり染みついた、泣くのは「罪」だ、という
思考回路のせいで、泣いてすっきりしたくても、思い切り泣くって
なんだっけ、どうやってするんだっけってなることが多いです。
皆、赤ちゃんの頃は泣くのが仕事だったのに、紛れもなく
私もそうだったはずなのに、泣き方が分からない、なんて
おかしな話ですね。
これから、少しずつ上手に泣けるようになりたいです。
もし、私と同じように、泣くことさえ「罪」に感じてしまう、
そんな人がいたら、あなたと私で共犯者になっちゃいましょう。
それで、あなたが少しでも上手に泣けるようになれるなら、
私も嬉しいです。
それでは、また次回お会いしましょう。
夜灯(やと)でした。