見出し画像

柳澤宏美評 ユン・ソングン『古本屋は奇談蒐集家』(清水博之訳、河出書房新社)

評者◆柳澤宏美
モノとしての本を愛する人々――変化し続ける都市ソウルで古書店「不思議の国の古本屋」を営む著者が、絶版本を探す依頼を受け、その本を探している理由や事情を聞き、集めた物語をまとめた本
古本屋は奇談蒐集家
ユン・ソングン 著、清水博之 訳
河出書房新社
No.3604 ・ 2023年08月19日

■今や韓流ドラマやK‐POPは一時的なブームではなく、世界的に人気のコンテンツになった。SNSを見れば、韓国料理や韓国コスメの写真がたくさんあがっている。韓国から入ってくるものに日常的に触れている一方で、韓国の近現代史を知っている人はどのくらいいるのだろう。朝鮮戦争、軍事政権、光州事件、ソウルオリンピック、IMF通貨危機などを経て、首都ソウルは、ここ二十年で再開発が進み、急激に都市化した。
 そんな歴史を背景に、変化し続ける都市ソウルで古書店「不思議の国の古本屋」を営むユン・ソングンは、絶版本を探す依頼を受けるかわりに、手数料としてその本を探している理由や事情を聞いている。そうして集めた物語をまとめたのが本書である。捜索を頼まれる本のジャンルは小説、詩集、児童書、哲学書など、作者もナボコフやモーパッサン、キルケゴールなど古典作家から島田雅彦といった最近の日本人作家までさまざまである。もちろん、日本では知られていない韓国人作家の本を探す依頼もある。依頼人の年齢や職業、事情もさまざまで、著者が聞いた話を単に文字にするだけではなく、依頼人が店に入って来た状況や様子、店主とのやりとりまで書かれている。
 収集を始めるきっかけとなったのは、自分の古書店を持つ前に勤めていた大きな古本屋での出来事だ。七十代の男性から一九六三年版の倉田百三『愛と認識との出発』を探している、と声をかけられ、店内を探すが見つからず、帰ろうとする男性の寂しそうな後ろ姿に思わず「入荷したら連絡します」と言ったことから始まった。特別に意識して探していたわけではないが、半年後にたまたま入荷した本の山からそれを見つけ出し、男性へ連絡を入れる。本を取りに来た男性は若い頃の困難な時代を語る。日本への留学から帰って来て外国語文学を発行する出版社へ入るも、当時の軍事政権は外国人が書いた本というだけで禁書にする時代だった。「頭を空っぽにしてぼおっと暮らすのが一番幸せな時代でした」と語って思い出す一九六〇年代は昔とはいえそう遠い時代でもない。探していた本は、その後に続く初恋の思い出と結びついたものだった。初恋の相手とは長続きしなかったものの、仕事を引退した今になって当時の淡い記憶を思い出すようになった老人は、この本を探していたのだ。釜山からソウルの古本屋まで取りに来た男性に、配送することもできたのに、と著者が言うと男性は「青春時代の眩しい恋の本ですよ。……私が迎えに行かないと。」と応える。
 このエピソードは二十年ほど前のことと読めるので、「奇談」の収集は、それ以上続けていることになる。本書ではそれぞれの依頼人の物語を愛情編、家族編、不思議編、人生編の四つのテーマに分け、二十九の話が収められている。どの話も本と人との関係、探している人と家族や友人、時には名前も知らないが、あの時あの場所にいた人との関係を浮かび上がらせる。万引き犯や実在しない本の捜索を依頼する人、仲が悪くなってしまった家族の元から本をとって来てほしいという依頼など、本探しではない部分で苦労している話もある。面倒な状況に巻き込まれながらも本を見つけ、どの話もあるべきところに落ち着かせているのは著者の手腕だろう。
 もちろん本の知識も膨大なもので、ひとつのキャラクター名から本を探索したり、表紙の色やいつ頃どんな本が人気だったかを推察して、検討をつけたりとまさに名探偵のようで、「どんな本でも探し出す古本屋さんがあるから」という評判もたつほどだ。著者の知識だけでは足りない時には個性的な仲間も登場する。中古時計を直して売る一方で絶版本を収集しているN氏とスーツケースに本を詰め込み、いろいろなところで本を売りに出没するH氏はいくつかの話に登場する。携帯電話に出ず、路線バスで島まで行く変わった人物のH氏だが、本の知識は確かなもの。H氏に何十年も昔に発行された本を探していると相談すると、出版社にいた人で、昔発行した本を持ち続けているのは営業部員で間違いない、と断言する言葉が返ってきた。本の現場を体感している人ならではの言葉で妙に納得した。
 著者は、自分が本を見つけるのではなく、本が自分から現れるとしか言えないことが何度もあったという。電子書籍で出版される本も増え、内容を読むだけなら紙の本じゃなくてもいい時代になった。それでも本の厚みや表紙、文字の位置などを覚えていて、絶版本を探す人がいれば、それに応じる書店がある。日本には神田神保町という世界でも類を見ない古書店街があり、本好きが集まるこのエリアを歩いていると、自分もその仲間であると感じる。本書はそんなモノとしての本を愛する人間が世界中にいると、はからずも教えてくれる。
(学芸員)

「図書新聞」No.3604・ 2023年8月19日(土)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?