みんな「無知のヴェール」のマインドを持とう
私は哲学を勉強してきたが、好きな考え方の1つに「無知のヴェール」というものがある。
これは、アメリカの哲学者ジョン・ロールズが『正義論』(A Theory of Justice)で社会の中で正義の実現を構想するために出した思想。
私なりにその本質を一言で言ってしまえば、
まず、自分が思い浮かぶ最も悲惨な生まれ育ちの環境を思い浮かべ、そして、自分がその境遇だったら望むであろう社会のインフラを整えよう!
という風に社会の原理を考えようとする、ということだ。
考えれてみれば、自分は◯◯の部分では平均以上、◯◯の部分では人類最低なのでは?などいろいろな属性を持っているだろう。
ここで重要なのは、先天的なことに限り、後天的なことは考えない。
例えば、子供の頃、沢山習い事をさせてもらったとか、面白い大人に会う機会をもらった、だから今の素晴らしい自分がある、と思うのであれば、それは恵まれた環境が、先天的にあったということだ。
また、自分の欠点は、貧乏な家庭で生まれ何のスキルも身につけられなかったことだ、と考えるなら、それも先天的。
貧乏でもその逆境を克服して今の凄い自分がある、というような人もいるだろう。
なので、この最終根拠は自己申告でしかない。ただ、自分にウソを付くことはできないので、答えは一義的に決まるのではないか。
さて、
この観点で、是非、最悪な環境に生まれた人を想像してほしい。
そのときに、社会のインフラとしてあるべきものを正直に考える。
こう考えれば、多くの人々の間に、よい社会のあり方の共通了解が生まれるというのが正義論の発想だ。
綺麗事に思えるかもしれないが、理詰めで考えれば誰しも納得する考えだろう。
なぜか?
その答えは、我々の生の神秘にある。
私達は、いつのまにか自分の生に投げ込まれてしまっている。
気づいたら、自分だった。
あの田中君でも、さおりさんでもなく、私は私に生まれた。
このどこまで考えてもたどり着けない謎。
この謎は、自分が偶然的に他のどんな人にも生まれていた可能性を意味する。
そう考えれば、受け入れざるをえない。
どんな人でも、自分より上だと思う人、下だと思う人はいるものだ。
そして、その人達も「謎で神秘な境遇」に生まれて生が始まった。
初期値が偶然的なものであるのだから、羨んだり蔑んだりしてもしょうがない。
その偶然性は人間社会が引き受けるべきものだろう。
なので、みんな、この「無知のヴェール」というシンプルな考えを是非、念頭において行動してほしい。
ちなみに、これは1971年に出された議論なのにまだ人々には浸透していない。
その後、80年代くらいに、あの有名なマイケルサンデルやマッキンタイヤなどのコミュニタリアニズムの批判を受けたのも大きな理由だろう。
コミュニタリアニズムは問う。
「みんなと思える範囲はどこまでか?」
と。
つまり、無知のヴェール理論を適用する範囲はどこまでか?という現実的な問いを投げかけた。
日本国内?アジア?世界?関東?
自分の生活も大変なのに、他人や共同体のことなど気にかけることはできない。そういう人も多いだろう。
それもごもっともな指摘。
ただ、今回書きたかったのは、やはり、理念としては無知のヴェールは優れている。
これ以上、納得感のある社会の原理論はない。
どんな境遇に生まれても、幸せに生きられる社会の実現に向けて何か貢献できればよいと思う。