社会が発展していくための根本原理
社会が発展していく上で、その根本原理をどう設計すべきだろうか。
社会の発展とは?
まず、究極のゴールが何なのかを決めないと、発展したかどうかもわからない。
究極的なゴールは、以前に何度も書いているが、誰もが「生きたいように生きれる」状態を作ることであり、そのためには「自由の相互承認」が実現した社会が必要になる。
その理想に近づくことが発展といえる。
生産性が肝
そのためには、まずは経済の生産性を上げることが重要だと思われる。
極端な例だが、核融合発電が実現し、小さな太陽を人工的に作ることができれば、無限に食物を無コストで作り、世界中に配ることで、働かずに世界中の人々が生きていける。そこまでくれば、AIのスマートシティで快適な暮らしもできるだろう。(もちろん、人口抑制はする必要がある)
そう考えると、どういう道筋を辿るにせよ、最高の生産性状態にたどりつく。その道程のうちのどこに貢献するか?というのが人生なのかもしれない。(もちろん、その前に、人類が滅亡する可能性もあるが)。
社会はどうあるべきか
では、本題に入る。
社会の最終目標が、その構成員である各人が「生きたいように生きれる」状態を作ることだとしたら、そのためには、生産性を圧倒的に高める必要がある。
そのために、なにが必要か?
結論からいうと、アップサイドは予測不可能なので、邪魔をしないことが原則となり、ダウンサイドは確実にセーフティネットを敷く、ということになるだろう。
アップサイドは予測不能なので、邪魔しない
これは、「天才」をどう作るかという議論と同じことがいえる。
天才は定義できないから、天才なのだ。
その教育方法を考えても意味がない。
世の中をよりよくするようなプロダクトや、思想、制度なども、どっからどう生まれるかはわからない。
ハーバードや東大生がそのようなものを作る割合は高くない。
社会のあるべき構えは、仮にそういう人が出てきたときに邪魔をしないということだ。
ホリエモンを潰した検察のようなレベルから、週刊誌が引き金になり情弱の大衆からの煽り、さらにはエリート同士の足の引っ張りあいなど、いろいろなレベルにおいてだ。
ダウンサイドは確実にセーフティネットを敷く
ダウンサイドは、貧困や病気など実態が完全にわかるので、確実に保護することが望まれる。
前にも書いたが、われわれの生は「被投性」が本質である。自分がどこの誰として生まれてきて、どういう能力を持っているかは、所与として与えられている。努力で人生をよくすることもできるとも言われるが、努力でどうにかならなそうな人がいる限り、ある程度は決まっていると考えるべきだ。
そして、所与としてのハンディキャップは、身体的なものだけでなく、社会的なもの、さらに、幼少期の制御できない経験なども含まれることを理解されたい。
こういう不可抗力な人々や、さらにはチャレンジして敗北し挫折した人々などを救うセーフティネットが必要。
シンプルに、ベーシックインカム+特定のハンディキャップがある人に対する支援でよいだろう。
創造とは何か
一つ、余談だが、アップサイドを作る創造とは何か。
人間をパターン認識装置と考えると、パターン認識は2種類ある。
概念化の能力と、それで作られた概念を組みあせて何かを作るという能力。
広くいろいろな経験をすること、とはいえ、深い経験も必要。
そうした経験から、創造が生まれる。
私はどうするか
自分は、アップサイドの革新には貢献できそうもない。核融合発電の開発などに関われるなら関わりたいが、何の知識もない。
どちらかというと、ダウンサイドをケアするほうがいいのか。
或いは、社会発展にはあまりコミットせず、体験として面白いものを創る、みたいのでもいいかもしれない。
ただ、今一番関心があるのは、
核融合発電などのアップサイド革新を待たずとも、今の社会の生産性があれば、既に全世界の人口は働かなくても生きていけるはずだということ。既に、世界中でカロリーベースで全人類でも食べきれず大量の食物が廃棄されている。食料の領域以外でも似たようなことは起きているだろう。
では、なぜ、それでも飢える人がたくさんいるのか?
人々の態度や行動様式が変わるだけで、新しい技術革新がなくても、今すぐに理想郷に移ることができる。
なぜそうならないのか。
まずは、現状を正しく把握したいと思う。
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