”科学とは現象を上手に説明できる同一性(構造)を追求する営み”note117「学問としての教育学」苫野一徳著
教育に携わる身として、教育を学問として正面から見据えたことがなかったので、改めて教育とは何かを考える機会となった。
苫野氏がこの本を書いた目的は3つあると述べている。(1)教育の本質およびその正当性の原理(つまり、教育とは何か、それはどうあれば「よい」と言えるのか)を解明する<哲学部門>、(2)社会科学としての教育学の「科学性担保の理路」「科学的価値の原理」を解明する<実証部門>、(3)実践学としての教育学を”役に立つ”ものとする理路を解明する<実践部門>、こととし、そのためのそれぞれのメタ理論の構築を行っているがこの本である。
氏がこの問題に向き合った問題意識は、「何がよい教育を構成するのかという問いが、教育に関する議論からほとんど消滅してしまったように見える」という現状にある。確かに、VUCAの世界に確かなものは何もなくなってしまうように感じる事と無関係ではないかもしれない。
氏は、この解明にフッサールの現象学を思考の基盤として用いる。つまり、客観的で絶対的な「よい教育」の”真理”を問うのではなく、また、相対主義ですべての事を確かでないと切り捨てるのではなく、個々の「確信・信憑」を相互に持ち寄ることで、”共通了解”を見出すことを目指している。
そこから抽出されたメタ理論は、
1.メタ理論Ⅰ(教育の本質およびその正当性の原理)
幸福なき<自由>の感度はあり得ても、<自由>の感度なき「幸福」はあり得ない。「幸福」の基底には必ず<自由>があるからこそ、幸福ではなく自由を人間的欲望の本質とすべきと議論されている。
2.メタ理論Ⅱ(社会科学としての教育学の「科学性担保の理路」「科学的価値の原理」)
3.メタ理論Ⅲ(実践学としての教育学を”役に立つ”ものとする理路)
実践部門で近年注目されている「デザイン研究」について、その基本的な方向性を「介入のための(for)、介入についての(on)、そして介入を通じての(through)研究」と位置付けている。
この本を読む中で、これまで読んできた西条剛央(構造構成主義)やアブダクション(仮説的推論)の話が登場してきて、いろんなことが少し繋がってワクワクした。(自分ではなかなか繋げられないところが問題ではある)
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