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生きるということ

初めましての方もそうでない方もこんばんは。

十人十色と言いますように、様々な価値観や概念を抱き生きている事と思います。

時に確信を持ったり迷ったり。意志や価値観というものは流動的で状況や環境に応じて変わったりする。
そんな中でも恐らく変わらないであろうという概念を持っていたり持っていなかったり。

あなたは生きるという事、または成長するという事をどう捉えているでしょうか。
事柄自体の本質や流れはほぼ大きくは変わらないというのに、ほとんどの人が別々の感覚を持っている事柄の一例だと思うのです。
しかし時に考え方は重なって手を取り合ったりぶつかって足を掬いあったり。

僕自身の個人的な感覚になってしまうのですが、ざっくり言うと生きるていくという事は失っていく事に凄く近い事柄だと思うのです。

人は成長の過程で色々な事を体験して知って成長して大人になっていくものですが、個人の感覚ではマイナス作業に近いと言いますか、生まれてから失っていくと言った感覚を持って生きていますね。

これは先日知人とも話た事があって、別にネガティブな気分や考え方ではなくてなんんとなく漠然とそんな感覚で生きている。というだけの事なのですが、自分なりの例えを思いついたので書いておこうと思い立ちました。

深く考えていたわけではないのだけれど、どうしてそんな風に思っていたのか。
以前僕が小中学生の頃、彫刻家を目指し、夢見ていた瞬間があったのです。恐らくその頃体験した事がきっかけでこの様な思想を持つようになったのであろうかと思うのです。
人が産まれてきた時、皆様基本的に赤子だと思うのですが(初めから大人だった方がいらっしゃいましたら失礼します。)その瞬間を僕は大木から切り抜かれた木の塊に似ているなと当時思ったのです。(石などの彫刻はほぼ体験した事がない為、今回は木を題材にしました。)
彫刻というのは切り抜かれた同じ形の木の板や切端、塊を彫刻刀やのみ等を使って掘って削って平面的に、そして立体的に別々のデザインや像に近付けていくのです。削り取る事によってこの部分は凹んでいる、または緩やかにカーブしている、浮かんでいる。と言った情報を追加していくのです。木片としての情報や質量が減っていく代わりに作品や別のものとしての情報や価値が生まれてくる。
当然の事ですけれど、不思議だと思いませんか。僕はそんな一面の魅力に当てられて一時期は目指していたし、きっとこれが理由で生きるって事は、自分が赤子から大きくなって歳を取っていくという事はこれに近い感覚がするなと思って生きているのです。

また木を削る場合、木目と言うものがございましてこれがまた傾向はあれど、その木片によって削る方向や角度を変えなければ上手い事思い通りの方向に削れてはくれない部分なんか非常に勝手な共感を覚えてしまう。

例えば、絵画を好んで画家を目指していたりしたのなら僕の感覚はまた変わっていたのかもしれない。だけれどそうだとしても余白を失っていくと捉えたかもしれないし分からないというのが正直なところ。

あなたにとって生きるとはどんな感覚でしょう。

また小説まがいのものを書いたり音楽を作ったり戯言を吐きにきますね。

それではまた。良い旅を

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