灯りが眩しくなり出す夕暮れ。 少し肌寒い夏の終わり「ずっとあなたを私だけの永遠にしたかった」そんな風に彼へ伝えた夜、全ての終わりは始まる。 大学を卒業した私は特別不自由な生活を送るわけでも、特別恵まれた生活を送るわけでもく、子供と大人の境界線を行き来しながら、社会という特殊な国へ旅立つ準備をしていた。 その頃の私は友達もそれなりに居たし、どちらかと言えばいつも誰かと遊びに行っていたのだけれど、何をしても誰と過ごしても満たされなくて。 誰かが口にした厳しさや誰かが手にした
2024/10/25(金曜)まであと少し。 いつ以来だろう。高校生か専門学生ぶりくらいにライブイベントを主催する。下北沢ろくでもない夜のコータさんのご好意で、久々にというか人生で初めて始めたロックバンド胸座(ムナグラ)とNERDSでろく夜を一晩お借りしてピカソ様の誕誕生祭を決行出来ることになった。 コータさんマジでありがとうございます!一生頭が上がりません! 楽しい企画になるといいな! 出演はDJ(転換込み) 宮田哲郎さん。お楽しみに! 1バンド目は以前渋谷ラッシュの
陽気なストレス体の傷、心の傷が治癒するまもなく流れる時代。 君の大切なものと僕が大切なものは違うし、君が見えるものが僕には見えない事だって、僕には聞こえるものが君には聞こえない事だってある。例えば君が世界中の誰もが理解できない誇りや自尊心を持っていて、もしも誰かがそれに文句を言ったところでそんな事は自分が思うようにすればいいと思う。どんなに親くても愛していても仲が良くても、またその真逆でも僕ら人間は全員漏れなく他人なのだ。君は君の価値観で、僕は僕の価値観で生きる。その中で交
一気に駆け抜けたい。そんな風に思うのだけれど、魂の運河を流されるままに漂流する木の葉のようなそんな生き方をこの先も僕は送るんだと思う。死ぬまでもその先も。そんな中でチリを積もらせたり吹き飛ばしたりしながら今は人間をやっている。君は時にため息を吐いたり空気を吸ったりするだろう。それとなんの変わりもないのさ。僕がギターをかき鳴らして叫んで何かを作るのは。流され飛ばされはじけてゆく。
気のせいだろうか。今宵はいくらか涼しい。 寝不足気味で列車に揺られていると危うく駅を通り過ぎてしまう。 眠気醒ましにどうでもうい話をしよう。 地獄の業火と人間界で使われる火はそもそもの特性が結構違う。地獄の住人にも人種的なものはあるし、暖かめな地域から極寒の地域まで広くに渡って展開されている。 そんな地獄出身の僕からしてみてもこの日本の猛暑というものは中々にこたえるものがある。灼熱地獄のアルバイトの時に周囲の警備をしているのが中々しんどかった。とかいうのとはちょっと訳が
暖かい空の下、止まった空気を押し切るように、走る列車のうなり声。後どのくらい僕達はこの地上と地下を削って歴史を積み上げていくのだろう。 君や僕のご先祖さまも知らないくらい遠い昔に文明があったように、この先もきっとこの地球という星はまだまだ生き続けるのだろうね。 けれど僕ら人間って種族とか積み重ねてきた歴史や文明の断片は長い年月とともにまたこの星に戻っていくのだろうか。 地球というエネルギー体が役目を終えた時、この星や太陽系での輪廻は一体どうなるのだろう。 僕達が想像でき
昔ある組織に入ってた時の話さ。 上の指示で俺たちのグループが処分される事になった事があって、だけど下の俺たちにも抗う術はあって今もこうして生きている。 騙し騙され生きる中でそれをどう受け止めアレンジして描いていくかで人生は大きく変わるし世界の見え方が変わる気がする。 悪も善もなく、無責任で身勝手で何処まで真っ直ぐ己へのプライドを貫いて無数に枝分かれした道に中から俺たちと大切に思う存在の満足度が高い時を掴み取れるか。その為なら誰にどう思われてもかまいやしないさ。君は君だし俺
お元気でしょうか? この度は僕が加入しているバンド「胸座」の初EP 「胸座DEMO」が配信開始いたしました! 獄道系阿弥陀如来癒着型ロックバンド 胸座(Munagura) ファーストデモEP 「胸座DEMO」令和六年四月二十四日リリース! 狂災ベーシストTOKUYUKI 獄災ギターボーカル YASU MUTO 天災ドラマー DAISUKE 奇災アートワーク KAI TAKEDA 爆災サウンドエンジニア TTST いくつもの刻を越えた有象無象が奏でる百鬼夜
あなたを心の底から掬って誰よりも一番に考える人などあなた以外、他にいない。大切な存在や隣他人に求めるべきものではない。 つまり個は孤独のまま。何かの一部としての個の利用価値が生まれるまでは。そんな風に感じる事もあるだろう。 アイデンティティクライシス
本年もどうぞよろしくお願いします。 今年はバンドの音源やらぼちぼち作って制作活動とライブ活動したいです。 積もるところも色々あるんですけど、それらはまた後日に。 それではまた。 宇宙が世界に溶ける瞬間。 自分が誰かに溶ける瞬間。 全てを得て全てを失う瞬間。 命のとり過ぎは毒。花や木も。 (メモ)※志村けん 、タモリ、たけし、サンドイッチマン雲から空を渡って書店の半分までバケツの絵の具が形を保てるために。黄昏の街、水辺に浮く蕾
木々の囀り、鳥の鳴き声が広がる丘の上の古い家。 スキンヘッドの黒服が、ガンくれながら一家の批判と、知人の悪評をひたすら声を荒げ捲し立てるのだけれど、いまいち何を伝えたいかわからないので、一旦小指を掴み椅子に座らせ話を聞くことにした。よくよく問いただしてみるとその者は入社希望の男だった。 我々は代々この土地で夜の秩序保ち混沌とした平和を守ってきた一族だ。 結果我々は採用し暫く共に同じ屋根の下、この場を仕切り時を過ごした。 しかし、暫く日が経った頃、地下室の奥に代々開けるな
朝の占いが当たった試しはない。 自営業を営む両親の仕事が終わるのを待ちながら、一人空想に空想を重ね味気ない現実に色味をつけ風船のように膨らませながら幼少期は平穏で細やかながら温かい家庭で育ったと思う。 帰りが遅い日は机に夕食が置いてあって小さなテントのようなものが載せてあったのが懐かしい。 俺は一人っ子だったけれど、家のすぐ近くに両親のお店はあったし、近所の商店の人達はみんな顔見知りだったから寂しい思いをした事がなかった。 街を歩けばおじさんおばさん、お年寄りは大体友達
初めましての方もそうでない方もこんばんは。 十人十色と言いますように、様々な価値観や概念を抱き生きている事と思います。 時に確信を持ったり迷ったり。意志や価値観というものは流動的で状況や環境に応じて変わったりする。 そんな中でも恐らく変わらないであろうという概念を持っていたり持っていなかったり。 あなたは生きるという事、または成長するという事をどう捉えているでしょうか。 事柄自体の本質や流れはほぼ大きくは変わらないというのに、ほとんどの人が別々の感覚を持っている事柄の一
嫌な予感はいつも当たる。 その日も空は一面に雲が分厚く広がっていた。味も色もない水のような日常に前触れもなく一滴の墨汁は落とされる。 俺は仕事の帰り、一日の疲れを洗い流す様に広いけれど人通りが多くない川沿いの道を歩くのが日課だった。 その日は気になる本があって本屋に寄ったものだからいつもより少し遅い時間だった気がする。 休日になると家族連れや若い連中が階段を降りて川と触れ合い遊ぶことの出来る広場の様な場所があって、少し空から目を下ろした瞬間その川沿いにコンビニで売ってい
妬み恨み羨み愛し尊む 遠過ぎて手が届かなかったり眩し過ぎて目が霞んだり 膨大すぎて喉を通らなかったり繊細すぎて抱き寄せられなかったり 見分け聞き分けるのが容易ではなく数え切れない程色とりどりで それでも僕たちは時に逃げて向き合う。 胸の奥から溢れる想いを握りしめて。 おはよう二月
冬の終わり。おはよう夜の街。 根を張り幹を太くして葉を広げ華を咲かせ終えた樹々たちが大きく枝を広げて踊り出し、つられた大地や空達も大きく揺らいで風を起こしてゆく。 そう私達の免疫達もつられて暴走するのさ。舞踊る光の中で。