本人よりも先に喜ばないということ
花粉症の薬をもらいに電車に乗っている時、ツイッターを見ていると偶然こんな投稿を見つけた。
これを読んでとても感動した。
まず何より小咲ももさんがお子さんと一緒にこのことについて考え、話しあったことがいいなと思った。
また、どうしたらいいかお子さんに確認したこと、そしてそれを約束したこと。
どれも素敵だなと感じた。
自分ももし子供ができたらこういう親になりたいなと思った。
感情の一口目は本人に
自分も生徒を指導する上で大切にしていることがある。
それは、「感情の一口目は本人に味わってもらうこと」。
例えば、勉強で問題を解いて答え合わせをし、全問正解だったとする。
「どうだった?」と聞く。
「やったー!」
「まあこれぐらいは。」
「もっと早くできればなあ。」
生徒の反応はテストによって色々だけどまず本人のリアクションをみる。聞く。
それをみて自分の思っていること、感じたことを伝えるということを心がけている。
他にもある。定期テストが返ってきた時、
私「テストどうだった?」
生徒「85点でした!」
ここで自分は「やったじゃん!よかったね!」とは絶対に言わない。
85点は一般的にいい点数なのかもしれない。
でも、よかったかどうかを決めるのは自分じゃない。
テストを解いた本人だ。
「そうなんだ。どうだった?」
その代わり聞く。どう思っているのかをまず聞く。
「んー、今回結構頑張ったのに思ったよりできなかった。ワーク2回やったのに・・・・・・」
思わぬ答えが返ってくる。
指導していることが本当にこういうことがよくある。
だから、こちらから決めつけて評価判断してはいけないと心に決めている。
食べ物をもらう時であればまず相手が満足するまで食べてから「一口食べていい?」と聞くように、相手より先に一口食べるのはルール違反なのかもしれない。
先に食べてしまうとどうなるか?
昔は良かれと思って先に喜んだり反応していた時もあった。
それがその子のためになると思っていた。
でも、指導していくうちにそれが嬉しい子とそうでない子がいることが分かった。
特に嬉しくない子は、
①リアクション大きすぎだよと冷めてしまうタイプ
②先生が喜んでいるからと自分の気持ちを偽るタイプ
の2タイプに分かれると思っている。
指導経験が積み重なってくると正確な予測ができるようになる。
「ここでこの点数が取っていればこれぐらいになる。」
「このままだとマズイな。もっとこうしないと。」
だから、未来を予測に引っ張られて評価や感情も生徒より先に出てしまう。
これは、指導経験が積み重なってくると犯してしまいそうになる落とし穴だと思う。
少なくとも自分はそうだった。
結果のフィードバックは後出しジャンケンで
それから自分は「後出しジャンケン」をするようになった。
例えば、
「どうだった?」
「どう思う?」
とまず先に相手に聞く。反応を聞く。
それを確認してから自分も反応する。
まさに「フィードバックの後出しジャンケン」だ。
でも、相手が落ち込んでいるからといって自分も同じように「残念だったね」というかといったらそれは別だ。
相手と違う意見をいう時もある。
生徒「今回全然できなかった。」
私「そうなんだ。テストみてるとできているところもある気がしたんだけど、反対にできたところってどういうところ?」
こんな風に自分はできていたと思ったらそれは素直に伝える時もある。
そして、それについてどう思うかまた聞く。
そんな感じだ。
相手がパーを出せば自分はパーを出すかもしれないしチョキを出すかもしれない。
場合によってはグーを出す時もある。
ここは、相手をみながら話し合っていくしかない。
あくまで体験の主人公はその人だ。
他の人はその次でいい。
少し周りくどいかもしれないけどそれでもなるべく正確に共感して一緒に味わいたい。
そんなことをツイッター見ながら考えさせられた。
最後に、そんな機会を作っていただいた小咲ももさんに感謝したい。
・小咲ももさんのツイッター
https://twitter.com/mangakakuhito?s=20
・小咲ももさんのnote