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心をこめて丁寧に。
手を抜くと、なんだか疲れる。
仕事でも、ヒマな時は妙に疲労感が残るし、逆に忙しく動き回ってる時の方が身体が生きている感覚がある。
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何をするにしても、全身全霊をこめてなすべきだ。
納得のできるいい結果を生み出すためにではなく、自分自身をないがしろにしないためだ。 全力で行なわなかったり、ところどころ手を抜いたり、いいかげんに行なって放置したりするのは、結局のところ、自分の行為をバカにすることだ。
それでは、自分のすることに価値も意味も持てなくなる。
それは、自分を緩慢に殺していくことに等しい。
(ニーチェ 『偶像の黄昏』)
全身全霊を込めてやるべきなのは結果を出すためではなく、自分を大切にするため、自分をないがしろにしないため。
「自分」は、一生懸命やるに値する大切な存在なのであって、手抜きに対応するくだらない存在ではない。ところどころ手を抜いたり、いい加減にやって放置するような過小な存在ではない 。
物事に集中しているとき、何かにのめり込んで「楽しい」という感覚さえ忘れるほど楽しいとき、それはきっと自分を大切に扱ってるということ。
ぼくらが、人の懸命な姿に共感を覚えるのは、そんな「大切にされた状態」に自分を重ね合わせて共感しているのかも知れない。
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何か疲れたなという状態が続くとき、もちろんたっぷりと寝れるなら寝るのが一番なんだろうけど、 何か目の前のことを少し丁寧に心を込めてやる、というのも一つの手かも知れない。
いつも一生懸命、全身全霊を込めて。なんて出来ないけど、「手を抜く」の対義として「心を込めて丁寧にする」というのは出来そう。
丁寧に挨拶をする、丁寧に掃除をする、ささやかだけど心を込めて贈り物を選ぶ。誰かの喜ぶ顔を出来るだけリアルに想像する。
これくらいなら、少しは出来そう。
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心のこもった丁寧な所作に人は胸を打たれる。心の丁寧な人を好きになる。
それは、自分もそうありたい、自分を大切にしたいという本来の形を思い出させてくれるからなんだと思う。
ときには意識してみたい。
「心を込めて丁寧に」
自分を大切に扱うために。自分をもっと好きになるために。