幸せとは子供のようになること。
幸せとは何か。なんて、答えのよく分からないこと、つい考えてしまいますよね。今ではそんなこと考える機会はあまりないんですが、10代、20代の頃はよく考えてました。
「生きる意味」と並んで、知性という厄介モノを背負いこんでしまった人間特有のテーマなんですよね、こういうの。
ピカピカのキレイな答えなんて多分どこにもないのに、少しでもスッとしたい。腑に落ちる言葉が欲しい!ってそんなこと思ってました。
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幼い子供たちを見よ。
彼らは粘土をこねて動物やへんてこな怪獣を作る。
そして幸福になる。
彼らは土をいじくって城を作ったり、花壇を作ったりする。
そして幸福になる。
ほんの小さなもの、大人の目からはどうってことないものに子供は一心不乱にたずさわってみずから幸福を作り出しているのだ。
不幸な大人たちはそれを知らない。
幸福はどこからか舞い込むはずだと身勝手な空想をしたり、お金と幸福を結びつけるような考え方しかできなくなっている。
幸福は自分で作り出すものだという当たり前のことをすっかり忘れてしまっている。
(アラン『幸福論』)
夢中になる。没頭する。 自らその状態を作り出す。そんな状態こそが「幸せ」。それは自分で作り出すもの。
幸せになるには、子供のようになればいい。
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うちには小学校低学年の娘がいます。多くの女の子の例にもれず、お絵描きが大好きみたいで、
一緒に近所の100均で大きめの画用紙を買いに行って、真っ白の大きな画用紙の上にクレヨンで好きな絵を一緒に描きなぐる!なんて、たまにしてます。
一緒に公園の絵を描こう!ってことで、ブランコやら滑り台やら、ジャングルジムなんかを2人で夢中で描く。
とにかく無心で描いていく。絵心のかけらもないお父さん画伯の絵は見るも無残、何を描いてるのか判別不能なんですが。。
でも、 めちゃくちゃ楽しいんですよね。
・クレヨンで画用紙に線を引っ張っていく、その柔らかい感触が。
・真っ白な画用紙が、色とりどりに埋まっていく様子が。
・誰に見せるでもなく何でも自由に描いていける、お絵描きそのものが。
たまらなく楽しいんですよね。
上手いか下手くそか、なんてほんとにどうでもよくて、クレヨンで描きなぐってる、その時間そのものが幸せというか。
ほんとにそういうことかなと思います。
「うわー!お父さんの絵、ヘッタクソ!
何描いてんのか全然分からへんやん!」
なんて、娘の声で我に返り、幸せの真っ只中にいたんだなーと気付かされます。
小さな子供は、きっと1日の大半をそんな「幸せ」時間で生きてるんだと思います。
こういうのって、本質はいつもシンプルなことなんだなーって思います。