筋トレが世界を平和にする
これは、どえらい世界に来てしまったと思った。2年前、スポーツジムに入会した初日のこと。
真っ黒に日焼けした筋肉ムキムキの男が鏡に向かって得意げにポーズを取っている。「GOLD GYM」ロゴの入ったタンクトップは、肩にかかる部分が細く胸元も大きく開いている。よく見ると鏡でポーズを取る顔がわずかにニヤけているではないか。。これはやばい。
隣の人に目をやると、まるでギリシャ彫刻の男性像が身にまとう「白い布きれ」のような露出度満点の服を身に付けて、ワーワー声を上げながら、冗談みたいな高重量のバーベルを上げている。白い布きれと、高重量にたわむバーベル。。これは、やばすぎる。
完全色白のはんぺんのような身体をしたぼくは、その異様な光景に思わずくしゃみをした。
ジムには、安全・安心をウリにした筋トレマシンだけではなく、主にバーベルやダンベルを扱うフリーウェイトのコーナーがある。本気で筋肉をつけたい猛者たちが集うエリアだ。
そんな猛者たちに質問してみてほしい。なぜ筋トレしてるのか?と。「健康維持」や「成長の実感」といった美しい言葉を織り交ぜて答える人がいても、鵜呑みにしてはいけない。それらの答えはもちろんウソではないと思うが、ほんとの答えは「自分のことが大好きだから」だ。リハビリ等の目的を持つ人を除いて、ジムでハードな筋トレを継続している人たちの大半は、自分のことが大好きだ。
2年ほど前に筋トレを始めた。
もともとはランニングが趣味で、マラソン大会に定期的にエントリーするほど日常的に走り込んでいたが、持病の腰痛を悪化させてしまい走るのをやめた。
代わりに腰に優しそうな水泳を始めた。昔から水泳が苦手で50mも泳げば死にそうにバテていたぼくも、無料のネット情報やYou tubeといった時代の恩恵を活用して、クロールと背泳ぎは人並み以上に泳げるまでになった。
その頃は、泳ぎ続けていれば水泳選手のような逞しい身体になれると思って練習前後にプロテインも飲み続けていたが、1年間続けて身体が引き締まりこそすれ、理想の筋肉は全くつかなかった。
あれ?何がしたいんだっけ?運動が好きで、腰痛で走れないから水泳に変えたのに、筋肉がつかないことが問題なの?
そう、ぼくも冒頭の猛者たちの例にもれず、「自分大好き人間」だったのだ。なんてこった、「自分大好き」の追認欲求が運動への欲求に勝っていたのだ。
よし、あのフリーウェイトのエリアに行こう。あのエリアで違和感のないムキムキを手に入れるしかない。1日も早くはんぺんを卒業して、ローストチキンのような身体になるのだ。
You tubeやネット情報を読み漁り、筋トレのフォームやメニューの組み方を勉強し実践する。プロテインやアミノ酸に関する知識を仕入れ、片っ端から試して効果を実感するアミノ酸の種類や摂取量・タイミングを把握する。休息日を設け、夜はしっかりと寝る。
筋トレ → 栄養摂取 → 休息 → 筋トレ。このサイクルを1年半ほど続けたある日。
「また、やってる。。」。鏡に向かうぼくの背後から家族の声がする。
あれ?家の鏡の前でポーズを取ってる自分がそこにいる。。?やばいよ!と思ったあの日の光景を今は自分が再現してる?
そう、ぼくも気付けば筋肉ムキムキワールドの一員になったのだ。
筋トレのメリットは沢山ある。健康維持、精神の安定、身体的成長の実感。そして、最大のメリットは自分を大好きでいられること、その自己肯定感を継続できることだと思う。
筋トレによる自己肯定感の特徴は、周りからの「すごいね!」がなくても、自分で自分を承認してあげられることだ。昔、あるマラソン選手がオリンピックで銀メダルを取った直後のインタビューで「自分で自分を褒めてあげたい」と言った、あの感覚だ。
それは、SNSをはじめとするインターネット空間にあるような、時には他人を誹謗中傷する責任への無自覚から生まれる「いいね」や「フォロワー」の数で満たされる承認欲求とは無縁の世界だ。
ぼくらは社会的な生き物で、「なにか」との繋がりを求める。その繋がりから自分の承認欲求を満たそうとする。その「なにか」が社会的・時代的にマジョリティであればあるほど、「自分は多数派にいる」という貧弱で本質的ではない安心感を得て満足してしまう。その「安心感」が誰かを傷つけるかも知れない、誰かの大切なものを損なうかも知れない、その可能性に対して無自覚になる。
自分で自分を承認する。自分で自分を褒めてあげる。
平和の始まりはここだ。
そう、筋トレは世界を平和にする。
だから、ニヤニヤしながら鏡の前でポーズを取っている人がいたら、自分史上最高の優しい眼差しを向けてあげてほしい。
あなたが世界を平和にしてるんだね、って。
...ちなみに、勢いづいて日焼けサロンに行こうとしたら妻に全力で反対され、ローストチキンにはなれていない。まだ色白チキンのままだ。