文章が上手すぎても読まれないかも知れないというnote記事の意外な落とし穴
こんにちは、やらぽんです!
今日はちょっとドキッとするかもしれないテーマでお届けします。
「あなたの記事、もしかして上手に書きすぎて読まれてないんじゃない?」というお話です。
せっかく一生懸命書いた記事があまり読まれないと、「なんで?」って疑問に思いますよね。
きっと「もっと頑張って上手に書こう」と思って、次は文法を気にしたり、理路整然と書いてみたり…でも、それでも反応がイマイチだったりするんです。
実は、この記事のテーマ、「上手すぎると読まれないかも?」っていうのは私の個人的な考えなので、もちろん正解というわけではありません。でも、多くの記事を読んできた中で感じたことをシェアしたくて書いています。
上手に書いているはずなのに、なぜか読まれない…そんな経験、ありませんか?
読み手からの「いいね」やコメントがつかないと、プロフィールは立派でも、ちょっと寂しいですよね。
で、なぜ読まれていないのか、考えてみました。私なりに行きついた結論が、「上手に書きすぎているからじゃないか?」ということなんです。
これってパラドックスみたいで不思議な話に聞こえますが、実際にあり得ることなんですよね。
上手に書くこと自体は悪いことじゃありません。
でも、上手に書こうとするあまり、何かが欠けてしまっている気がするんですよね。
それが「共感」です。
共感って、文章の中にちょっとした不完全さや、素直な感情が表れることで生まれるものだと思います。
人は、完璧に整った文章よりも、少しデコボコしていて、感情が伝わる文章に心を動かされやすいんじゃないでしょうか。
理論的に正しい文章が「良い文章」であることには間違いないですが、読者にとっては「心に響くかどうか」がもっと重要な要素なんですよね。
上手に書こうとするあまり、文章が機械的で冷たい印象になってしまって、本当に伝えたい「熱量」が薄れてしまうこともよくあります。
私たちは時に「上手に書こう」という意識にとらわれすぎて、結局伝えたいことが曖昧になってしまうことがあるんじゃないかと感じます。
だから、言葉をきれいに並べることに気を取られるよりも、あなた自身の声や感情を伝えることにフォーカスしてみるのもいいかもしれません。
ちょっとした不揃いさがあっても、それが味になって、人の心に残る文章になることがよくあります。
例えるなら、ブロックで作られたまっすぐな壁と、自然石を積み上げた石垣の違いみたいな感じです。ブロック塀は几帳面でキレイだけど、なんだか味気ない。
でも、自然石の石垣は一つ一つの石に個性があって、見ていて飽きないし、どこか温かみを感じることができる。
それと同じように、文章にも個性や感情が詰まったほうが、読者に伝わりやすくなるんじゃないでしょうか。
結局のところ大事なのは「伝えたいことが何か」ということ。
それがちゃんと伝わるように書くのが一番大切です。もちろん、読みやすさや文法も大事ですが、上手さにこだわりすぎて、本当に伝えたいことが薄れてしまっては本末転倒ですよね。
どうするかはあなた次第ですが、時には「上手に書く」よりも、「自分の思いを伝える」ことに意識を向けてみてはいかがでしょうか?
ってことで、今回は
「文章が上手すぎても読まれないかも知れないというnote記事の意外な落とし穴」のテーマで上手に書くことより大事なことがありそうという話。😅
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。
では!
うまさより 共感大事 のほほんと
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