”リスクシェア”はポスト資本主義につながっているのかもという話
僕自身がまちの人事部というコンセプトで取り組んでいることの底流にあるのが、”リスクシェア”という裏コンセプト。
別に隠しているわけではないんです。抽象的で伝わりづらいので、あえてふれることが少ないですが。
このコンセプト、実は資本主義をこえていくことを意味しているんじゃ・・・?
今読んでいる「人新世の資本論」という本から、こんなざわざわするものを感じたので、言語化してみることにします。
”成長”という資本主義の前提を見直さない限り、持続可能性はない
まだ読了してないんですが、しずかな衝撃を受ける内容です。
今のSDGsが掲げる持続可能な発展は、経済成長ありきでは実現しない。「脱成長」が必要だ。
こういう内容を淡々とロジカルに説明するところから始まります。
今語られるSDGs(持続可能な開発目標)の多くの前提には資本主義、つまり経済成長がありますよね。
資本主義とは、価値増殖と資本蓄積が基本。このプロセスでおのずと自然の有限資源が収奪されていくわけです。そしてプラネタリーバウンダリー(地球の限界)をこえる。
なので、経済成長を前提にする限りゴールとする”持続可能”は担保されない。こんな矛盾が現実として僕たちに突きつけられている。
例えガソリン車を全て電気自動車に変えても、色々なモノをエコな素材に変えても、資本主義の枠内でおこなわれる限り、根本的には変わらない。
電気自動車の電池に使われるリチウムの産出過程では自然資源が過剰に収奪されて、生態系の許容値をこえてしまうとなれば、気候変動の根本的な解決に繋がるインパクトは生み出せない。
要するに、「経済成長なしに豊かな生活ができる社会」
これが必要だ、ということを説明しています。
そうでないと、ただ時間稼ぎにしかならない。
言うは易し。でも厳しい現実ですね。でも本書のデータが本当なら、ほっとけない現実です。
リスクシェアが資本主義を変える?
”まちのタレントバンク”は地域の資本主義を変える程の可能性がありますよ!
そんな言葉を、最近いくつかいただきます。
ただ僕自身は「おお、なんかすごい共感してもらえて嬉しいな・・・」程度にしか思ってなかったんです。
「資本主義をこえていかねばならん!」
こんな風に思ったことはありませんでした。
奨学金を一因に自分がチャレンジできなかった経験
↓
チャレンジしやすい社会をつくりたい!
↓
リスクを一人で背負う今の社会の仕組みではダメ
↓
リスクを分け合いながら助け合える仕組みに!
”リスクシェア”を軸にしよう
↓
まずは人の繋がりから価値をシェアできる
まちの人事部というコンセプトで始めよう
こんな感じで、リスクシェアの考え方とまちの人事部というコンセプトは全て自分の経験からスタートしていました。
リスクシェアは、ひとりではもてない重たい荷物も、信頼できるみんなで少しずつもてば軽くなる。お互いのため、地域のためになるものをみんなで共有して、フェアに分け合おう。みたいな営みのイメージです。
まちのタレントバンクという試みは、人の関係性を軸にした働き方をつくることを目指してます。
そういう働き方が浸透することで、地域でリスクシェアができる地盤を生みだしたいという狙いです。
でも今「人新世の資本論」を読んでいて、リスクシェアというビジョンは、言い換えると資本主義をこえる、になるのかもと感じてます。
士農工商という仕組みを、渋沢栄一は資本主義を取り入れることで壊していきました。(本人は「私益を重視しすぎている」と”資本主義”という言葉を使わなかったとか)
今、その資本主義も見直す時がきてるのかもしれない、そう感じます。
資本主義っていう枠をこえて、
「脱成長」と「豊かな生活」を両立させる
これをどう定義して、実現していくか。
”リスクシェア”におっきいヒントがあるはずです。
まちでつくる人事部やタレントバンク。今やってることを真っ直ぐに取り組む先に持続可能な世の中がないと、意味がないですよね。
なので、資本主義とか難しいしよくわからない・・・とか思わずに、そんなことまでひっくるめてやっていきたい所存です。
これからをつくる人には、先の世の中に対する色んな責任があると思うので。
また、読了したら続編を書きたいなあと思います。
ほんとに世の中知らないことだらけです。
今回も読んでいただきありがとうございました😊