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松平・徳川家の出世の道「伊賀八幡宮」武運長久・子孫繁栄【愛知シリーズ/三河シリーズ/名古屋シリーズ】

徳川家康の祖が苦難の時代に創建した。天下を取り、後水尾天皇より「東照大権現」の神号が贈られ、家光が八幡神に東照大権現を追加して祀り今の形になった。

変更履歴

  • 2025/01/25:初版


▼HP▼アクセス

〒444-0075 愛知県岡崎市伊賀町東郷中86

公式HP:https://www.igahachimanguu.com/
インスタ:https://www.instagram.com/igahachimangu/

▼祭神・本尊と脇時

  • 応神天皇

  • 仲哀天皇

  • 神宮皇后

  • 東照大権現

▼見どころ

→由緒

  • 1470年、松平四代・親忠公が松平家(徳川家の祖)の守護神、氏の神として八幡神を祀ったのが始まり

  • なぜ?「伊賀」なのかというと、社を伊賀から三河国に勧請したからである
    ※家康最大のピンチ「伊賀越え」は、伊賀に繋がりがあったのだろうね。と思うのだが。

  • 創建当時の松平家は盤石な武門とは言い難く堪忍の道を辿る

  • 1475年、松平氏菩提寺の大樹寺(私のNOTE)を創建

  • 1566年、松平第9代にあたる家康が三河守に任じられた際に社殿を造営

  • 家康が先祖代々の悲願を果たし、天下泰平を成し遂げる

  • 家康も、大きな合戦の時には必ず参詣したといわれ、徳川家の武運長久・子孫繁栄の守護神とされる

  • 1611年、家康がさらに社殿を造営

  • 戦乱の世を治め太平の世を築いた偉業を称え、家康の死後、 後水尾天皇より「東照大権現」の神号が贈られた

  • 1636年、家光が岡崎城主・本多忠利を奉行に任じて、増築で社殿を大々的に造営し、現在の社殿となる

  • 徳川三代将軍・家光が、 祖父・家康(東照大権現)を祀り、現在は八幡神、東照大権現を祀る社となった

  • 武運長久・出世開運の御神徳ありと、全国の武家に広く奉じられておりました。

→参道/新橋@重文/蓮

→随神門@重文

  • 1636年、幣殿、拝殿などと同年に造営

  • 随神を安置する御門は愛知県内で伊賀八幡宮のみなんだそうな

  • 門の四隅で屋根を支える力神や、鮮やかな彩色の蟇股の彫刻など、多数の装飾が施されている

 妻がつぶやいた。字が汚い・・素人か??墓石などのプロに任せたら、このような字にはならないはずと。側面を見ると「徳川」とあったので末裔の字ということだろう。プチ見どころかなと。

→幣殿@重文・拝殿@重文・本殿@重文

  • 1611年、徳川家康によって、本殿を造営

  • 1636年、徳川家光によって、幣殿・拝殿を本殿に増設し造営された

  • つまり、本殿・幣殿・拝殿の三連からなる権現造りだが、本殿は流造りなのは増設したからだろう

  • また、八幡神社といえば「鳩」だが、伊賀八幡宮の拝殿の障壁画は、家康が好んだ「鷹」が阿吽の対で描かれている

 本殿手前左右に摂社・末社があるが入れない・・。

→ 御供所@重文

→毎年1月の大寒の日「武者的神事」

 28mはなれた場所から矢を放ち檜の的板のわれ具合によってその年の豊凶を占う「武者的神事」が行われる。占いは「矢が的に当たる」「当たるが割れない」「2つに割れる」「3つ以上に割れる」の4段階で判定される。

▼メディア情報

これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。

▼旅行記▼セットで行くところ

◆愛知⑦◆豊川と岡崎の神社仏閣と名古屋港水族館【愛知シリーズ/三河シリーズ/名古屋シリーズ】|やんまあ@旅行記

未来の旅行記は次に記載されていきます。

愛知の神社仏閣は次のマガジンに追加していきます。

▼仏像展


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