天照大神の孫降臨「御上神社」本殿国宝!近江富士が御神山!【滋賀湖南シリーズ】
祭神「天之御影命」はアマテラスの孫で、和歌山の「日前・國懸神宮」と同じですね。三上山を御神体とし山の麓の整然とした神社で交通が多い国道通りにありますが社に入るとそれを忘れる空気感の神社で、社殿を見ると国宝!!
この神社の楼門を気に入ったり、由緒に興味がある方は「苗村神社」も行ってみてください。
ついでに、竜王シリーズをセットでどうぞ!近江富士こと三上山は、古来より、近江随一の霊峰として崇められてきた山で麓には歴史を持つ神社が鎮座している。
変更履歴
▼HP
▼アクセス
滋賀県野洲市三上838
▼祭神・本尊と脇時
※後述「▼見どころ」参照
▼見どころ
紀元前342年から紀元前215年頃、三上山の山頂の盤座に降臨したアマテラスの孫・天御影之神を祀ったのが始まり
天之御影命の孫・彦伊賀都命(ヒコイガツノミコト)が、三上山の山頂で祭祀を執り行った
『古事記』に「近つ淡海の御上祝がもちいつく天之御影神」と記載されている
『先代旧事本紀』には第七代孝霊天皇の六年に天之御影神が三上山に降臨し、それから千年は三上山を清浄な神霊が鎮まる磐境として祀って来た
718年、藤原不比等が、御上神社の遥拝所があった西麓の現在地に社殿を造営して今に至る
御上神社は今でも三上山を御神体としている
御神山と同じ名は失礼だと「三上神社」ではなく「御上神社」とし、目上など向けと「御」を付けたのかも
天之御影神は金工鍛冶の祖神である天目一箇神であるとされており、社紋も釘抜紋となっている
国道8号沿いだが、杜(もり)の中に鎮座
楼門@重文をくぐると拝殿@重文、本殿@国宝が一直線に並んでいる
本殿左右に若宮社・三宮社が鎮座する
本殿は滋賀県神社建築の国宝の第一号であり、鎌倉時代のもの
神社・仏堂・御殿の3様式が合成された御上造とよばれる建築様式
三上山の山麓には古代から中世まで「東光寺」の大伽藍があったよう
戦乱により焼失していったようだ
1554年、「東光寺」の塔頭か分かりかねるが「政光院」を神社境内に移している
この寺は神仏習合時代の神宮寺という役目を担ったようで『木曽路名所図鑑』からも伺える
三上山は俵藤太のムカデ退治でも知られている
ここまで摂社・末社も御朱印あるのは珍しいかと・・。
→参道
祭神・天之御影神が三上山に降臨したのをきっかけに、「近江富士」の別名もある標高432メートルの三上山山麓に鎮座し、三上山を神体山としている。『古事記』の開化天皇の段に「近つ淡海の御上祝がもちいつく天之御影神」と記されている。
あれ・・下鴨神社や上賀茂神社などが着火した境内にカフェがここでも始まっている?
→手水舎、休憩所
2023年参拝順が書かれていた。前もあったのかな。前回はたまたま帰りに通って、どこかでUターンして来たのだが、時間が遅くてサッと見たので、見逃したかも。
→楼門@重文
楼門@重文ですね。凄く期待が膨らむ雰囲気なのは檜皮葺だからかな。そして拝殿っも重要文化財と、あれもこれも重要文化財ですね。
玉を抱えているのは「和魂」と「荒魂」というのは考えすぎか・・。
楼門は二階建ての三間一戸で、創建は墨書きから1365年のもののよう。
油日神社と似ていますね。背後に形の良い山に神が降臨し、社殿が出来て人々が大事にする!パターンですね。三上山麓の大岩山から24個の銅鐸が発見されていることから、古代から祭祀が行われていたということかと。
ということで山きっかけの神社を何個か紹介しておきます。
これぐらいにしておきます・・。元に戻します。
→拝殿@重文
鎌倉時代のもので、旧本殿の木材をリユースされています!拝殿の向こうに見えるのが、御神体の三上山。
御朱印が京都・新日吉神宮並みに多く、全部集めると結構の値段になりますね・・。
本殿近くから拝殿・楼門の写真。やはり回廊がないだけの油日神社にしか見えない。本当に素晴らしい雰囲気と空気です。
→本殿@国宝:天之御影命(アメノミカゲノミコト)
祭神・天之御影命は天津彦根(アマツヒコネ)の子なのでアマテラスの孫。鍛冶の神で、アマツヒコネの子である天目一箇神と同一神とされる。
神社自体は、718年に、藤原不比等が、御上神社の遥拝所があった西麓の現在地に社殿を造営したとあり、それまでは大神神社などと同じく山自体を神としていたようだ。
たぶん神社好きは違和感を感じるだろう。寺も好きな人は、アレっなんかお堂のような・・・と思うだろう。その通りで、神社×仏堂×御殿建築の様式も取り入られている独自のもので「御上造」と呼ばれている。屋根には千木と鰹木があるので神社だが、白漆喰の壁や連子窓など、仏堂的要素が強い。仏堂的要素としては、外壁の漆喰壁や連子窓のようです。
なんでこうなったかは不明だが、わかっていることは、建物の周囲に回された縁の礎石に、建武4年(1337年)の銘が見られる事から、縁や向拝の部分は1300年代に改造されたものであると見られているということだ。神仏習合なんでしょうね。
↑昔↓今で少し違いますね。間違い探しをどうぞ!?
なお、2023年参拝時は正面は入れないようになっていました・・。たまたまかな・・。左から右に行けないので本堂、いや本殿裏から回り込みます。
本殿の造営の時期は鎌倉時代と考えられており、三間四方の一重入母屋造・檜皮葺で、正面に向拝一間がとりつけられている。
本殿左ですね。やはりお堂にしか見えないな。
本殿真裏から右側に回ります。
本殿の裏に礼拝所と思いきや、中央に扉がとりつけられている。扉を開けると、参拝者は本殿を通して御神体・三上山を直接拝める形となることから、以前の本殿は三上山の遥拝所としての性格を強く持っていたとも言われている。ただ、個人的には本殿は本尊の仏像が安置され、そこを抜けると神社の本殿があったのかもしれないとも思う。
本殿足元の「縁束石」には花の彫刻ががされている。正面右端の縁束石には「建武四年」(1337年)の銘が刻まれている。
本殿左側が摂社・若宮神社、右側が摂社・三宮神社となっている。これらの建造物はいずれも1275年1332年にかけてに整備されたものであり、重要文化財である。
→若宮神社@重文:イザナギ、菅原道真、天石戸和別命、天之御桙神、野槌之神
本殿の左にあるのが摂社の若宮神社で、祭神は菅原道真。室町時代に建立された建造物で国の重要文化財に指定されている。
今でこそ菅原道真としていますが、本来は、天之御桙神、野槌之神が大事にされたと解釈する。それは「苗村神社」などもそうだが、この地域はアメノヒホコがキーワードだからだ。
あと若宮神社は主祭神の御子であり、本来の神社名は二宮神社のようだっし、菅原道真は天神信仰で切り替えたと確信する。
→大神宮社:天照大御神、三宮神社:瓊々杵命(ニニギノミコト)
本殿右に手前から大神宮社、三宮神社がある。
三宮神社はニニギノミコトを祀るのだが、苗村神社にも祀られているが、本地垂迹では「十禅師」となり「十禅師社」とも称した。って、神仏習合の名残で良いかと。
→楼門内そのほか
三宮神社から楼門へ流れます。
楼門近くには鎮魂殿と絵馬掛けがあります。
楼門から外に出て右側!あとで下の写真の向こう側に進みます。
→楼門手前摂社・末社
その他に「御鍵取神社:天津彦根神・猿田彦神」「愛宕神社:火産霊神」「竈殿神社:火産霊神・奥津比古神・奥津比売神」があるが、記憶なし。
→三上山奥宮:天之御影命
三上山山頂には奥宮が鎮座し、奥宮には磐座がある。ということだが、未参拝です。またの機会に。
と言いたいが行かないと思われるので、言った方の記事を参考にどうぞ!
→境内風景
▼祭り
→5月下旬の「悠紀斎田記念御田植祭」
→毎年6月18日、奥宮『山上祭』
→10月中旬の『秋季古例祭』(通称:ずいきまつり)
▼旅行記
▼セットで行くところ
▼仏像展
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