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★特別開扉★通常非公開!アフロ仏!五劫思惟阿弥陀「西雲院」金戒光明寺塔頭 #京都岡崎シリーズ

ああ~五劫思惟阿弥陀だ!!人々が幸せになれ!21億年以上考え中!!2024年「浄土宗寺院大公開」で公開された。次はいつ公開だろうか??

変更履歴


▼HP▼アクセス

京都府京都市左京区黒谷町121
浄土宗HP:http://otera.jodo.or.jp/temple/29-561/

「金戒光明寺(私のNOTE)」のアフロ石仏からの行き方です!

 で、階段を上り上の塔まで行かず、途中に左に入る小径があるので、そちらを進みましょう!!

▼祭神・本尊と脇時

※後述「▼見どころ」参照

▼見どころ

 紅葉が奇麗そうですね。黒谷さん(金戒光明寺(私のNOTE))の紅葉時期は特別開帳や夜間拝観がデフォルトでされるので、こちらも来るべきかなと。

→歴史

  • 西雲院(さいうんいん)は、京都市左京区黒谷町にある浄土宗の寺院で、大本山金戒光明寺の塔頭

  • 京都・大本山金戒光明寺の文殊塔に至る78段の石段を上り、塔に向かって左に折れたところにある

  • 本尊は阿弥陀如来

  • 1175年、浄土宗開宗・法然上人は比叡山を下り、京都東山の真如堂(私のNOTE)に詣でた後、半畳程の大きさの白河石に腰をかけ祈念すると紫雲たなびき光が満ちた

  • 法然上人はこれによりこの地を念仏の道場と定めた

  • 1616年、李氏朝鮮出身の僧・宗厳が、金戒光明寺第27世・了的(りょうてき)から浄土宗の開祖・法然上人ゆかりの「紫雲石」を贈られて創建

  • 「紫雲石」は、法然上人が比叡山を下り、大きな石に腰を掛けた際に、石から紫の雲が立ち上り、西の空に金色の光が放たれたという伝説に由来している

  • 宗厳は千日念仏を修し、弟子たちが万日念仏、三万日念仏、四万日念仏と続けたため、西雲院は「万日寺」とも呼ばれるようになった

  • 秋には紅葉が楽しめる

→紫雲石(しうんせき)/念仏堂

  • 浄土宗の開祖・法然上人にまつわる伝説的な石

  • 伝説によれば、法然上人が比叡山を下りた際に、この石に腰を掛けたところ、石から紫色の雲が立ち上り、西の空に金色の光が放たれた

  • この出来事が「紫雲石」の名前の由来

  • この石は、法然上人の教えと浄土宗の信仰の象徴として大切にされている

  • 西雲院の創建者である宗厳も、この紫雲石を受け取ったことがきっかけで寺を創建したとか

「紫雲石西雲院」縁起
承安5(1175)年春3月彼岸の頃、法然上人43歳の時、念仏弘通の有縁の地を求め、修行しておられた比叡山を下り真如堂の阿弥陀様に「勝縁の地を指し示め給へ」とお参りされた後、当地に立ち寄られ、山上の大石に腰をかけて西に沈む夕日に向かって念仏を称えておられました。すると西方よりにわかに紫雲がわき上がり、金色の光が赫赫と輝き、あたりには芳香が漂ってきました。法然上人はこの瑞相を目の当たりにされ「これぞ念仏有縁の地なり」と申されてこの地に初めて草庵を結び、浄土宗を開かれました。これよりこの大石は「紫雲石(しうんせき)」と呼ばれるようになりました。 西雲院は、元和2(1616)年朝鮮より日本に連れてこられた宗厳(そうごん)が、縁あってこの紫雲石を賜り創建しました。宗厳は不断念仏行を称え、代々受け継がれ四万日間続きました。これにより江戸時代には「紫雲石萬日寺」とも呼ばれました。

→本堂

 本堂の中央には阿弥陀如来が安置されている。本堂前には多くの植木鉢が置かれており、特に夏季には30種類以上の蓮の花が咲き誇ろそうな。

 本堂には阿弥陀三尊のようだ。本尊は阿弥陀如来立像で、脇侍は勢至・観音両菩薩のようだが、供物などが邪魔で部分的にしか見仏できなかった。お姿は特別拝観を参照で。

→特別拝観!!2024年「浄土宗寺院大公開」

 志納だった・・。悪いので500円を志納したが、どちらの御朱印にされますか?と聞かれた。私のルールは御朱印は神社のみで、寺は拝観料を取られるので御朱印は集めていないが、せっかくなので頂いた。頂くと200円の御返しですと言われたが、お納めいただいた。保全費に使ってください。

 しかし、狛犬多すぎなのだが・・・?聞いておけばよかった・・・・。


 2015年にも行われたようですね。

→2022年特別公開


→会津墓地(西雲院の津墓地)

 会津藩の殉難者を祀る墓地があり、特に戊辰戦争で戦死した者たちの慰霊碑が立っているそうな。

 山門出たらすぐ左で石標が案内してくれます。

  • 会津藩殉難者墓地
    1862年から1867年の間に亡くなった237名と、鳥羽伏見の戦いで戦死した115名の慰霊碑が祀られている

  • 会津小鉄の墓
    会津藩のために尽力した侠客、会津小鉄(本名:上坂仙吉)の墓もある

  • 慰霊法要
    毎年6月の第2日曜日には、会津藩殉難者追悼法要が行われる

京都守護職が設置された理由や松平容保が家臣1000名を率いて入京し、この金戒光明寺に本陣を置いた経緯は既に触れました。冒頭にこのことをまず記しています。
その後、1863(文久3)年の8月18日の政変と七卿の都落ち、1864年の6月の「池田屋事件」、7月の「禁門の変」の発生事実と会津藩士他の犠牲者が発生した事実を記しています。続出した犠牲者のために、ここに300坪の墓地が整備され埋葬されたという次第です
  文久2年から慶応3年(1867)の6年間  237霊
  鳥羽伏見の戦い            115霊 
慰霊碑を建立し合祀が、この会津墓地に葬られていると記されています。そして「この忠烈なる真義に徹した英魂の遺徳を顕彰せんが為にこの碑に由来を誌す」と締めくくっています。
末尾には、松平容保が「窓前竹」と題して詠んだ歌が記されています。
  さす月よ うつるのみかは 友ずりの 
         こゑさへ きよし 窓の呉竹

▼メディア情報

これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。

▼旅行記▼セットで行くところ

▼仏像展


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