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惟喬親王の高松御所「筒井神社/金龍寺/大皇器地祖神社/惟喬親王御陵」運転注意!事前調査必須【滋賀湖東シリーズ/湖東シリーズ】

惟喬親王隠れの高松御所がある。

惟喬親王
 844年、第55代文徳天皇(もんとくてんのう)の長子として誕生。後に誕生した第4皇子惟仁親王の母は、太政大臣・藤原良房の娘・明子である。良房は外孫の惟仁親王(後の清和天皇)を僅か生後8カ月で立太子させ、9歳で天皇位につけ補佐した。
 15歳になられた惟喬親王は、第2、第3皇子が亡くなり身の危険を感じ、良房の追跡を逃れ、藤原実秀、堀川中納言らの側近を連れ琵琶湖を船で渡り、鈴鹿山系の山深くまで入られた。最後に当地にたどり着いて幽棲されていた住まいが金龍寺のようだ。

 いつか纏めたいのだが、なかなか行くのに苦労するんだな~。

変更履歴


▼HP▼アクセス▼祭神・本尊と脇時

※後述「▼見どころ」参照

▼見どころ

 以下の動画に行くまでの道も狭いです!スピードですぎないように!!

▽筒井神社

 古来筒井峠の森の中に鎮座し、貞観七年の創祀という。祭神惟喬親王は木地師の祖神として全国の木地師、轆轤工人の崇敬篤い。

▽金龍寺:滋賀県東近江市君ケ畑町809

  • 大皇器地祖神社ちょい奥

  • 惟喬親王はこの地に金龍寺を建て、これを住居とした

  • 以来、里人は小松畑を君ヶ畑と呼ぶようになる

  • 金龍寺を「高松御所」と呼んだ

  • 金龍寺は寺というよりも若干大きな民家という感じ


▽大皇器地祖神社:滋賀県東近江市君ケ畑町977

  • 滋賀県東近江市君ケ畑町977。惟喬親王の地。

  • 898年の創祀

  • 1872年まで、正月・5月・9月に国家安泰、皇家永久の祈祷符を宮中に納めていた

  • 惟喬親王がこの地に住んでいた際、小椋信濃守久長と小椋伯耆守光吉に命じて木地の器を作らせた

  • この伝承によって、当社を「木地師の根源社」と称している

  • 同様に木地師の根源社と称す筒井八幡(現筒井神社)と木地師に対する氏子狩を行い、全国に散っていた木地師に大きな影響力を持っていた

  • そのため「白雲山小野宮大皇器地祖大明神」とも称した

  • 1882年に現社名に改められた

  • 1893年には内務省から保存資金が下賜された

▽惟喬親王御陵

▽京都の惟喬親王

▼メディア情報

これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。

▼旅行記


▼セットで行くところ

湖東に抜けるコースと竜王に抜けるコース、湖南に抜けるコースと車ならばどこでも行けるな。

湖東のうち東近江市は次の通り。


▼仏像展


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