大修理16億円「天野山金剛寺」国宝は運慶ではなく快慶愛弟子・行快作だった!【河内長野シリーズ】
伝運慶作!だったのだが・・修復時に行快作だったと判明!!ここから一気に行快に注目が!5件の国宝と29件の重要文化財を持つので、大阪を代表する寺と言ってよかろう!!
寺としては奈良時代に行基が建立したとし、平安時代末期に高野山で修行した僧が中心となって再興したことになっている。延喜式が残っていることからも、この地域を代表する寺だったかと思う。
そして、南北朝時代には、この寺で南朝と北朝が塀を隔てて行宮が共にあるという謎な状況を作った古寺でもある!?
行快の代表作の一つは大報恩寺の本尊ですね!
ここで市の紹介動画
快慶愛弟子の行快!2017年あたりに国宝になった仏師ですね。
高野山が女人禁制だったのに対して女性も参詣ができたため「女人高野」とも呼ばれています。奈良では室生寺ですね。
変更履歴
▼HP(あまのさんこんごうじ)
▼アクセス
大阪府河内長野市天野996
▼本尊と脇時
大日如来坐像@国宝、行快作・不動明王坐像@国宝、降三世明王坐像@国宝
▼見どころ
寺内案内図。ここは駐車場が500円。各お堂と本坊の庭など共通券で500円/人なので、すべて見ることをオススメします。
金堂&仏像修理完了!!文化庁と河内長野市の補助を受け平成21年度より総額16億円をかけたらしい。金剛寺の負担額は5億5千万円。。みなさん100年後にこれが残るよう参拝しましょう。金堂で国宝になった三尊と金剛界&胎蔵界曼荼羅や、堂内の装飾を堪能し、寺内をブラブラします。ウン千万という大金を寄付した企業や個人がいるようで、大事にされている寺である。
参道の桜。散りはじめで所々綺麗な場所があった。あと1週間早かったら、感動の風景だったかも。
山門には金剛力士像ではなく、増長天@重文と持国天@重文が安置されていた。ふと思った。金剛寺なのに金剛力士像がないって、なんでやねん。。。。そして、家に帰って思った。本来は四天王が揃っており、本尊周りに安置されていたのであろう。そして、火事とかで一部の四天王や金剛力士像を焼失。残った四天王を山門に持ってきたのかなと。
1279年に正快ほか5名での作で、270センチで寄木造で玉眼。名前と快慶愛弟子の仏像があるので、快慶派と想像される。
ということで慶派の金剛力士でいえば、運慶&快慶&湛慶などの東大寺ですね。
また、東大寺以外も慶派のものが残っている。
などなど。話を戻します。
金堂には、2017年に国宝に指定された本尊「金剛界式大日如来坐像@国宝」、行快作「不動明王坐像@国宝」、行快作「降三世明王坐像@国宝」三尊を安置する。この三尊は伝運慶とされていたが、今回の修復で体内から墨書が見つかり、不動明王は快慶の愛弟子「行快」作と判明。行快作のこの大きさは初らしく、専門家曰く不慣れさを感じることから、不動明王の後に降三世明王坐像を作ったと推測している。
ちなみに如来は仏教の教えを守らないと明王に変化します。つまり、如来が神様の和魂なら明王は荒魂ですね。まとめると、大日如来⇔不動明王の関係ですね。
落慶法要の模様です。ちょっと脱線させます。
元に戻る前に宝物です。
南朝に所縁がある寺だけあって、高野山を思い出す凛とした空気感が漂っている。五仏堂の創建は平安時代で、五智如来@重文が安置されている。左奥に行くと薬師堂がある。
五仏堂の五智如来@重文の中尊は金堂と同じく金剛界式大日如来坐像である。1180年ごろの作であり、2022年の「観心寺と金剛寺」では円成寺の運慶作の大日如来とのつながりもあると記されている。
薬師堂をさらに左に進むと新西国三十三所を一気に回ったことにできる小堂巡りという名のハイキングコースがある。四十分ぐらいかかるようなので、今回はスルー。しかし、多くは「西国三十三所」なのだが、「新」のところは珍しいな・・。
平安時代末期の多宝塔は1939年の修理時に、地下から小壷などが見つかり、小壷の中には火葬された骨が納められていた。。
多宝塔には金剛界式大日如来坐像@重文が安置されている。
御仏堂から右に行くと御影堂・観月亭に着く。このお堂は平安時代の創建で、重要文化財に指定されている。お堂裏側も見逃さないことが大事。
御影堂は、平城天皇の第三皇子の真如親王筆・弘法大師御影があるようです。
左に法具蔵で、右は護摩堂です。
天野山金剛寺の本坊にある庭園も見逃せない。共通券500円で、国宝&重文の仏像・お堂を拝観し、ちょっと歩き疲れたら本坊の庭園でマッタリするのが良いでしょう。
本坊に入ると蹲踞(つくばい)が見え、苔と岩のコントラストが素晴らしい枯山水の庭が現れる。縁側に腰を掛けて休憩し、疲れが取れた気がした。
持仏堂には鎌倉時代作と思われる不動明王立像、阿弥陀如来坐像、金剛界式大日如来を安置している。大日如来は金堂に安置されている本尊のモックアップでは?と思うお姿。
この寺は南朝方の勅願寺だった時代があり、後村上天皇の行在所となり、北朝の光厳・光明・崇光天皇の三上皇となどが行在所としても使用されたようで十六菊紋がありますね。
↑床の図は、鎌倉時代初期の金剛寺の境内図ですね。塔頭が70以上あったようです(塔頭は今でいうと子会社といえば分かりやすい?)。
庭園全体。秋口は遠くの山が紅葉すると、すごい綺麗な庭に変貌しそうだ。嵐山の天龍寺みたいになりそう。
南朝の後村上天皇は、1354年に天野山金剛寺に来山し、摩尼院を御在所とされる一方、食堂@重文を正殿とした。もともとは、一山大衆の食事を行なったり、研学したりするための道場だったようです。境内の位置としては金堂手前になるので、参拝時は山門の次に通るところになるかと。
▼動画紹介
では、私が紹介していない国宝紹介をNHK動画でどうぞ!
平成の大修理の模様です
▼旅行記・セットで行くところ
▼仏像展
▽2017年 京都国立博物館『皇室の御寺 泉涌寺』
16億円での修復中には京博の1階で公開されていました。
▽2017年 東京国立博物館『仁和寺と御室派のみほとけ-天平と真言密教の名宝-』
数年前から修復中の大阪・金剛寺の展示が多かった。修復期間に仏像は奈良国立博物館、京都国立博物館で保管・修復され、2017年に快慶の愛弟子「行快」作がわかるなど、国宝指定になった仏像が多い。残念ながら京博と奈良博で分かれて展示されていた丈六の大日如来坐像、不動明王などの3尊は展示されなかったが、五重塔に安置される「五智如来@重文」、「金剛式大日如来@重文」など見どころ満載の仏像たちで、大阪一の仏像寺かもしれない。また、神社好きは知っている「延喜式」も展示されていた。
五重の塔には「五智如来坐像@重文」が完全配備!!素晴らしい空気感です!!なお、単独で安置されている鎌倉時代の「金剛式大日如来坐像@重文」などもある。
▽2017年 京都国立博物館 開館120周年記念特別展覧会『国宝展』
Ⅰ期(10月3日~10月15日)、Ⅱ期(10月17日~10月29日)に足を運んだ。
16億円で修復中!!ということで仏像が奈良国立博物館、京都国立博物館へ分かれて修復され、2017年に国宝になった!!ということで、早速、「金剛式大日如来@国宝」と脇侍の「不動明王@行快」が展示!!もうひとつの脇侍は奈良国立博物館のぶつぞう館に展示中。修復終了したら、拝観しに行きます!!