岡山県瀬戸内市と備前市「閑谷神社/黒井山等覚寺/真光寺」【岡山シリーズ】
閑谷学校は「しずたにがっこう」と読みます。江戸時代前期に建てられた学校で、身分を問わずに学べる公立学校で世界最古。「日本遺産」の第一号に認定された史跡で、注目は講堂@国宝で中に入ることができる。この講堂は今でも使われ、生徒たちによって床は磨かれている。
変更履歴
▼HP▼アクセス▼祭神・本尊と脇時
※後述「▼見どころ」参照
▼見どころ
▽黒井山等覚寺:岡山県瀬戸内市邑久町虫明5231-3
道の駅「黒井山グリーンパーク」の向かい側にある寺。弘法大師が汚れた衣服を井戸で洗ったところ、井戸が黒くなってしまった。その井戸は黒井と呼ばれ、それが寺院の山号になったという。道の駅に車を止め、地下道から反対車線の駐車場へ。って、ガチ寺で檀家が供養していたので、見仏は無理だった。。
▽真光寺:岡山県備前市西片上1509
真光寺は、室町時代の様式が色濃く残る建築美を楽しむことができます。国から文化財にも指定されています。
▽閑谷神社/聖廟(孔子廟):備前市閑谷748
旧閑谷学校の敷地内にある神社
備前藩主・池田光政が寛文年間学校を興し、その霊及び像を安置して芳烈祠(芳烈は光政公のおくりな)と称したのがの創建
池田家の定紋「泊まり蝶」の瓦で葺かれていて拝殿、幣殿、本殿が前後に並び、西庭に神庫、繋性石が配されている
もとは「東御堂」、または光政の謚をとって「芳烈祠」と呼ばれていた
本殿内には御神体として光政坐像が安置されている
神社説明はこちら(https://www.pref.okayama.jp/uploaded/attachment/260758.pdf)
閑谷学校内の社。1875年に閑谷神社と改称したが、その前は「東御堂」、あるいは「芳烈祠」と呼ばれていたことから神仏習合の神社仏閣だったと推測している。祭神は備前岡山藩初代藩主「池田光政」で、この地域の庶民から愛された藩主だったということだろう。
時期が時期なので紅葉も散っていました。ただ、この木の枝の太さと曲がり具合を見ると御神木だ!!と思ってしまうのはわかる気がしますね。
→講堂
「しずたにがっこう」と読みます。江戸時代前期に建てられた学校で、身分を問わずに学べる公立学校で世界最古。「日本遺産」の第一号に認定された史跡で、注目は講堂@国宝で中に入ることができる。この講堂は今でも使われ、生徒たちによって床は磨かれている。
▼メディア情報
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
▼旅行記
◆岡山③◆牛窓は日本エーゲ海!33年に一度の御開帳!!(瀬戸内/備前)
以降は次を参照
▼セットで行くところ
▼仏像展
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