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姫路城遠望SPOT「水尾神社/男山八幡宮/男山千姫天満宮」名前の通り石清水八幡宮から?【播磨シリーズ】

水尾神社の境内に車を置ける。男山山麓に水尾神社があり、男山の中腹に「千姫天満宮」で、山頂に「男山八幡宮」があるので一気に書きます。男山山頂は公園になっていて、そこからの眺める姫路城が良い。ちなみに「水尾神社」は「みおじんじゃ」と読む。

男山=石清水八幡宮の認識です。

変更履歴


▼HP▼アクセス▼祭神・本尊と脇時

※後述「▼見どころ」参照

▼見どころ

▽水尾神社:兵庫県姫路市山野井町1−3

  • 祭神は大己貴命、伊和大神といずれもオオクニヌシ

  • 姫路城下十三町の氏神社

  • 565年から伊和大神を祀ったそう

  • 786年、坂上田村麻呂が現在の播磨国総社へ遷して祀ったが、男山山麓周辺の民が男山に祠を建てて祀った

  • 1619年、姫路城城主・本多忠政が城をつくるときに、神守岡から岡大歳社をうつし、社殿を造営

  • 明治時代の神仏分離のときに、大年社歳徳大名神を水尾神社に改め、現在に至る

  • 水尾神社は播磨国総社の元宮といわれている

  • 末社は、市杵島姫社、荒神社、大将軍社、武大神

右から市杵嶋社、荒神社、大将軍社、武大神社

 男山の麓に鎮座。境内から姫路城が眺まれ、城下町の家並が残る氏子約千三百戸の氏神社である。
 記録によれば、当社はもと伊和大神を祀っていたが、二十九代欽明天皇即位二十六年(565年)六月十一日この神をを水尾山(古箕丘、今秩父山)に鎮祭し、延暦五年(786年)六月十一日将軍坂上田村麻呂は梛本の地に遷して祀った(現在の播磨国総社)。
 しかし、山麓の民多く、男山の下に移り住み、神影を崇めて祠を建て奉祀した。
 後に元和五年(1619年)三月本多美濃守忠政は姫路城築城の時、神守岡より岡大歳社を遷し社殿を造営する。
 この神は姫山の四方の守護として、岡主社、角岡社、角社の一社である。国内神名帳所載の神社として崇敬され、池田、本多、榊原、酒井等の藩主は、祭時に能楽を奉納した。霊威著しい神として祭神を本社に併せ祀った。
 明治の神仏分離の際、大年社歳徳大明神を水尾神社と改め現在に至る。明治年間社殿を改築する。
 又、現在の社殿は平成二十に年(2010年)に再建し、併設の社務所(崇敬会館)は平成七年(1995年)に新築、境内整備をしたものである。

↓由緒

▽水尾神社→男山千姫天満宮と男山八幡宮へ

 右の急な階段か左の緩やかな階段か?どちらでも行けます!!

右の急な階段
左の緩やかな階段

 フクロウ(不苦労)という緩やかな方で行きます!

▽男山千姫天満宮: 兵庫県姫路市山野井町1−3

  • 1623年、徳川秀忠とお江の子・千姫によって建てられた

  • 千姫は徳川秀忠を父とし、淀君の妹に当たるお江を母とする

  • 1616年、本多忠刻のもとに嫁になり、翌年姫路城に入る

  • 千姫の化粧料十万石で西の丸を築き、姫路城はまさに白鷺城と呼ばれるに至った

  • 千姫は男女二子に恵まれ、姫路で過ごした十年は人生で最も幸せな時期であった

  • 千姫は天満大自在天神を信仰し、比叡山延暦寺第十三代座主法性坊尊意作の天神木像を守護神として城内に祀った

  • 1623年、男山に天満宮を建てこれを遷し、朝夕西の丸長局の廊下から遥拝した

  • 他に金泥法法華経、観音経、唐鏡、袖手見、羽子板、虎の爪、茶碗、帯などを寄進している

▽男山千姫天満宮→男山八幡宮へ

▽男山八幡宮: 兵庫県姫路市山野井町1−3

  • 1345年、国家の守護神としてその名も高い京都の石清水男山八幡宮より勧請された

  • 1469年、大改築

  • 1716年、榊原政邦は姫路城の守護神として新社殿を寄進建立した

▽男山へ

 さらに上ると急な階段へ。

 姫路城の隠れ絶景スポットです。

▼メディア情報

これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。

▼旅行記

▼セットで行くところ


▼仏像展


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