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京都vs播州vs安来「清水寺」対決!子嶋寺に伝わる坂上田村麻呂は青い目!次回2033年御開帳!【京都東山シリーズ】【播州シリーズ】【出雲シリーズ】

「清水寺」と言えば?京都or兵庫??両方、坂上田村麻呂所縁の寺なので一気に書き上げます。因みに創建に奈良・子嶋寺の僧が関わっており、子嶋寺を本寺、京都清水寺を末寺とした歴史があるので併せて記す。ちなみに清水寺はいずれも西国三十三札所です。さらに安来市の清水寺も!

変更履歴

  • 2024/02/10 京都に追記(「2023/08/13」でページ内検索)、子嶋寺に2024年:東京国立博物館★仏像展★世界遺産『建立900年「中尊寺金色堂」』(https://note.com/yanma_travel/n/n67004ac44eb8)追加


▼HP、アクセス、祭神、本尊と脇時

※後述「▼見どころ」参照述「▼見どころ」参照

▼見どころ

▽子嶋寺(奈良県高市郡高取町観覚寺544)

 760年、考謙天皇の勅願により創建。僧・報恩によって開かれた寺。

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 びっくりするぐらいひっそりしている寺だが、京都・清水寺所縁の寺で、坂上田村麻呂とも繋がりが強く、坂上田村麻呂は青い目をしていたと寺では言い伝えがある。

箇条書きでこの寺の説明
・平安初期には長谷寺と壷坂寺に次ぐ大和国の観音霊場
・南都七大寺に勝るとも劣らない興隆を極めた時代もある
・京都清水寺の開創の一人である「延鎮」の出身寺
・延鎮と坂上田村麻呂によって、子嶋寺の別院としたのが京都・清水寺
・坂上田村麻呂から土地を受け取り繁栄する
・一条天皇から下賜された日本三大曼荼羅@国宝の1つを持つ
・高取城の城主は毎日、夜中に祈りに来ていた
・広大な地域で、本堂、御影堂、三重塔など23棟の建物と、子院が21箇所あった

 では、参拝です。
 山門は高取城の「二の門」を移築したもので、高取城の現存する唯一の遺構です。

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 京都清水寺の開創の一人がここの出身で、明治の神仏分離で廃れた。2010年ぐらいは、タレントの出川さんに似ている寺の人が丁寧に説明頂きました。坂上田村麻呂とも繋がりがあり、目の色は青色だった(西洋人)とか、高取城の城主は毎日、夜中に祈りに来たなど、いろいろな伝説が聞けます。

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 「十一面観音立像@重文」は2メートルの大きさの一木造りで室生寺風の顔である(こちらは東京国立博物館で見仏可能)。

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 本尊は大日如来で、四天王像が本尊を守っている。帰りに写真を撮らせてほしいとお願いしたらお堂外なら良いと許可を得た。

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 本堂右には「千寿院」がある。拝観すると内陣から通してくれるのだが、ここが高取城主が毎朝3時にお参りに来ていたところ。その当時は、住職と高取城主しか入室できなかったらしい。

 最後に、通称「子島曼荼羅」こと日本三大曼荼羅「紺綾地金銀泥絵両界曼荼羅図@国宝」がある。

日本三大曼荼羅
 三大曼荼羅は京都の東寺、神護寺、子嶋寺です。4分の1の大きさの曼陀羅が本堂内にあります。子嶋寺は奈良国立博物館に寄贈。

2018年 東京国立博物館「仁和寺と御室派のみほとけ」展メモ
 (略)参拝した時に、巨大曼荼羅があると説明していただいたが、置けないので国立博物館で保管していると聞いた。実物を見て感動した!!そして国宝だし。因みに国宝・重文になると管理が大変と教えてくれたのはこの寺です。

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 近くに池の真ん中に社があった。龍神だそうですね。

 2024年に東京国立博物館で『建立900年「中尊寺金色堂」』が行われていた。その時に平常展で「十一面観音菩薩立像@重文」が展示されていた。

▽京都・清水寺(京都府京都市東山区清水1-294)

 参拝する前にプチ概略まとめます。

  • 778年、前述の「奈良・子嶋寺」の僧・延鎮が北に行くと「清水の滝」を発見

  • そこで謎の人に会い十一面観音を彫っておいて!東国に行ってきます!と言われる

  • 言われるがまま頑張るが、なかなか戻ってこない

  • 798年、坂上田村麻呂と「清水の滝」で出会い清水寺を建立する

  • この「清水の滝」が今の「音羽の滝」である

  • 滝の上には奥の院・千手堂があり三面千手観音座像を安置し、本尊には清水寺式十一面観音立像を安置する

  • 801年、坂上田村麻呂は4万の軍勢を率いて蝦夷軍と戦う

  • この戦いで、蝦夷側の阿弖流為・母禮は、田村麻呂に降伏する

  • ノーサイド!田村麻呂は、智略・武勇を評価し、助命のうえ東北経営の一端を任せるべきと朝廷に進言した

  • しかし、その嘆願は受け入れられず、2人は処刑されてしまう

  • そのため、清水寺は、志し半ばで散った阿弖流為・母禮の鎮魂の寺院とも言われている

  • 1633年、「清水の舞台」として有名な「本堂」を再建した

  • ただし、今の懸造は平安時代には今の造りになっていたようで、最長約12mの巨大な欅の柱を並べ、釘を1本も使わずに組み上げた木造建築

  • 清水の舞台は、本尊に芸能を奉納するための場所で、平安時代から雅楽・能・狂言・歌舞伎など様々な芸能が奉納されている

 (前述の)奈良・子嶋寺の延鎮は、京都・東山で坂上田村麻呂に出会う。坂上田村麻呂は延鎮の教えに帰依し、同じ出身地である高取町の子嶋山寺の住職であることを知り、二人で清水寺式十一面千手観音を安置して、清水寺を建立した。
 その後、坂上田村麻呂は蝦夷征討の成功と、全軍が無事帰還できることを清水寺に祈願して、無事に目的を達成。坂上田村麻呂は奈良の領地を子嶋寺に寄贈したそうな。そんな関係で子嶋寺を本寺、京都清水寺を末寺としたそうな。

 ということだが、細かいところで違うのと、坂上田村麻呂目線の由緒をリンクします。そのあとに、公式HPを紹介して参拝記録になります。

公式HPです。

 では、参拝です。公式HPのお堂の番号と合わせてみました。

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追加情報
 清水寺は、京都の東部にある音羽山(おとわやま)の中腹にあり、778年に創建。奈良の修行僧「賢心(けんしん)」が、この地で観音様の化身と出会い、霊場を託されたのが始まり。観音霊場である清水寺は、広く庶民に親しまれ、古い文献からも、その様子が記されています。広大な境内には、国宝や重要文化財を含む30以上の建物が並んでいる。
 古い歴史と貴重な建物を持つことから、1994年には「古都京都の文化財」として、世界文化遺産に登録された。

0.地蔵院善光寺堂

 いざ行くかと思いましたが左にお堂が!!地蔵院善光寺とあります。善光寺と言えば長野にある善光寺で、戦国武将が善光寺の仏像を取り合ったので有名。京都にあってもおかしくないなと、見仏しました。

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すると・・

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 本尊は如意輪観音で、脇侍は地蔵菩薩と善光寺式阿弥陀如来三尊と意外な組み合わせになっています。本尊の如意輪の顔はどこかで修復されたような感じの違和感がありました。京都は応仁の乱で宝物は修復されものが多いので修復時の違和感かもしれません。

1. 仁王門、2. 西門、3. 鐘楼、4. 三重塔

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○三重塔
 高さは30mで4方には鬼瓦が設置されているが1カ所だけ火から守るべく龍にしている。
 塔内には大日如来が安置されていた。写真お断りと書いてあるので、左から1枚写真を頂きました。有料部分ではなく無料部分の三重塔です。皆さん素通りですが、私たちが階段に登り見ていると、何?何?とチラホラ人が集まりだす。日本人アルアルですね。

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西国三十三所 草創千三百年 2016年
 2016年は秋ごろに「三重の塔開扉」され、大日如来が安置されていた。御本尊は十一面千手千眼観世音菩薩で42臂のうち2臂を空高く上げて化仏を持つ、いわゆる清水型千手観音だが、これを公開されないか淡い期待を持っている。いや、奥宮の美仏「千手観音坐像@重文」を公開されないかな。2017年の奈良国立博物館「快慶展」であまりの美しさに行列ができた仏様。

2016年の記録

5. 随求堂

 清水寺の拝観券を購入する窓口の手前に位置する「ずいぐいどう」。2018年に222年ぶりに「大隨求菩薩」が御開帳!!ニュースで流れているせいか山門まで人が並んでいた。。。20分ほど待って見仏!!

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 この御開帳は2015年から続いている「西国三十三所 草創1300年記念 特別拝観」の2018年用の清水寺の出し物。

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 仏像は八臂の110cm程度の坐像で、定慶が作りそうな観音に感じた。高い位置に安置されているので、目線は下向きかと思ったがそうでもない。昔は今よりも低い位置で安置されていたかと思う。

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 顔については御寺の楊貴妃観音風味で、同時に弁財天と准抵観音のいいとこどりにも感じた。
 随求堂には歓喜天も安置されていたが、それはさすがに非公開だが、須弥壇右手に「清水寺式千手観音立像」、左手に「十一面観音立像」が安置されていたが、暗いのでペンライトがあった方が良い。

 ちなみに、お堂の地下の中を歩く「胎内めぐり」の途中に石があるのだが、これは大随求菩薩を示す。石をまわして祈りを捧げると良いそうな。御利益は滅罪、子授け、息災などとなっている。

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 最後に、ここの秘仏公開は1754年と1796年の2回で222年ぶりとなっているが、1989~2013年に展覧会や清水寺境内の別の施設で29回開帳(出開帳)している。また、チャンスがあるかな。

西国三十三所 草創千三百年 2018年
 2018年は222年ぶりの秘仏「大随求菩薩像(だいずいぐぼさつぞう)」が公開された。江戸時代中期の作で新しい部類で、台座を含めると高さが2メートル半ある。一面八臂で剣や経典、蛇などを携えている。

2018年の記録

6. 経堂


7. 本堂@国宝、清水の舞台

 「清水の舞台から飛び降りる」という「ことわざ」の場所としても有名。「思い切って大きな決断を下す」という意味だが、実際、本当に下りた人もいるとか・・。
 舞台は地上から約13mあり、生きて帰れたら「願いが叶う」といった迷信が生まれて広まったよう。ただ、舞台の下に木が生い茂り、飛び降りても助かる確率は高かったようだが。。もちろん、飛んでお亡くなりになったケースもあるだろう。。

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 個人的にお奨めは「胎内巡り」です、本堂下に真っ暗のトンネルをくぐります。胎児に戻り暗闇を進みます。ただし、この清水寺は人が多いので早く進むと前の人にぶつかり、遅すぎると後ろの人にぶつかるので、ご注意を。

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 寺へ入るのにこんなに並ぶかというぐらい長蛇の列。坂上田村麻呂所縁の寺だけあって青い目を持つ観光客も多く、着物を着ている中国、韓国、台湾あたりの人もすごい多いです。テレビではマナーの問題が取り上げられがちですが、そんなことないですよね。

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 参拝客は列を作って大黒さんにお祈りしていますが、左手には阿弥陀如来が祀られています。小さいながらも、大事にされているオーラを感じる仏様。もしかしたら、お前立で、厨子に本尊@秘仏があるかもしれないと思いつつ、本堂へ入りました。

 ちなみに、この大黒さんですが、元々は鴨川の小さな御堂に安置されていたようです。

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 本堂の懸造りです。本当に素晴らしいの一言です。
↓-------2023/08/13
 堂内は巨大な丸柱により、礼堂である外陣・内陣・内々陣の3つに分かれます。優美な曲線をみせる寄棟造りで。屋根は檜皮葺き、軒下の蔀戸などは平安時代の宮殿、貴族の邸宅の優雅さを今に伝える建築物です。
↑-------2023/08/13

 あまり知られていないかもしれませんが、本堂には素晴らしい仏像たちがいます。本堂内は外陣と内陣があり、一般の人は外陣までで、本尊開扉で内陣に入れる場所が一般的だが、ここはさらに内々陣がある。内陣はなかなか入れないのですがね・・。

 本尊は秘仏のためお前立になりますが、御前立も清水寺式十一面千手観音です。普段は外陣から御正体の懸仏を拝観することになります。
 脇侍には向かって右に「毘沙門天立像」、左に「地蔵菩薩立像」を安置し、こちらも秘仏。
 3尊の周りには三十三間堂と同じく二十八部衆がお守りしています。この二十八部衆は、十一面観音をお守りする役割がある。

メモ
 帝釈天&梵天・・釈迦如来の脇侍
 八部将・・・・・釈迦如来
 四天王・・・・・釈迦如来など如来、菩薩
 十二神将・・・・薬師如来、日光・月光菩薩
 十一面観音・・・二十八部衆

 専門家の一部では、清水寺の二十八部衆は、三十三間堂を模したのでは?と語る人がいるようだ。ただし、近年、鎌倉時代の三十三間堂の絵図から清水寺式十一面千手観音の周りに二十八部衆が描かれた絵が出たようだ。もしかして二十八部衆は逆(清水寺→三十三間堂)では説も出てきているようだ。

二十八部将
 風神・雷神、金剛力士像、四天王、十二神将、梵天・帝釈天、八部衆(興福寺の阿修羅が有名)などである。天大集合!と思えばよいかと。

清水寺式十一面千手観音
 42本の手があるのが千手観音の基本様式だが、ここは2本を頭の上に上げており、化仏を乗っけている。この形は長らく謎だったが、8世紀の画から同じ様式があることが中国で発見された。そのため、ルーツは中国ではないのか?とも。

 最後に、清水寺式十一面観音は京都では毘沙門堂で見仏できますね。

 なかなかの作風です。かなり暗いのでペンライトがあった方がよいでしょう。そういえば同じ懸造りの本堂を持つ奈良県桜井の長谷寺も長谷寺式十一面観音を祀り、独自の様式仏像がありますね。

清水寺と三十三間堂
 

清水寺の舞台リニューアル(2020年)

 本堂から対岸の塔です。後ほど訪れるとして、ひとまず、地主神社に行きます。

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秘仏「清水寺式千手観音」
 賢心は、音羽山で清らかな水が流れる滝を発見し、老仙人「行叡居士(ぎょうえいこじ)」が、草庵で修行をしていた。行叡居士は賢心に霊木を授けて、「千手観音像でこの地を守ってほしい」と言って姿を消す。その仏像が本尊である。
 しかし、なぜ?清水寺式十一面観音は両手を上げているのか?

▽地主神社(清水寺境内)

 「じしゅじんじゃ」と読み、清水寺よりも古いようだ。811年に嵯峨天皇が絶賛した桜がある。
 清水寺の境内にあるが、本団・拝殿が南北の1直線上に並んでおり、本尊に願うと地虫神社も参拝したことになる!?

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 清水寺境内にある縁結びの神様がいる。ちょっとわかりにくいところにあったのだが、最近は雑誌とかの紹介で有名どころになった!?2018年ごろは人がごった返していた。

 ひとまず、神社はケガレ(汚れ、気枯れ)はNGなので手水舎があり、神社の入り口は「祓戸社」がある。ここは大黒さんがケガレも払うようだ(笑)

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 なんでここは「オオクニヌシ」なのか謎だった。創建に深い繋がりがある奈良・子嶋寺の僧や坂上田村麻呂が関係していることを考えると八幡系の方がすっきりする。が、ふと気づいた。。オオクニヌシ=島根・杵築大社(現・出雲大社)で、二大清水寺と言えば、1位京都で2位島根だなと。島根繋がり!?

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 奈良県葛城にある一言主神社と同じですね。ただ違うのは、次の写真の通り、丑三の釘跡があります。

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 おかげ明神の後方には、ご神木である「いのり杉」が立っています。江戸時代には多くの女性たちが「丑の刻参り」を行っていたとか。「丑の刻参り」は、ワラ人形を五寸釘でご神木に打ちつけ、相手を呪うというものだが、そもそもは「のろい」ではなく、国土豊潤のため、丑年丑月丑日丑刻に神社の祭神が降臨される折、心願成就に詣でたのが始まりといわれている。

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 縁結びの神として出雲の祭神「オオクニヌシ」と古事記で白兎の話しでオオクニヌシと繋がりの強いウサギがいます。白兎はちょっと怖いです。。。オオクニヌシは一夫多妻でモテ男、白兎は多産であり、なるほど「縁結び」「子宝」に良いのは納得です。

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▽京都・清水寺に戻る

戻りました。

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8. 阿弥陀堂

 この阿弥陀ですが大報恩寺の阿弥陀如来坐像@国宝に見えるのは私だけですかね・・。
 1629年に大火で焼失した清水寺だが、このお堂と阿弥陀如来坐像はすぐに復活する。だいたい徳川幕府が再建するが、ここは庶民がお金を出し合って、すぐに復活したらしい。というのが、近年の墨書から分かったようだ。

2017年 東京国立博物館 興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」
 阿弥陀堂に安置されていた観音菩薩立像と勢至菩薩立像が展示されていた。奈良国立博物館での快慶展では快慶作の噂のある奥の院本尊「千手観音坐像@重文」が展示されたが、まだ慶派の仏像があったとは・・。

2019年 京都国立博物館『京博寄託の名宝-美を守り、美を伝える-』
 「京都の仏像・神像」スペースで、「伝観音菩薩・勢至菩薩立像@重文」が展示されていた。運慶作の阿弥陀三尊に似ているとされる観音菩薩と勢至菩薩で、慶派かもとしている。清水寺には快慶かもと言われる千手観音坐像もいることから慶派作があってもおかしくない気がする。

9. 奥の院

 超美仏!三面十一面観音坐像@重文は秘仏で2003年に243年ぶりぐらいに開帳され、2017年に奈良国立博物館で行われた「快慶展」で出開帳され、人でごった返した仏像。(出開帳したのは奥の院修復中だったかと思う。)

2017年 奈良国立博物館「快慶展」
 いままで寺でぱっと見て心奪われた仏像は京都醍醐寺「弥勒菩薩坐像@重文」と奈良安倍文殊院「渡海文殊菩薩@国宝」であるが、ここの秘仏「千手観音坐像@重文」も奈良国立博物館で見仏し度肝も抜かれた。保存状態がよく、美仏で人だかりができていました。小さいながらも指先など細かいところまで繊細な造り。

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 正面、左右に三面、頭上に二十四面、合計二十七面あるなど唯一無二の仏像。

10. 音羽の瀧

 清水寺の根源であり、ここから「清めの水」からこの寺が始まったとも言っても過言ではない。京都を愛し、この水をいただきに参拝した貝原益軒は当時の寿命は40歳だが、85歳まで生きたとか!?

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11. 成就院、12. 千体石仏群

 清水寺塔頭寺院「成就院」は西郷隆盛や近衛忠煕らが集まって密談が行われた場所で、高台寺山を借景とした名勝庭園「月の庭」が有名。

 通常非公開だが、春秋のみ特別公開される。2023年は特別公開があった。

~「雪月花の三庭苑」の一つ 名勝「月の庭」~
「清水の舞台」で知られる世界文化遺産・清水寺の塔頭(たっちゅう)寺院。江戸初期を代表する庭園「月の庭」(名勝)は、古来より月光に照らされた美しさを称えられ「雪月花の三庭苑」の一つに数えられた。高台寺山を借景に、豊臣秀吉寄進の「誰が袖手水鉢」や「烏帽子石」などが見事な庭園美を構成する。

↓詳細


13. 子安塔

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 清水寺の対面の3重塔(子安塔)から三重塔、本堂などの景色が見られます。人がたくさんいますよね。紅葉になったら綺麗なのでしょうね。ちなみに紅葉の季節は夜間拝観があります。

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14. 大講堂(寺務所)

○冬の清水寺

○京都・清水寺「青龍会」(3月14日)

○千日詣り

 「千日詣り」は、お盆にその期間に参拝すると千日分のご利益がいただけるありがたいもの。千日詣りというと火伏せの神・カグツチ(火廼要慎)@愛宕神社が本流ですね。
 清水寺の千日詣りは江戸時代から始まり、明治に一度廃止されたが1993年に復活。8月9日から16日までに開催される。

▽播州・清水寺(兵庫県加東市平木1194)

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 征夷大将軍「坂上田村麻呂」が厚い寄進をしている。坂上田村麻呂は、このあたりを本拠地としていたが、蝦夷を討たことで武官として京都に定住する事になった。

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 故郷・播州清水寺の観音様を京都へうつし、御嶽山によく似た東山にお堂を造り、お祀りしたのが京都を代表する寺であり観光地の「清水寺」だそうだ。ちなみに、清水寺を創建した僧は、奈良・子嶋寺出身なのだが、寺の住職曰く、坂上田村麻呂の目は青かったらしい。つまり、昔の日本人は今よりも背が低かったので、坂上田村麻呂はかなり体格が良く、気合負けしたんだろうな・・のび太とジャイアンの戦いなみに強かったのかも。

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 根本中堂の御本尊は「十一面観音立像」で30年に一度の御開帳となっている。この周辺は聖徳太子、秦河勝、重源&快慶と何かと京都・奈良とは離れながらも、重要ポイントになっているのは何なのか??瀬戸内海の海路の要所だったから栄えたのか??

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 薬師堂には名前の通り、薬師如来+日光・月光菩薩が安置されていた。壁には十二神将が安置されておりチーム薬師になっている。ちなみに、十二神将の仏師は奈良・せんとくんを考案した方である。

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 紅葉シーン

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 本坊では、征夷大将軍「坂上田村麻呂」所縁のものや、重要文化財になっている「大刀」も特別公開されていた。500円追加で取られたが、思い切って見た。

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 最近、刀が流行っているらしいが、まだ良さがわからないな。。確かに熱田神宮の宝物館の刀は芸術性を感じたが。。ちなみに、この「本坊」の内部拝観は普段はされていないようです。

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 大講堂。千手観音坐像を安置しているお堂で、西国三十三所の第二十五番札所。脇侍は毘沙門天と地蔵菩薩と面白い組み合わせだと思う。かつては丈六の巨大な仏様が祀られていたそうだが、焼失してしまい、今は大正時代に作られた金色に輝く仏様が安置されていた。

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 大講堂左側です。ここが一番の紅葉スポットだった。

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 参拝客が鐘を撞くことができる「開運の鐘」。

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 根本中堂です。根本中堂と言われると、滋賀の比叡山延暦寺を思い出す。

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 2017年は根本中堂の御本尊「十一面観音御開帳」公開!!この本尊は30年に一度の御開帳(2017/11/1~11/30)で、2017年以外は内陣拝観のみだった。白鳳時代の鋳造の菩薩立像など公開されており、奈良以外にも白鳳の日本風仏像が整っていない仏像様式があることにびっくり。

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 脇侍にはズングリムックリの毘沙門天と吉祥天で3尊ともに平安時代作である。内陣最後は白鳳時代の「菩薩立像」が安置されていた。この菩薩はこの地域に多い小さ目の白鳳時代独特のお姿だった。さて、この地域は、なぜ、こんなに白鳳時代の仏像があるのか興味が沸いた。

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 昔は塔頭があったんでしょうか?自然石の階段と紅葉のコントラストが綺麗なのですが、写真が下手です・・。

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▽島根・清水寺

 2022年9月19日に参拝予定だったが、台風14号が来るのでキャンセル。ただ、仏像展で見仏したので記載する。

 587年に開山した。この山は一滴も水が出なかったが、7日間期限したところ聖なる水が湧き出したことにより「清水寺」としたようだ。つまりのところ坂上田村麻呂の登場はないようだ。
 松江や安来あたりは京都の荘園があったこともあり48坊まで持っていた寺で、重要文化財の仏像も多く残っている。

安来・清水寺「十一面観音立像@重文」
 鰐淵寺と大山寺と並ぶ、出雲・伯耆を代表する古寺で、滋賀にいそうな十一面観音立像である。本堂に安置され江戸時代には秘仏だったらしい。
 カヤの一木造りで、雰囲気は奈良・當麻寺(当麻寺)に居ても違和感を感じない仏像で、白鳳時代から平安時代の変換期のものに感じた。

『★仏像展★「祈りの仏像 出雲の地より」in 島根県立美術館』より

安来・清水寺「阿弥陀三尊@重文」
 こちらは完全に京都に居そうな三尊ですね。特に脇侍の勢至菩薩と聖観音が、京都・三千院を意識していますよねという大和坐であるが、妻曰く、甘いな!という感想だった。
 中尊の阿弥陀如来坐像は結跏趺坐で来迎形式の阿弥陀で、まさにお迎いに行き、あの世に導いてくれそうなやさしさに感じる阿弥陀である。この仏像は円派の仏師作ではとされ、延暦寺横川中堂の聖観音立像と作風が似ているとの指摘がある。中央仏師なんだろうなというのは納得する。

『★仏像展★「祈りの仏像 出雲の地より」in 島根県立美術館』より

安来・清水寺「不動明王坐像」
 どこかコミカルさを感じる不動明王である。千住院「不動明王坐像」と見比べると頭がでかい気がしてしょうがない。牙などはすごく忠実にルールを守っているのだが、ただ、頭がでかいのはかなり近くで、見上げる形で安置するように設計されているのかも。

『★仏像展★「祈りの仏像 出雲の地より」in 島根県立美術館』より

▼旅行記

▽子嶋寺

▽京都・清水寺、地主神社

▽播州・清水寺



▼セットで行くところ

▽子嶋寺

▽京都・清水寺▽地主神社

▽播州・清水寺

▼仏像展

▽京都・清水寺:2017年 奈良国立博物館「快慶展」

 いままで寺でぱっと見て心奪われた仏像は京都醍醐寺「弥勒菩薩坐像@重文」と奈良安倍文殊院「渡海文殊菩薩@国宝」であるが、ここの秘仏「千手観音坐像@重文」も奈良国立博物館で見仏し度肝も抜かれた。保存状態がよく、美仏で人だかりができていました。小さいながらも指先など細かいところまで繊細な造り。

▽京都・清水寺:2017年 東京国立博物館 興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」

 阿弥陀堂に安置されていた観音菩薩立像と勢至菩薩立像が展示されていた。奈良国立博物館での快慶展では快慶作の噂のある奥の院本尊「千手観音坐像@重文」が展示されたが、まだ慶派の仏像があったとは・・。

▽子嶋寺:2018年 東京国立博物館「仁和寺と御室派のみほとけ」展

京都・清水寺を建立した僧の出身地で、今はひっそりとしている寺。参拝すると良い仏像が揃っており、仏像マニアは行くべきだ。参拝した時に、巨大曼荼羅があると説明していただいたが、置けないので国立博物館で保管していると聞いた。実物を見て感動した!!そして国宝だし。因みに国宝・重文になると管理が大変と教えてくれたのはこの寺です。

▽京都・清水寺:2019年、京都国立博物館『京博寄託の名宝-美を守り、美を伝える-』

 「京都の仏像・神像」スペースで、「伝観音菩薩・勢至菩薩立像@重文」が展示されていた。運慶作の阿弥陀三尊に似ているとされる観音菩薩と勢至菩薩で、慶派かもとしている。清水寺には快慶かもと言われる千手観音坐像もいることから慶派作があってもおかしくない気がする。



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