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国譲り伝説の剣【奈良】石上神宮【岡山】奥宮・石上布都魂神社
1081年宮中移築の拝殿は国宝!古事記は史実じゃない!説を覆した石上神宮は物部氏の氏神を祀る。石上神宮は元宮があるのだが、それは岡山となっている。日本最古の相互リンクした神社!?
変更履歴
2022/06/13 参拝したので「石上神宮」更新
2022/04/21 プチ修正
2022/02/02 追記
2021/08/27 写真追加
2021/08/09 初版
▼HP
▽石上神宮
▽石上布都魂神社(公式HPなし)
▼祭神
▽石上神宮
布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)
古事記・日本書紀に見える国譲りの神話に登場する「武甕雷神(たけみかづちのかみ)@鹿島神宮」が持っていた剣で、時が過ぎ、イワレヒコ(後の神武天皇)の神武東征でピンチ時にイワレヒコを助けた霊験「平国之剣(くにむけしつるぎ)」を指す。
布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)
「天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)」に宿られる御霊威。天璽十種瑞宝とは、饒速日命(にぎはやひのみこと)が天津神から授けられた十種の神宝で、それらには〝亡くなられた人をも蘇らす〟という力が秘められている。
布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)
素戔嗚尊(すさのお)が出雲で八岐大蛇を退治されるのに用いられた「天十握剣(あめのとつかのつるぎ)」の御霊威。
▽石上布都魂神社
素盞嗚尊(すさのお)
▼見どころ
▽石上神宮
布留山の麓に鎮座
祭神は「布都御魂大神」、「布留御魂大神」、「布都斯魂大神」で配祀に「五十瓊敷命」、「宇摩志麻治命」と物部氏の神社
境内には日本最古の道「山辺の道」が走り、古墳が周辺に多い場所
『日本書紀』では伊勢神宮と並んで記されている神社で、「石上振神宮」や「布留社」としている
大和朝廷の時代は武器庫の役割も成していたとか
拝殿は平安時代の白河天皇の神嘉殿(しんかでん)とされ国宝
拝殿奥の本殿は大正時代のもので新しい
新しいのは大神神社と同じく本殿がない神社だった
昔から本殿場所には「フツノミタマ」が地中近くに埋まっているという伝承があった
1400年代には興福寺、1500年には尾張により拝殿などが破壊されるが、すぐに復興する
織田信長の軍により社殿などを破壊された歴史がある
京都の流れでいうと豊臣秀吉が復興に導くが広大だった社領を没収される!?
1874年に調査した結果、玉、剣、鉾などが発見された
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夏場は木の上で休憩のようですね。地面が暑い??
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祭神は「布都御魂大神」、「布留御魂大神」、「布都斯魂大神」で配祀に「五十瓊敷命」、「宇摩志麻治命」と物部氏の神社。布留山の北西麓に鎮座し、日本最古に数えられる神社の一つ。国土平定に功があった「天剣(平国之剣)」とその霊威を布都御魂大神とし、「天璽十種瑞宝」の霊力を布留御魂大神とし、スサノオがヤマタノオロチを退治された「天十握剣」の威霊を布都斯魂大神と称し、総称して「石上大神」として崇神天皇期に祀ったことに始まる。
より詳細にすると、大神神社周辺で祭祀・政治が行われており、疫病・飢饉で崇神天皇は出雲から大田田根子(大神神社では大直禰子)を巫女・祭祀としオオモノヌシ(オオクニヌシの奇魂)を祀ったところ、おさまったそうな。
このころに物部氏の祖が宮中に祀っていた「平国之剣(くにむけしつるぎ)」をここに祀ったのが始まり。詳細は割愛するが『日本書紀』にもこのくだりが記されている。
この神社は武器庫の要素もあったとも言われ、それが理由かはわかりかねるが、1400年代には興福寺、1500年には尾張により拝殿などが破壊されるが、すぐに復興する。歴史的があり地元に愛されるところはすぐ復興しますよね~。
→石上神宮楼門・回廊・拝殿@国宝・本殿
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社殿は楼門に守られており、楼門は1318年建設されたものである。
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楼門は回廊になっており、拝殿前の斎庭を取り囲むように建てられている。現在の廻廊は、昭和に建てられ、1707年10月の南海・東海大地震で倒壊し、1570年に修覆したと記されており、かなり以前より廻廊は設けられていたことがわかる。楼門をくぐると白河天皇が宮中から移した拝殿がある。国宝である!
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↓楼門内側から楼門の写真
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↓楼門内側の社殿右側
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↓社殿
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社務所から
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↓社殿左側
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拝殿は鎌倉時代のもので、拝殿としては現存する最古のものであり、国宝に指定されている。崇敬が厚かった第72代白河天皇が、当神宮の鎮魂祭のために、1081年に宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進されたものらしい。
最後に、ここも大神神社などと同じく本殿はない神社だった。ご神体は「布留山」で禁足地とされていたそうな。
明治に本殿場所を調査したところ、神剣や玉類などが大量にでてきており、多くが重要文化財に指定されている。
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→石上神宮:七支刀
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古事記は歴史価値はない!というのを覆した神社である(後に出雲大社でも古事記に記された証拠が出る)。
境内から古事記に記されている「七支刀」が出たからだ。とはいえ、違うだろう!と疑う人は多かったと想像するが、刀の彫刻・制作年代と古事記に記載していることが完全一致したことで、古事記の評価を上げた。
個人的には古事記は「国内向けに日本人とは?」というのを継承する書であり、日本書紀は「外国への日本の歴史パンフレット」だと思っている。
(詳細はまたの機会に。)
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→石上神宮摂社:出雲建雄神社、出雲建雄神社拝殿@国宝
「いずもたけおじんじゃ」と読み、国宝である。
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延喜式内社で「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」の荒魂である「出雲建雄神(いずもたけおのかみ)」を祀る。江戸時代に、 出雲建雄神は祭神「布都斯魂大神」の御子神と考えられ、そのため 「若宮」と呼ばれていたそうな。
ということで、出雲と物部は仲が悪いと思っていたので、出雲(蘇我氏との認識)つながりが多いことに、毎回不思議な感覚になる社である。最後に、物部氏は蘇我氏とは仲良しだったと記しているので、ここに来ると嘘じゃないのだなとも思う。
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最後に、出雲建雄神社の拝殿は「内山永久寺」の鎮守として創建された住吉神社の拝殿だった建物と伝えられているようだ。内山永久寺は、かつて石上神宮の近くにあった大寺院で、東大寺・興福寺・法隆寺に次ぐ寺領を持ち、西の日光とも称されていたそう。しかし、明治時代の廃仏毀釈により廃寺となってしまう。
もしかしたら、天皇は「手向八幡宮⇔東大寺」、藤原氏「春日大社⇔興福寺」、三輪氏「大神神社⇔大御輪寺」、大和氏「大和神社⇔長岳寺」、物部氏「石上神宮⇔内山永久寺」だったかもと思ったが、物部氏が仏教を!というのは疑わしいかな・・。
→石上神宮摂社:天神社、七座社
石上神宮楼門などの写真スポットと思っている。
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祭神は次の通り
○天神
造化三神の「高皇産霊神(たかみむすび)」「神皇産霊神(かみむすび)」
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コトシロヌシの「コト」が「辞」ですね。なにを辞めたのか・・兵庫の賀茂神社も同じ表記なんですよね。
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○七座社
「生産霊神(いくむすび)」「足産霊神(たるむすび)」「魂留産霊神(たまつめむすび)」「大宮能売神(おおみやのめ)」「御膳都神(みけつ)」「辞代主神(ことしろぬし)」「大直日神」
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両社ともに、 生命を守護して下さる宮中八神に、 禍や穢を改める大直日神をあわせてお祀りしたそうな。
→鶏
「山の辺の道」の始まりはここからで、大神神社まで歩く人も多い。駐車場に車が多いなと思ったら、リュックを背負った年配の方が境内に集まっていたりする。
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境内には人なれしている日本鶏が放し飼いされており、境内の池には天然記念物・ワタカが生息する鏡池がある神社でもある。
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→ふるまつり
▽石上布都魂神社
<概略>
ここには奈良の石上神宮のことが書かれており、今で言う相互リンク・フォローしている関係の神社である。 一説に石上神宮の元宮はこことも言われている。石上神宮と似た由緒も面白い。
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<詳細>
備前国一の宮。
祭神は素盞鳴尊で、明治時代までの祭神は素盞嗚尊が八岐大蛇を斬ったときの剣である「布都御魂」と伝えられていた。
社殿裏の山頂に本宮があり禁足地で、日本書紀に「スサノオの蛇を断りたまへる剣は、今吉備の神部の許に在り」と記されている。宮司によると吉備の神部がここの石上布都魂神社であるとのこと。
この剣は崇神天皇の時代に奈良県天理市の物部氏の石上神宮へ移されたとされており、石上神宮の社伝にも記されている。
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<おまけ>
自動車でなければ参拝が難しいところで、なかなか時間ロスが大きい神社。駐車場に着くと急な傾斜の参道を歩くことになる。
▼セットで行くところ(旅行記)
▽石上神宮
↓天理市・桜井市のメインスポット
▽石上布都魂神社
▽二十二社
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