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人は負ける。失敗をしてどん底に落ちる事もある。ただこれだけは言える。人は逃げなければ、為せる事を知るべきである。
先日は術だの道だのと書いたのだが、先程このnoteを開き、何気なく他の人の投稿を読んでいると、術と道について書いていた。
その方の作品には、ビジネスにおいて、相手を騙す事が術で、正しいビジネスが道だ。
そういった内容をベースにして書いており、大変興味深く読ませて頂いた。
解釈の仕方は人それぞれだが、上記の捉え方は間違ってはいないと思う。
徳を積む意味を知ると、人生が一気に変わるものだが、そんな事は綺麗事だと考えていた若い頃の私は、とても捻くれていたと思う。
そんな捻くれ者でも54歳になり、人並みに子供や弟子に説教を垂れる立場になるのだから、人生は楽しくて面白い。
私の取り柄は目の前にある苦、が大きければ大きい程、立ち向かいたくなるという、物凄いオメデタイ所だと思う。
死にたいとか、泣きたいと人が思う事を「よっしゃ!」と喜ぶという、一つ間違えるとマゾヒストな所がある。
そんな私だから、自身の過去の経験則で言えるのだが、私は逃げるという事が、世の中で一番成長を妨げる事と考える。
負け癖というのは、実は逃げ癖と置き換えていいと考える。
人は一度は逃げても、二度逃げたら、もう成長や幸せは来ない。
それは、終わりの始まりと思っていい。
何故か。
二度逃げた人は、必ず三度、四度と逃げこれが癖になる。
癖になると、良い事も悪い事も一つの道になる。
道になると、逃げるという道から、簡単には戻れない。
現在抱えてる仕事でも、逃げてばかりの人がいる。
エリートや先生、などと呼ばれる人によく見受けられるのだが、大した苦労もせず資格を持ち、それだけで先生、なんて呼ばれる。
この手は痛い目に中々遭わぬ為、勉強を怠る。
だから人生の苦労を知らぬ分、この手は逆境に弱い。
逆境が来ると逃げる。
失敗を人のせいにし、自分の非は認めない。
更に正確を期すなら、非に気づかない。
若しくは非から目を逸らす。
そうして痛い目に合った時には、もう遅い。
誰も助けてくれない。
私は教育や、経営コンサルタント等を生業にするが、よく考えると、本業はプロボクシングジム経営で、プロボクサーに指導をしている。
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さて、写真にあるのは言わずと知れた、具志堅用高さん。
私が小学生の時、WBA世界ジュニア・フライ級チャンピオンになり、私が中学2年生の時、生まれて初めて負けて引退した。
この当時私は具志堅さんが、同じ人間に負ける事はないと思っていた。
それ位強かった。
しかし本人は、世界タイトルマッチの控え室で、試合前いつも恐れ、怯え、逃げ出したかった、と言う。
「試合が中止になってくれればいい。それが無理ならこの体育館が火事で燃えてくれればいい。そうすれば逃げずに試合をしなくていい」。
いつも、そう思い試合を迎える。
しかし具志堅さんは逃げるどころか、並みいるハードパンチャーを軒並み倒し、防衛を重ねた。
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もう一つご紹介する。
我がジムの、島田顧問とミット打ちをするのは、かの辰吉丈一郎。
「天才」「カリスマ」。
その称号を欲しいままにし、彼がデビューする時には、日本チャンピオンになる事は当たり前、問題は世界を何戦目で獲るか。
ボクシング関係者の見方は、殆どがこのような見方だった。
その辰吉が、デビュー2戦目か3戦目の控え室での出来事で、こんな逸話がある。
椅子に座り、グローブをはめ、下を向き俯き、震えていたという。
私の先輩が「お前何震えてるんだ。お前があんな相手にパンチをもらう事ねえだろ」。
そう笑っていうと「負けたら死んだ方がいい。負ける事が怖い」。
そう言った。
人間とは、つまりそういう事である。
しかし彼らは決して逃げなかった。
寧ろ前に出た。
だから、プロボクシングのリングは聖域と言うのである。
聖域に花を投げる行為を許せない、と過去に書いたのは、そういう訳である。
「リングに上がるのが怖くない、という奴がいたら呼んでこい。
そいつは大馬鹿か嘘つきだ」。
これは無敗で引退した、大昔の世界ヘビー級チャンピオンの言葉である。
人は負ける事がある。
恐怖に陥る事がある。
しかし、だからこそ逃げずに向かわなければ、活路が分からぬ。
生きてきた意味も知らずに死ぬ。
人は死ぬために産まれてくる。
逃げれば何をする為に生を受け、何を為して死んだのか、となる。
人は為して、死ぬために生まれるのである。
「あの人は優しい人だった。面白い人だった」。
死んだ後に、その人の評価が決まる。
だから生きてるうちに、素直に諫言を受け、正しく胸を張り、しかし偉ぶらず生きる。
これが人生の意味ではないか。
かように思うから、逃げる道を歩む人は不幸で、卑怯だと言いたいのである。
人間は絶対に逃げてはならない。
負けたら反省し、間違えたらミスを認め、失敗したら謝る。
分からなければ死ぬほど苦しみ、考え、それでも分からなければ師に仰ぎ、行くべく道の教えを乞う。
嘘をついたら直ぐ「つい嘘をつきました、申し訳ございません」。
そう言えば、人は責めるどころか「立派な奴だ」と思うものだ。
我がジムのプロボクサーは、逃げたり嘘をついたりしない。
これは、私の自慢である。
少なとも、中身がないのに先生だのと呼ばれ煽てられ、逆境から逃げ、間違えた自尊心で生きる者より、絶対に尊い。
人の価値は、肩書きやお金で決まる事はない。
どう生き何を為したか。
墓場に入った後、時折皆が思い出し、そう懐かしむ。
そうではないだろうか。
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