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田中角栄氏の凋落の理由を分析し、掘り下げ考え、子供達に伝えたい事。

昔から田中角栄という偉大で、人心掌握に長け、多くの人を惹きつけた元日本国総理大臣を、何故か心の底から尊敬できなかった。

一つは、多くの人が尊敬する人には興味を持たぬという、昔からの私の天の邪鬼な性格だと思う。

次に金丸信、竹下元総理(DAIGOの祖父)等から、クーデターを起こされた時、酒に逃げたという所が、今ひとつ認めれなかった。

では、好きか嫌いかというと、まあどちらかというと好きだった。

田中角栄の凋落は、当時まだ若造(私が小学生の頃)だった、立花隆と言う、ジャーナリストが執念とも言える取材の結果、週刊誌に連載される事となる、田中角栄の金脈問題を暴いたことから始まる。

まず最初に説明しておくが、この文章は田中角栄、立花隆、そして歴代総理の指南役と言われた、安岡正篤先生。

この3人の書物を読み、それをベースにした私のオリジナルの思考である事を断って書こうと思う。

田中角栄は中卒の貧乏百姓の倅に産まれ、苦労して一国会議員から、史上最年少で総理大臣となった。

しかし金脈問題が取り沙汰され、立花という無名のジャーナリストの男のペンひとつで、ロープ側に詰められダウン寸前となるが、田中は猛然と打ち返す。

ここでロッキード事件という、明らかにアメリカが仕向けた事件で田中角栄は逮捕される。

事件は一審で実刑判決、最高裁まで無罪を争う途中、亡くなるという結末で終わる。

刑事訴訟法の原則に照らし合わせると、この裁判は国策以上の、アメリカがどんな手を使っても田中を有罪にしろ、という圧力から実刑に持って行った形跡が多々散見される、茶番劇である。

今まで田中角栄を完全否定する本は、この立花隆の書いた「田中角栄研究全記録」を始め、彼が出した5、6冊の本しか知らない。

最近儒学を勉強する為、安岡正篤先生の本ばかり読み、そう言えば立花隆が書いた本でも読むか。

そんな動機で20年以上前に買った、彼の本を少し読み、実は教育に結び付く事が隠されてることに気付いた。

この3人の本を読みこんな思考になったのは「痴」と言う、一見悪い言葉のようで、安岡正篤氏曰く、痴と言われる程、本を読むのもいい、という意味も理解出来た。

立花隆は田中角栄の無学さと、金による権力を保持する姿勢を徹底して叩いた。

そういう批判ばかりの本は私の嫌うところで、今までなら田中角栄の魅力に僻んだ男、で一笑に付していた。

しかし読むと、面白いことに気づき、色々と思考が結び付き、一点に導かれていく。

田中角栄が、六法全書を読み法律に詳しいというが、立花隆はそれは違う、と書いてある。

自分が金権政治を行うにあたり、都合のいい法律だけを押さえ、並び立て、本来勉強とは総論から入り各論に行かねばならぬものを都合よく飛ばす。

だから田中は縦に法律を読まず、横の点と点を結び、都合のいい解釈にし、これで自分は法律を知り尽くしていると思い込む。
これが独学の怖さだ、と言う。

この点は全くその通りである。
安岡正篤が独学は駄目だ、という言葉の意味がよく分かる。

私が法律に詳しい、と人は言うが、実は貸金業を営んでいた経験上、確かに貸金業法は縦に読み、全て理解していた。

しかし民法や民事執行法等は、実務において、債権や動産執行に関する、それこそ点と点を横に並べ覚えていただけだった。

そういう意味では普通の人よりちょっと詳しい、というレベルに過ぎない。

その点ボクシングはある所で行き詰まり、ここで終わりたくないと思い、エディタウンゼント受賞、島田信行トレーナーに師事し、ボクシング技術を1から理解した事は大きかった。


島田信行トレーナー

田中角栄は、官僚が教えようとする事を嫌がり、一夜漬けで官僚の書いた原稿を丸暗記し、国会答弁で空で話すが一度、記憶違いからか答弁を誤り恥を書いた、という下りは、つまりそういう事だ。

安岡正篤

そして何より大きな事に気が付いた。

アーウー、と言い、いつも喋りが遅いと馬鹿にされた、大平元総理大臣の言葉は、意外だが速記録に落とすと、アー、ウーの部分を端折ると立派な一つの理屈になる。分かりやすい、と言う。

その点「決断と実行」と言う、分かりやすいスローガンを掲げ、演説の神様、と言われた田中角栄はどうか。

彼の演説を速記録に落とすと、何を決断し、誰の為に、何を実行するのかさっぱり分からない、と指摘する。

その理由を立花隆は、彼は学歴コンプレックスがあり、経済書の2ページまで読み、大切な3ページ目を読んでない。

だから、なぜそうなるかが説明出来ない。そう解説している。

ある意味当たってるようで、私は立花隆と意見が異なる。

事実を歴史から紐解けば、田中角栄氏は常に他の派閥に金を渡し、人気もあり弱みも握る。
これは、自分のやりたい事を遂行するのであれば、一概に悪いとは言えない。

但し遂行するその行為が、国民の為、天下国家の為に、という但し書きがあれば、である。

田中は自分の派閥から総理を出さず、自分の言う事を聞く派閥の長を総理にし、裏で操縦し、自分に付いて来る者を育てなかった。

これによりクーデターが起き、金丸が立ち、竹下総理を擁立させた。

この間、右翼や反社にお金を渡し、田中角栄に謝罪に行かされるという、皇民党なる右翼団体による「誉め殺し事件」が起きた。

もう茶番劇だった。
こういう事が、私の日本の政治家に期待しない気持ちを作る。
そして、じゃあ北九州は変えよう、という思いに繋がる一つの理由とも言える。

勘の良い方は、もう私が何を言いたいのか、お分かりだと思う。

人間は得手して、利己的で自分がいつまでも中心にいて、弟子を育てず、自分が一番だという利己的な生き方をするものである。

「誰の為」と言う思いが「自分の為」。
「お金や権力の為」になる。

これが必ず晩節を汚す。

私がいつもnoteに書き、またジムで子供に教える「将来そうなってはダメだよ」という教育理念のまさに軸である。

田中角栄氏が勢いのいい時、料亭で、偶々別の席で食事をしていた安岡正篤氏が、店の者を通じて「一緒にどうだ」と誘った。

この時、田中角栄氏は「どうもあの爺さんは苦手だ。うまく断ってくれ」と言った。

それを受けた安岡正篤氏は「そうか、残念だな」と言い、何も触れず終わったという話がある。

私はそれを読んだ時、田中角栄氏が安岡正篤氏の、目を真っ直ぐに見れない生き方をしていたからだ、と思った。

後に、田中角栄氏が夏休みを兼ね、外国に外遊に出ていたとき、日本では立花隆のスクープで彼の金権政治が暴かれ、国内が大混乱となり、万事休すか?という一大事となる。

この時、田中政権の重鎮が安岡先生の家に駆け込み、泣きついた。

安岡正篤は「彼は民に信を問わなければならない」と述べ、こう続けた。

「彼の金権政治を事実かどうか分からない。しかし一国のトップがここまで民の信用を無くしたからには、こう言うべきだ」。

そう前置きしながら、下記のように言ったという。

「私は東北の田舎の貧乏な百姓の倅で生まれ、中卒で苦労して総理になった。しかしこれだけの民衆の方に信を失くしました。つきましては、目白の御殿は外国の来賓が来た時の迎賓館に。私の別荘は青少年の教育の為に差し上げ、私は野に降ります」。

こういう気持ちになれ、と安岡から言われた重鎮は、この時
「必ず田中に言わせます」と言い、安岡邸を出るまで泣きじゃくった。

しかし帰国した田中を待っていた、外国特派員等の質問に怒った田中角栄はこれを言わず、口論の応酬となる。

のちに田中角栄は、安岡正篤を指し「あの爺さんにもっと近づいて、もっという事を聞くべきだった」と嘆いた。

この辺りが田中角栄の人間味であり、言う事を聞かぬ田中を安岡は死ぬまで何も責めなかった、という所が、私のような凡人をもっと学ばねば、という気にさせる。

安岡正篤と、田中・立花の違いは、歴史に学ばなかった所だ。

以上、私の読書から推察したことが、どこまで事実か分からない。

ある意味、何千億というお金を右から左に動かした田中角栄が、ロッキードの五億円なんか貰ったとは思えない。

これはロッキード事件の、証人調書から推察しても、貰ったというには無理がある。

しかし。

この際、ロッキードだの金権だのは横に置き、お金を何の為に誰の為に使うのか。

この指摘がない所が、この立花というジャーナリストの器量の狭さを見て取れる。

暴くのはいいが、彼の論陣は「ただ田中角栄の金脈を暴いただけ」で、それも「自分がこれを最初にやったんだ」という利己的な想いが書物の節々に表れる。

余談だが、後に立花隆は、2ちゃんねるに書かれた文をコピペして出版、その内容は出鱈目だったと判明したそうだ。

私が何十年も前に立花の本を買い、読まずに置いていたのは、彼を直感で人として好きになれないから、というのが理由かもしれない。

この3人の本を読み、今の北九州の児童達に、いつかこの難しい話を例えにし、如何に人は堕ちていくか。人はどうあるべきか。

何のために生かされ、何の為に死ぬのか。
これを教えたい。

YANAGIHARAジムの子供達

私はある事情で、明日から自分を知る為の旅に出る。

来週、帰ってきた時、今より大きくなり、子供達に少しでも人として良い教えを導き出す為に。

私の天明は教育。
そう信じて。

令和4年11月8日 YANAGIHARAホールディングス
会長 柳原廣一


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