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お姫様にも執事にもなりたくて
こんにちは!やみこです。
今回のテーマは、崇められたくて崇めたい人間です。
皆さんも似たような経験があると思います。
私は幼少期、お姫様になりたいと思っていました。
それと同時に誰かに一生仕え、奉仕したいと思っていました。
この二つの欲求は一見矛盾するように思えます。
しかし実際に、私の中に共生していたのです。
これに理由をつけることを考えました。
この二つがなぜ共生できるのか。
納得できる解釈を考えていました。
今回はこの解釈についてステイトします。
今回解釈のサポートをしたのは「愛すること」です。
愛することの解釈はいくつもあります。
例えば
①全てを信じ抜くこと( precious/伊藤由奈 )
②大切に思うこと
③会いたいと思うこと
④ふとした瞬間に思い出すこと
そういった解釈の中に、誰かを自分より大切に思うことがあります。
幼少期に考えていた、ママのためなら私はどうなっても構わない、、
ママ大好きよ、、という感情もこれの一つです。
ここでテーマに戻ろうと思います。
「お姫様になりたいと思っていました。
それと同時に誰かに一生仕え、奉仕したいと思っていました。」
お気付きの通り、この奉仕の部分が「愛すること」に置き換わります。
そして、お姫様に関しては今回、「多くの人から愛される存在」とします。
これはお姫様になることが現実味の少ない願望であるため、この言葉の大意を汲み取ったものです。
こうした解釈を組み合わせると、
そこまで矛盾した思想でないことがわかります。
つまり、愛され、愛したいという人間としての欲求が表出していたということになります。
私たち動物は愛をもって心を温め合い、人間関係を構築していきます。
育まれた愛とその間に生まれた命もまた、愛をつなぐリレーに参加しています。
命のバトンはただ遺伝子を引き継ぐだけでなく、もっとあたたかい何かを運んでいるのかもしれません。
最後までご覧いただきありがとうございました。