「海と毒薬」論をたくさん読んでみた
「海と毒薬」を、ねちっこく愛す私が、手に入る限りの「海と毒薬論」を読んでみたので、それぞれ概要をまとめてみようかと!
解釈の分かれるポイントとしては、登場人物である戸田と勝呂の評価。彼らに寄り添って理解しようとする論調と、厳しく突き放す論調ではっきりと分かれる。
あとは、そして作品の主題についても
・戦争の影響に焦点を当てたもの
・人間の良心の問題としてとらえたもの
に解釈が分かれる。
海と毒薬<神無き人間の悲惨>の形象をめぐって/1986年玉置邦雄
勝呂について、戦中は「受け身で惰性に身を任せている」戦後は「自責の念を持たない不気味な町医者」とめっちゃディスる。戸田についても「冷酷非情」と厳しい評価。
作品の世界「海と毒薬」/1987年 上総英郎
戸田への愛が深いのが、上総英郎の海と毒薬論!
「若さからくる虚勢を張った偽悪家」「罪意識を誰より求めて挫折している。それだけ神に近づいているともいえる」「勝呂との会話の中で、勝呂に神の代理者を見ようとしている。」と深く寄り添う論調。勝呂についても「作中最もナイーブ」、上田も「罪意識の芽生えが感じられる」と理解を示す。
分かる~
「海と毒薬」/1960年 平野謙
入手できたうち、比較的古くに書かれた海と毒薬論がこちら。実際の事件への言及が多く、人物の掘り下げは少な目。勝呂は「ヒューマニスティック」と評価する一方、戸田と上田のことは突き放し気味。
「遠藤周作の世界」/1975年 松村剛
阿部ミツを中心に語った海と毒薬論。ミツを「慈母の役割」と評価する一方で、ヒルダには「有難迷惑」上田には「悪女」と厳しめ。
「運命の連帯感」/1971年 武田友寿
佐野ミツ(戸田が妊娠させた女中)と阿部ミツ(おばはんと同室の患者)を「良心の存在に気付かせる役割」と論じた海と毒薬論。勝呂、戸田、上田については良心が欠如していると批判。
小説の中の日本的風土・神と人間性の追求を/1958年 山本健吾
勝呂強火担とみられる「海と毒薬論」。勝呂の運命について、遠藤周作に対し「勝呂は最も『神』に近いし、一番良心の苦しみを受けたのに、戦後『同じことをやってしまうかも』というセリフを言わせるのは酷すぎる」(意訳)と注文を付けている。
分かる…分かるよ…!
こちらも古くに書かれたものなので、山本健吾はリアルな戦争体験と重ねて感情移入してたのかもしれない。
虚無の淵から―『海と毒薬』―/1988年 川島秀一
「勝呂も戸田も自己を回復させようとしたけどできなかった」という救いのない結論だけど、とっても共感。上田とヒルダの人物造形に対しては「奥行きがない」「奇妙で不安定」と辛辣…!
「海と毒薬 ―罪意識不在と罪意識の風化―」/1987年 笠井秋生
戦後の勝呂に「何食わぬ顔で開業するわ、病院の待合室に卒業名簿は置いておくは、罪意識がない」と手厳しい。戸田にはちょっと寄り添っている。
戦争文学としての「海と毒薬」/2023年 董春玲
一番新しい海と毒薬論。筆者は1990年生まれ…!中国出身だからか、上田の満人へのふるまいにも着目し、戸田や上田が弱者を抑圧しつつも病院では弱い立場にあったと言及。勝呂に対しては「戦後も葛藤し苦悩している」「上位の者への絶対服従」と同情的。
「遠藤周作論 歴史小説を視座として」/2018年 長濵拓真
こちらも新しい海と毒薬論。「沈黙」との類似性として「勝呂とキチジローはどちらもこんな時代に生まれなければ真っ当に(医師や信徒として)生きられた」という指摘があり、とても分かる!
勝呂と戸田に寄り添う論調。(二人が普段は仲が良いかは微妙な気もするけど)
こうしてならべてみると、戦後すぐの海と毒薬論はリアルな戦争体験への言及が多かったり、直近の海と毒薬論は現代の倫理的視点から論じられていたりと面白かった。