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親はそれほど完璧ではないということ


通ってきた道なのに子供の時の気持ちは忘れがちである。

私にとっての親というのは1人はいなくて、1人は生きているけど会ってない人という2人だと思う。

いない方は母親で、私が9歳の時に癌で死んでしまった。この世に何人の母親が子供を残して死ぬんだろうか。遅かれ早かれ寿命で言えばほとんどの人が母親の方が子供である自分たちより早く死ぬだろう。

それでも。

それでも今の私の気持ちは、いない母親に会いたくて仕方がない。

あの時、死ぬとは思っていなかった。何度か入院し退院していたので今度もすぐ帰ってくると思っていた。

大人になって検索して分かったことだが、母が最期に入院していた病院はホスピスだった。私は知らなかった。だから母とずっと生きていけると思っていた。謎の万能感があった。あの頃の自分はかなりのワガママだったと思う。母は入院中で父と子1人の家庭は先生にもよくしてもらっていたと思う。かわいそうばかり言われ、その言葉に私は可哀想な子供なんだと肯定し、受け入れ、利用していた。

みんなは知っていたんだろう。母が死ぬことを。

私は(もうすぐ母親が死ぬから)可哀想な子だったんだろう。

今なら分かる。

色々な知識があるのが大人で、色々な死に方があると分かり、あの人があの病気なら先は長くはないのだろうとかある程度分かってしまう。

だから私は可哀想な馬鹿な子だった。

その後、生きてるけど会っていない方の親である父親とは、今数えるてみると15年は会っていない。

父親の人生と母親の人生と

今自分が振り返って思うのは

大人とは子供の時に思っていたほど完璧ではないということ。


あの時死んでしまった母を見て「なんで母親は私をおいていったんだろう」と思っていた。

あの頃、共に歩む相手を見つけた父親に「裏切られた」と思っていた。


それは違うんだな。

今母親になって思うのは、「自分が死ぬ時に子供は連れて行けない」し

父親が新たな伴侶を見つけた事も寂しくて不安だった事もあるんだろうなと思える。

死にたいと思っても死ねなくて

それは子供がいるからで。

今私が死んでしまうと子供が寂しい時に声掛けてあげられない。

将来何か悩んだ時に一緒に悩めない。

それで私が生きていられるなら、子供ってもしかすると大人より完璧な存在なのかなって思う。


#子どもに教えられたこと

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