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私はなぜパンを焼き料理をするのか



 最近、わたしは、パンを焼くことと料理をすることに精を出しております。
 どうして人は、パンを焼き料理を作るのか。食べるものは、買えばいくらでもあるこの現代社会で、わざわざ手作りのパンを焼き、料理をすることに、何の意味があるのか。

 自分の食べるものを自分で作る、ということは、人類史を振り返れば、きっと当たり前のことだったと思います。そりゃ、自分で採ってきた木の実や植物、魚や小動物を、安全に食べられるように火や水で煮炊きして、食べるのは当たり前だろう、と。自分で、でなくても、自分の仲間とともに、そうやって料理して、食べ物を食べてきたのでしょう。

 しかし、資本主義の時代がやってきました。料理は、家族や仲間が行うものではなく、社会が行うものになりました。お金を介した人間関係で、全く見知らぬ他人であっても料理をする人を信頼し、食べ物を口に入れるようになりました。そう、具体的には、ファストフード店やファミレス、個人のお店などで、ふつうにメニューを見て注文して食べますよね。それなりに安全な食べ物が食べられることを、当たり前のように信頼して。
 スーパーのお惣菜も、コンビニ弁当も、別に知り合いが作っているわけでもないのに、誰がどんなふうに作っているのかも知らないで、ふつうに食べます。ふつうに。

 でも、そういうのって、なんだか違和感があるのです。食べ物が、ただ、空腹を満たして、一定の栄養素、カロリーを摂取するだけのものだったら、それでいいのかもしれませんが…。なんでしょうね、わたしは、食べ物にそれ以上のことを期待している。

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