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理念的パスタのゆくえ——食べるを考える(1)

料理とは、つくるものであって食べに行くものではなかった——ほとんどの場合。

大学生になり、はじめて一人暮らしをはじめたぼくは、母の苦労も知らずとにかく料理できることが嬉しくて、ほぼ全財産をキッチン用品に投入し、生きるためでもあるけれど、毎日なにかをつくっていた。

なかでも昼食はほぼ毎日パスタだった。

ともかくたまたまコンビニや本屋で目にとまったレシピ本を買っては、見よう見まねというか、読みよう読みまねというか、下手なりにひたすらにつくったのだった。

読んではつくり、食べてまた読みまたつくる。

パスタづくりの初期に読んでいたのは、当時はまだそれほど有名ではなかった落合務さんのレシピ本だった。なんという本だったかは忘れてしまったのだけれど、レシピの合間に落合さんが経験したイタリアの市場やトラットリアの話が綴られていたと記憶している。こうしたレシピ本のエッセイを、ぼくは愛好している。下宿の小さな台所で、料理をしながらレシピ本の魅力的なエッセイを読むたび——最近だと細川亜衣さんの『朝食の本』(アノニマ・スタジオ、2019年)に挿入されたエッセイに惹かれた——、若かりしぼくはその生活を体験したいと、たとえば「本場の」イタリア料理、「本物の」パスタを味わってみたいと、心の底から願ったのだった。

具体の世界に生きる料理人は、しばしばすぐれたエッセイストである。

読んではつくり、食べてまた読みまたつくる。

たいした資金もないのに、日々の食事を節制してまで、ときに本に記されたレストランに足を運んだりもした。「本物」に出会うためなのだと。家に帰ればバイトの給料日までの数日間、極限まで増やした「ふえるわかめ」をわずかな米とともに煮込む、ふえるわかめお粥を食べ続けることになろうとも。

読んではつくり、食べてまた読みまたつくる。

どこへ向かっていたのだろうか。イタリアに行ったこともなく、イタリアで食べたこともなく、そもそも落合さんの店で食べたことさえなかった青年が、日々ワンルームマンションの片隅で生産していたパスタは——。

ゴールなき猛進、夢想される究極のパスタ。

そう、それはもはや「理念的パスタ」とでも言うほかない。架空のアルティメット麺類に向けての爆進だった。だから何度つくっても、どの店で味わっても物足りない。

もっとおいしいはず!! もっと素晴らしいはず!!

自炊開始から数年後のある日、パスタへのねじれた愛とともに、ぼくはイタリアに降り立つことになった。

あろうことかと言うべきか、そうなるでしょと言うべきか、ぼくはかのルネサンスの地に燦然と輝く絵画や彫刻や建築や庭園を後回しにしても、まずは各地のトラットリアに通い詰めたのだった。

真のパスタを求め続けた山内がイタリアをまわって得た教訓はこうだ——「イタリアのパスタもさまざまである」。

「本場の」「本物の」パスタなどどこにもなかった。あるいはそのすべてがそうだった。

もちろん素晴らしいパスタやリゾットにも出会った。美味しい店ではパスタ完食後にパスタを注文し「兄ちゃん、ちゃんとメニュー読めてるか? これもプリモだ、わかるか? おんなじだ」みたいなことを言われたりもした。カタコトで「心配ない、腹は減っている」などとちぐはぐな返答をし、海外の映画でよく見るやれやれジェスチュアを生でキメられた気がする。日本人の炭水化物耐性を思い知るがいい。

ただ、カタコトのイタリア人が突然日本の片田舎の定食屋に現れ、カツ丼完食後に天丼を頼んだら、「カツ」とか「天」に惑わされるな! 「丼」が本体だ! と丼の奥深い意味を説明したくもなるなと思う。けど説明したあとで「いいんです、とにかくお腹減りました」って言われたら…いろいろ事情があるのかなとか思ってしまうな、たしかに。

ともあれ、その滞在でいくつかの都市をまわったのだが、「完璧な」パスタなどどこにもなかった。ていうかイタリアの地でぼくは「イタリア」がどこにあるのかさえわからなくなってしまっていた。

どの都市も、どのトラットリアも、どの皿も偏っていて、けど、これだという芯があった。ただただいくつもの違いだけがあった。

眩暈がする。あらゆる料理がそうであるように、パスタもおそらく、さらには地方によっても家庭によっても違っているだろう。あたりまえのことだ。その無限にも思える違いを思うとき、もはやパスタは、イタリアで食べる必要さえなくなっている。落合さんのパスタも、下宿の台所で闇雲につくられるパスタも、すべては奇妙に偏ったパスタのひとつでしかありえないのだから。

そんなことはずっと知っていた。台所の片隅で自分にそう言い聞かせていた。しかし愚かなぼくは、こんな単純な事実に直面するためにこそ、イタリアまで行く必要があったのだ。

ありもしなかったぼくの「理念的パスタ」は、このときを境に消えてしまった。しかし、あの飽くなき日々の研鑽もまた、遠くどこかへ消えてしまった。

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