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歴史の小箱

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自作記事のうち、歴史に関わるもので特に読み応えのありそうなものをまとめました。
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#歴史

歴史叙述をめぐって 〜歴史を物語る際の問題点〜

最近、立て続けに「歴史そのもの」をテーマにした本を読んでいるのだが、ここ数年、歴史そのものを俎上に載せた本が多く刊行されている気がする。 歴史というのは何かしらの拠り所がないと単なる事実の羅列になってしまう。歴史教科書がその典型だが、教科書という特性上変なバイアスがかかるような「流れ」を入れるわけにはいかない。だが、歴史上のできごとには必ず因果関係があるので、そこをきちんと教えないと、単語や年号を暗記するだけで終わってしまう。 歴史の流れを物語として叙述するには拠り所が必要

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「自虐史観」という不可解な存在

いくつか歴史をテーマにした書籍を読んできた中での感想だが、通常、ナショナル・ヒストリー(一国史)はその国の成り立ちから現在までの経緯を説明するもので、アイデンティティーとも密接に関わるため、自国を美化する方向に向かいがちである。 そんな中、戦後日本において、ことさら日本(特に満州事変~太平洋戦争時の)日本を悪しざまに描こうとする、いわゆる「自虐史観」が大手を振って歩いていたのかがよくわからない。戦勝国側が示した、国家間対立を善悪の対立で描く「連合国史観(東京裁判史観)」の押し

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等閑視される「冷戦」の謎

 序 今読んでいる、中西輝政先生の『覇権からみた世界史の教訓』に気になることが書かれている。今、国際政治や国際社会の界隈では、学界であっても冷戦を等閑視しており、ともすれば無視しているような傾向があるという。同書の中で、中西先生はこれを「冷戦忘却史観」と名付けている。冷戦を語るのに、何か不都合があるのだろうか。  1 その手掛かりとなるのが、戦前期に共産主義革命を成し遂げたロシア(ソ連)が世界的な共産主義革命を起こそうと画策していたという「コミンテルン陰謀説」で、最近の調査

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歴史という名の劇薬

よくミステリー系のドラマで「真実を知りたい」というセリフを聞く。だが、真実を知るというのは相応の覚悟が必要な行為だ。なぜなら、真実は時に人を傷つけることになる。 それを正面から扱った小説がある。城平京氏の『名探偵に薔薇を』である。ネタバレ回避のため、あまり踏み込んで書けないのだが、主人公の瀬川みゆきは探偵としての才能に恵まれた女性である。一見、冷徹な彼女だが、古くから付き合いがある三橋は、彼女の不安定さを見抜いていた。彼女はある事件によって「真実がもたらす衝撃」にさらされ、ひ

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私撰・歴史を学ぶためのブックガイド

本記事は私が読んだ本を中心に、歴史を学ぶ上で有用と思われる書籍をまとめたものである。公開後も適宜、増補していく。 【歴史とは何か】 【歴史学とは何か】 【歴史の見方】

覇業を成す条件としての人臣

『三国志』の時代がいちばんわかりやすいが、覇業を成し遂げられる人間は同時に割拠していた他の軍閥と比べて家臣の層が厚い。曹操、孫権、劉備は皆そうであった。 当時、東漢(後漢)王朝が衰退する中で、州牧や郡太守といった地方の高官が土着して軍閥化していったが、全体的には自分の既得権益の保護に勤しむ人が多かったようで、劉表、公孫瓚、陶謙、馬騰らは政治の動向に無関心だったようだ。次に、王朝を完全に見限っている一派があって、袁術、劉焉がそれに当たる。袁術は皇帝を僭称し、劉焉は皇位につく野心

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邪馬台国と卑弥呼に関する私見

個人的に邪馬台国は大和・纒向遺跡だったと思う。その理由としては、纒向遺跡が同時期としては他に類を見ない規模と構造を持っていること、定型化した前方後円墳の発祥地であり、後のヤマト王権との連続性が見られること、などが挙げられる。

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続・邪馬台国と卑弥呼に関する私見

中国史研究の界隈では、政治的理由から邪馬台国の位置が意図的に南へずらされているのでは、と考えられているようである。そうなると、魏志倭人伝の里程(日程)表記は信用できなくなる。ただ、伊都国以前と以後で表記が違う(伊都国以前は里程、以後は日程)ところから、魏の使節は伊都国までは行ったと考えられる。それ以前の日程は使者の報告があるのでさすがに改竄できないだろうし、以降の日程も無理に引き伸ばしたり縮めたりしたとは考えにくいから、私は方位を東から南へ置き換えたと考えたい。ここまででわか

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天皇の実在はどこまで確かと言えるか

日本の皇室の系譜は一体どこまでが確かなのか、考えてみよう。 手がかりになるのは継体天皇である。現状、実在が確定している最初の天皇は継体天皇と言っていい。継体天皇が生きたのは6世紀初頭。墓は大阪府高槻市の今城塚古墳が有力視されている。そこから類推すると、応神天皇以降の天皇は実在した可能性が極めて高い(ただ、顕宗〜武烈天皇は実在があやふやで、応神天皇の系譜は清寧天皇で途絶えている可能性もあると思う)。

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記紀の記述と春秋二倍暦説

記紀(古事記と日本書紀の総称)によると、雄略天皇以前の天皇について、多くが100歳以上という人間離れした長寿だったことにされている。これはおそらく、寿命が引き伸ばされた事によるだろう。

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継体天皇の出自について

今回は継体天皇の出自について書いてみる。 継体天皇は越前の出身で、北近江の息長氏や三尾君との関係が取り沙汰されているが、記紀によると応神天皇五世の孫となっている。

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日本のお金小史

日本において貨幣が登場したのは飛鳥時代後期、天武天皇の治世。奈良県飛鳥池遺跡の発掘調査で一躍有名になった「富本銭」である。『日本書紀』天武12年の記述にある「今より以後必ず銅銭を用いよ」の銅銭は、この富本銭を指すと考えられる。ただ、この富本銭はどの程度貨幣として流通したかは定かではない。

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みやこ(京・都)の変遷

今回は都城の変遷について書いてみたい。 飛鳥京、大津京と呼んでいるが、これはどちらも誤りである。なぜかというと、どちらも条坊制を伴う市街地を持たないからである。 初めて造営された京=都(みやこ)は藤原京で、現在の橿原市に所在する。この都は短命で、わずか16年で廃止される。その理由は諸説あるが、大規模河川から離れていて利便性が悪かったことと、北が低く南が高い地形のため、汚水が北=宮城のある方へ押し寄せてきたことなどが有力視されている。また、藤原京が『周礼』という中国の古い文献に

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偽書・偽文書考

近年、椿井文書という古文書群が物議を醸している。馬部隆弘先生によると、江戸時代、現在の京都府木津川市の住人であった椿井政隆が一人で作成した大量の偽文書だそうだ。これは長らく偽文書と考えられておらず、馬部先生の研究で一気に日の目を見た。信頼に足る文書として市史編纂事業などで活用され、まちおこしの典拠となるなど被害は大きい。これがなぜ今まで知られてこなかったかというと、椿井政隆の周到さにある。彼は多くの偽文書を「写し」として制作した。写しであれば、時代が新しいとわかっても信用され

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