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歴史叙述をめぐって 〜歴史を物語る際の問題点〜

最近、立て続けに「歴史そのもの」をテーマにした本を読んでいるのだが、ここ数年、歴史そのものを俎上に載せた本が多く刊行されている気がする。
歴史というのは何かしらの拠り所がないと単なる事実の羅列になってしまう。歴史教科書がその典型だが、教科書という特性上変なバイアスがかかるような「流れ」を入れるわけにはいかない。だが、歴史上のできごとには必ず因果関係があるので、そこをきちんと教えないと、単語や年号を暗記するだけで終わってしまう。

歴史の流れを物語として叙述するには拠り所が必要で、例えば『平家物語』は仏教的な無常観を主軸にしているわけだが、問題はイデオロギーが先行して事実の歪曲が行われる場合があることで、こうなると歴史修正になってしまい、歴史叙述ではなくなる。正史、すなわち公的な歴史を鵜呑みにできない理由はこれで、中国の『二十四史』は基本的に新王朝が前王朝の歴史をまとめたものだから、建国に関しては前王朝の悪い部分を誇張し、現王朝に都合の悪いことは省略したりする場合がある。陳寿が『三国志』を編纂した際、曹髦暗殺に司馬昭が関わっていたことから、彼は現皇室(司馬氏)を憚って記述を曖昧にしている。一方で司馬遷は、今上帝(武帝)の都合の悪い部分も記述したが、そのかわり今上帝の在世中は公にできなかった。

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