神武東征への旅立ちの前に
やまとみずほの国に生まれて 第十六話
阿波古代史に興味が無かったのに「やまとみずほの国に生まれて」を始めたきっかけは「草薙剣は剣山から吉野川支流に流れ出た」である。その時から「コンクリートブロックの御祭壇(忍熊王子と籠坂王子の旧蹟地)」は、必ず紹介したいと考えていた。神功皇后自体の存在が疑われ、忍熊王との戦いも作り話と考える人もいるが、これだけ民間伝承があれば信じざるを得ない。
応神天皇の皇位継承を正当化するために、神がかりの逸話は創作かもしれないが、神功皇后が全く架空の人物ではないでしょう。しかし戦の吉凶を占うために狩りを行なったら「突然」赤猪に襲われて亡くなるなんて、麛坂王はなんて恥ずかしい死に方なのでしょう。忍熊王も武内宿禰らの計略に嵌り、あえなく戦死。虚偽の和睦を受け入れて武器を捨てたのに、騙し討ちです。
一見正直に書いているようで、父親である仲哀天皇から後継指名されていた麛坂王から見れば反乱を起こしたのは皇后側、戦いの準備などしておらず、「突然」襲われたのでしょう。旧蹟の残る押熊町の南東、平城京跡の北部に広がる日本有数の佐紀盾列古墳群を築造し、初期の大和王権を支えた豪族も記紀編纂時点に、滅びたか権力を失った氏族は反論のしようがありません。
時の権力者である藤原不比等との意向は大きいでしょうが、記紀編纂に時間が掛かったのは捏造や辻褄合わせの前に、各氏族の意見調整に時間が掛かったのではないでしょうか。自分の祖先を悪く書くはずのない一氏族に伝わる文書より正史の方が信頼度が高いです。しかし滅びた氏族は異を唱えられないことを肝に銘じ、空白の150年を埋める浪漫に旅立ちたいと思います。
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