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神生み最初の神に忠の亮

イザナギとイザナミは協力して、国生みを行った後、神生みを行いますが、では最初に生んだ神は誰でしょう。国生みは邪馬台から大和への領土拡大とよく語られますが、神生みはほとんど語られません。しかし序文も深堀りした【ツクヨミノマコト】(古事記全文暗号解読シリーズ)、新解釈を追求して神生みも深堀りしていきますが、まず多大な功績があった二人を紹介しなければなりません。

天武天皇が諸家に伝わる史実を国家として統一するため、帝紀と本辭の誦習を命じたのは高い記憶力を持つ稗田阿礼。大和棟との同時景観が素晴らしい現存する環壕集落、稗田環壕集落にある賣太神社に主斎神として祀られます。環濠を造成する目的は中世争乱の自衛のためですが、賣太神社の所縁は旧く延喜式神名帳にその名を連ねます。

かつて平城京の羅城門近くにあり、都に出入りする人々の穢を払うだけでなく、境界を守る道祖神の役割もありました。道祖神は岐の神と同一神とされ猿田彦神と習合するから、妻である天鈿女命と共に猿田彦神を副斎神としています。天鈿女命は言わずと知れた岩戸隠れの際に舞を踊り、夫婦ともども瓊瓊杵尊の天孫降臨の際には、道案内をする。

天鈿女命を始祖とするのが猿女君、朝廷の祭祀に携わる一族。猿女君が天皇より養田を賜り、その田を猿女田と呼んだのが社名の由来にて、稗田阿礼はその猿女君稗田氏の出身です。毎年8月16日遺徳を忍び、1930年から開かれる阿礼祭、「話の神様」として全国の童話作家が協力されています。

誦習とは書物を繰り返し読み、深く理解して暗記すること。古事記の原作は稗田阿礼、太安萬侶は編集者かつ最終責任者。稗田阿礼の原作を改竄する権限はあったでしょう。太安萬侶を祀る神社もあります。多神宮注進状によれば太安萬侶は多品治の子とされる、名門の多氏の出身です。

一般に多神社と呼ばれる多坐弥志理都比古神社、式内社として霊験あらたかな名神大社に数えられます。現在はこじんまりしていますが、その威容を彷彿させるのが多神社一の鳥居、本殿まで参道が900mも続きます。多氏は、太、大、意富、飯富、於保とも記す楽家の一つ。神道神事における神楽歌や舞楽を父子相伝する屈指の皇別氏族、神武天皇の子の神八井耳命の後裔です。

第一社 神倭磐余彦尊(神武天皇:神八井耳命の父)
第二社 神八井耳命(社名の弥志理都比古)
第三社 神沼河耳命(綏靖天皇:神八井耳命の弟)
第四社 姫御神(玉依姫命:神八井耳命の祖母)

弥志理都比古の由来は弟に皇位を譲ったから、「身を退いた」という意味で「ミシリツヒコ」、多坐とは多に遷座した意味。最初に祀られたのがどこかは今後のお楽しみとして多遺跡は古いです。弥生時代の拠点的な環濠集落、長軸350m短軸300m、弥生土器、木器、銅剣が出土し、一部多神社の資料館に展示。

田原本町にはもっと大規模な弥生時代の環濠集落があった。外濠が42万平方m、内濠は直径400mの唐古・鍵遺跡。2018年に周辺は唐古・鍵遺跡史跡公園として整備され、唐古・鍵考古学ミュージアムもリニューアルオープンした。

田原を冠する地は他にも有り、太安萬侶を忍ぶなら田原の里。次代桓武天皇が平安京へ遷都した奈良時代最後の光仁天皇、光仁天皇のととさん天智天皇第七皇子の志貴皇子も眠る。1979年田原の里の茶畑から画期的な発見がありました。それは太安萬侶墓、平地陵墓の皇族より遥かに安らかだろう。緑の茶畑の絶景を見下ろす、見晴らしのいい格好の墓所。

画期的なのはこの墓の発見まで古事記は偽書扱いだった。続日本紀、弘仁私記、日本紀竟宴和歌が太安麻呂と記すのに、古事記の序文は太安萬侶。日本書紀を研究して論文を書いた歴史学者は古事記の真実を認めない。安萬侶など存在しない古事記は架空の物語。日本書紀は古事記を元に改竄された、日本書紀が偽書なら自らの功績が瓦解するから仕方ない。

萬侶と麻呂が違うから架空と言う歴史学者もいい加減だ。自説に都合いいといくらでもこちらは誤記と主張するのに。しかし墓から「従四位下勲五等太朝臣安萬侶」の墓誌銘。太安萬侶の実在は認めざるを得ないが歴史学者は怯まない。安萬侶が古事記に関わったことは、何ら証明されていないと。

しかしそれを証明するのが、神生みで生まれる最初の神。【ツクヨミノマコト】天津神と国津神だけじゃない三貴神、国生みの別名はその島を治めた氏族に繋がると語りました。領土拡大を記録した大八島の後、古事記が記す島生みは瀬戸内海航路開拓の記録。二番目の小豆島と三番目の大島、別名はそれぞれ大野手比売と大多麻流別。ひょっとして阿波国の別名の大宜都比売も多氏に所縁の神でしょう。

太安萬侶も多氏、大事忍男神は多氏の祖神とも考えましたが、【ツクヨミノマコト】国生みは天照と素戔嗚の誓約に符号する、五柱三女神の長男天忍穂耳尊、天孫降臨した瓊瓊杵尊の父神。多氏の始祖である神武天皇の子の神八井耳命が耳をもらい、大事忍男神が忍を頂いたと皇族や周囲を誤魔化しましたが、大事忍男神の事は古事記の「事」、ふることふみの「こと」。大事なことを記す古事記、大事なこととは「おおごと」です。

大事を記したことを忍ぶ男とは、古事記を編纂した太安萬侶。古事記序文の最後「正五位の上勲五等、太の朝臣安萬侶」、署名したのに神と記すのは、古事記は本物との意味を込めた。編者は誰でもいいのです、確実に忍ぶ男がいたんだの証明。

元明天皇がわざと誤魔化されたのは、太安萬侶の忠亮が理由。忠亮とは嘘偽りのないこと、真心があること、忠信。太安萬侶は711年正五位上に昇進し編纂を命じられます。その前は従五位下、704年正六位下から二階級特進ですが。律令制における四等官の「亮」とは従五位下になります。神生み最初の神に忠の亮、お楽しみ頂けましたでしょうか。

#日本史がすき

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