すきな本たち【幼少期編】
読了本は少ないが、本が好きなわたしを作った本たち。印象に残った本たち。面白かった本たち。(何故かとなりのトトロ考察付き)
★そらまめくんのベッド なかやみわ作・絵
お母さんが読み聞かせしてくれていた。いろんな絵本の中でも、これがダントツトップ。
毎晩、そらまめくんと夜を共にしていた。
ふかふかのベッド、どんなのだろうなと想像するのが楽しかった。
そらまめ食べてみたい!と、意気揚々とそらまめを食べるも美味しくなかった。
★小学館 魚の図鑑
小学館の図鑑しか知らない時期。
母親が海好きだったからか、わたしが欲しいとねだったのかは定かではないが、家にあった。
“さかな”と一括りにしていたものそれぞれに名前がついているのが、面白くてたまらない。
だが別に名前を覚えようとはしなかった。
書いてある文字より、ページをめくってもめくっても魚が出てくる。それをながめているだけで楽しかった。
名前がどうとか生態がどうよりも、わたしが一生住むことのできない水中にいる魚というだけでとにかく面白い。
海に行った後、海におった魚これかなと同定する時間も楽しい。
★船の本
タイトルも著者も全く思い出せないが、見開きのページがあり、豪華客船内の間取りみたいなものが描かれていた本。
これがかなりお気に入りだった。親が叩くミシンの音を聴きながら、この本を開いていたような気がする。
「ここでご飯たべて、ここで映画を観て、ここで眠るんだ〜」と、ひたすら妄想をするための手助けアイテムだった。
潜水艦のページもあったと思うけれど、当時は豪華客船のページしか見てなかった。
見開きで1発目に開く場所が大体そこだったから。
★ランプの精リトル・ジーニー:おねがいごとをいってみて! ミランダ・ジョーンズ著
人生で初めて自分1人で読み切った作品。
とてもとても思い入れが強い。
タイトル通り、魔法使いが現れてお願いごとを叶えてくれるというものなのだが、この魔法使いがドジっ子で見習いで落ちこぼれのため、お願いごとが素直に叶わないという、ファニーな雰囲気があって面白い。
この本がかなり印象に残っていたために、リトルジーニーの挿絵をそのまま図工の授業で描いた。模写レベルで真似ていたが、バレなかった。(ラッキー⭐︎)
大人になった今でも捨てず売らず本棚にあるし、いまだに読み返すくらい好きな本で、悲しいことがあると、この本を手に取り音読していることもある。
この本との出会いこそ、わたしが本を好きになったきっかけと言っても過言ではない。
この作品はシリーズ物で他にもいくつかストーリーがあるが、1のリトルジーニーとの出会い以外はほぼ読んでいない。
なぜなら設定を与えられてしまうと、あとはわたしが考える!という癖が昔からあったので。
ストーリーに興味はなく、設定や世界観を味わうことが好きだった。
★小学館 最新ドラえもんひみつ道具大辞典
監修:藤子・F・不二雄
『ドラえもん』もストーリーを見るより、辞典でひみつ道具を知り、自分ならどう使うかを考えるのがとても楽しかった。
お菓子食べながらとか寝転がりながらとか扱いが雑だったし、弟と兼用だったこともあり、ボロボロになって捨てた。
★小学館版 少年少女学習まんが 日本の歴史
日本の誕生
飛鳥の朝廷
戦国大名の戦い
天下の統一
江戸幕府ひらく
祖父が歴史好きで「三英傑はいいぞ」と語るので、面白そうと思い、戦国・安土桃山時代を読み始める。徳川あたりでつまらなくなり読むのをやめる。
最初から読破してやろうと思い、日本の誕生を読み、古墳まで楽しく読むが、飛鳥時代でつまらなくなり読むのをやめる。
卑弥呼あたりはあまり好きではなく、名も無い人間たちが、どんぐりを拾って食べたり、「ここゴミ箱な!」と貝塚を作ったり、土偶を作って遊んだり、「石で草が切れるぞ!」と言っていたり、無駄にでかい墓を作って埋葬してみたり、墓に埴輪並べてみたりしている画を想像すると、はちゃめちゃに面白くて大好きだった。
歴史の授業が始まってからも、結局いちばん好きな時代は縄文時代。
大人になってから見た番組か動画かの情報によると、縄文時代は基本的に、狩りと採集と魚釣りが仕事のため、1日4時間くらいしか働いておらず、余暇で土偶や勾玉を作るなどのハンドメイドをし始めたと言っていた。(諸説ある)
それに、いっぱい動いてしまうといっぱい食べなければいけなくなるので、じっとしているしかなかったらしい。
縄文時代おもしろすぎ。
★学研 まんがでよくわかるシリーズ まんがひみつ文庫
サイダーのひみつ
チョコレートのひみつ
天然水のひみつ
日本茶のひみつ
銀行のひみつかお金のひみつかどちらか
コーヒーのひみつ
ミシンのひみつ
ガムのひみつ
小学校の上級生が行く方の図書室を利用し出してから卒業するまで、ずっと読んでいた。
バーコードスキャンに憧れて、図書室で本を繰り返し借りていたため、すぐ読み切れるマンガばっかりを借りていた記憶がある。
食べ物や飲み物についての本を読むことが多く、天然水のひみつは何度も読み返した。
ガムのひみつを読み、ガムを祖父の家で作る。
海外に飛んだり、タイムスリップをしたり、それについてやたら詳しい大人が近くにいるなど、面白い導入で秘密を解き明かしてくれる。
★しゅごキャラ! PEACH-PIT先生
なかよし連載作品。
なりたい自分を否定されてしまったり、みんなが思っている自分ではないよな、と殻を被ってしまうと、誰もが持つ“なりたい自分になるための卵=ココロのたまご”が“バツたま”と呼ばれる悪い卵になってしまう。
それを主人公あむちゃん率いるガーディアンという、小学生ながら学校でティータイムをする委員会みたいな組織が、元の卵に戻るようになんとかするみたいな話。
ちょこまかその辺の子供達を助ける爽快感もありつつ、謎の組織が“バツたま”を大量生産し儲けようとしてる?かなにかで、そこをなんとかする大筋のストーリーも見え隠れしているので、大人になってから読んでも面白い。
最近、新装版が出た。
当時はイクトが好きで読んでた。かっこよかった。今はかっこいいと思わんけど。
マンガもめちゃめちゃ面白い。そして、これに関してはアニメーション化大成功パターンで、アニメも全部最高だった。
★注文の多い料理店 宮沢賢治著
教科書で読み、衝撃を受けた作品。
思い込みを疑う大切さを学んだ。
こんなにも綺麗に裏切られたのは最初で最後かもしれない。「すごい」と心の底から思った。わたしが、本を頭の中で妄想を膨らますためのアイテムではなく、ちゃんとストーリーとして楽しんだ最初の本。
全く知らない人に出会って、仲間になって、一緒になって驚く、人間がちゃんとそこに住んでいることを感じられた。
今まで小説を読むときは文字が映像化され頭に浮かんでいたのだが、これは違った。
わたしは、あそこにいた。絶対いた。
だって一緒にクリーム塗ったもん。絶対塗ったもん。冷たかったもん。
あのふたりはちゃんとどこかで生きているし、注文の多い料理店はきっとどこかに絶対あると信じたい。
わたしは『となりのトトロ』で描いていたのは、この感覚だと考察している。
本を読んで、絶対あそこにいたと思う感覚。
彼らと一緒に過ごした時間、これは物理的ではないから誰も信じてくれないけれど、確かに彼らと一緒にいたし、話した。
だからメイがトトロに会ったのは絵本の話で、迷子になるのは、現実に戻ってこれなくなったのを表しているんじゃないか。
本で見た世界を夢に見たり、憧れたり、本を読んだ後、世界が少し違って見えることもある。本は現実ではないし、夢だけど、夢じゃない場所なんじゃないか。
ただ、これはわたしがこう思うだけであって、当たり前に正解ではないし、こういう角度もあるという話なだけである。結局のところ、作品の見え方というのは、その人が生きてきた道筋が強く影響しているはず。
わかったふりをした見知らぬ人間たちに誘導されず、“読むこと、観ること、聴くこと”で一つ一つのコンテンツを自分だけの作品にしてあげてほしいから、鵜呑みにしないでほしい。
作者が勝手に決めたテーマだとか、伝えたいことやコンセプトなんて知ったこっちゃねえ。
作品に落とし込んだ時点で、そこまで伝えたいことではない。だから、どう解釈したってこっちの勝手。フィクションだし。